グリコマークを傷痍軍人だと思っていた父

 昔、父に聞いた話「お父ちゃんグリコのマークは戦争で片足なくした人だと思ってた」

 いやいやそれはないでしょう。陸上のユニフォーム着て両手上げてゴールしてる人ですよ。左足の先も見えてるじゃない。と思ったのだが、父は昭和12年生まれ。子供の頃戦争の真っ最中である。さらに、グリコマークの変遷を見ると。
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これが昭和3年から昭和20年
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これが昭和20年。
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これが昭和28年。
このへんが父が子供時代に見たマークだ。
僕が生まれたのが昭和39年。
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昭和41年に左足の靴がはっきり見えるデザインに変わっている。

 ああ、なんというか、父の子供時代のマーク、微妙に靴が隠れてるし、お菓子のロゴ印刷ではよくわからないかもしれない。正面の絵で遠近法もきかないし、片足のない絵だと思っても不思議ではないのか。まさかとは思うが、グリコもそういう意見をうけてマークの変更をした可能性が微レ存?(すでに死語か)

後藤寿庵というペンネームについて

 僕は漫画家として後藤寿庵というペンネームを使っているが、これは最初から決めていたわけではない。後藤寿庵は、江戸時代初期に僕の田舎、現在の岩手県奥州市水沢区福原周辺を治めていたキリシタン領主の名前だ。「ジュアン」という音の響きから想像できるように、これは洗礼名であるらしい。前の記事で書いたように、この後藤寿庵は、胆沢平野に農業用水路(寿庵堰)を引いて穀倉地帯にした地元の偉人として知られており、僕が子供の頃毎年後藤寿庵祭というイベントが行われていた。なので幼少期の僕は、自分が後藤だし、面白いから将来子供ができたら寿庵と名付けようとか思っていたのである。

 それはさておき僕は将来漫画家になりたいと思い続けていたが、ペンネームは決めていなかった。デビュー前割とよく使っていたのは、後藤謙治という本名をそのまま署名するか、謙治のイニシャルをとって後藤Kと略した程度のものが多かったと思う。このKを、漢字の桂に変えて、6月生まれなので水無月桂というペンネームを考えたことがある。ちなみにKを桂にしたのは、超時空世紀オーガスの主人公、桂木桂にちなんだものだ。ただ、これはあまりにカッコつけ過ぎかなあと思って実際に作品の署名に使ったことはなかったと思う。

 漫画ブリッコでデビューしたとき、はがき投稿の延長みたいな宇宙刑事をテーマにした4P漫画みたいな企画に応募して採用されたのだが、そのとき原稿に作者名を書いていたかどうか覚えていない。封筒の差出人には本名を書いていたはずだし、それを採用したのか、企画発表では「杉並の後藤」と書かれていた。当時杉並区阿佐ヶ谷に住んでたので、単純に住所と名字で表記されたらしい。正式連載になるときにペンネームどうするか聞かれたんだったか、「杉並の後藤」は名前じゃねえと自分でプッシュしたんだったか忘れたが、とにかく正式なペンネームを急いで決めないとならないと思って、どうしようと思ったときに、かつて自分の子供につけようと思った田舎の領主の名前、後藤寿庵が浮かんだのである。どう考えても他とバッティングしなそうだし、元ネタのキリシタン領主なんて、岩手県でも水沢周辺でしか知られていない。読み方も「じゅあん」とすぐわかると思ったのだけど、デビュー後結構「じゅあんでいいんですか?」と聞かれた。蕎麦屋の屋号とかによく「長寿庵」というのがあって、あれは「ちょうじゅあん」なのだけど、「長」なしで「寿庵」だとなんかピンとこなかったらしい。「長寿」で1つの単語だし、「ことぶきあん」とも読めるから。はい、「ごとうじゅあん」でいいのです。この場合、そもそも昔の後藤寿庵を知らないだろうという利点がまさにあたって、知らないからこそ読み方もわからないという弱点になってしまった。

 ちなみに僕がデビューした1980年代半ばにはまだインターネットが普及しておらず、今のように人文系を含めたあらゆる知識がネットに溢れていなかったし、みんなが気軽に検索するシステムもなかった。「ググる」という習慣自体が存在しなかったのだ。全文検索エンジンが普及して、みんなが検索するようになると、後藤寿庵を検索したときに、僕を期待するにしても、歴史上のキリシタン領主を期待するにしてもリザルトが混ざってしまうのである。この弊害は、あの当時は思いもよらなかった。おそらく同業の完顔阿骨打先生なんかも頭を抱えたんではないかと思う。

 なお、僕自身が後藤寿庵を名乗ってしまったため、実際に息子が生まれた際、後藤寿庵という名前をつけるのはあきらめた。息子たちにとってはおそらくラッキーな出来事であろう。

うちの田舎はアラビアの砂漠だった

 我が家は岩手県奥州市水沢区福原に居を構えること13代、僕が13代目である。この福原、奥州市水沢区の中でも、なんだか微妙に城下町から離れてるのに武家屋敷が並んでた変な路村なのだ。以下の地図は戦前のもの。福原がなんか水沢駅周辺の中心街から離れて妙に独立してるのがわかると思う。
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 この福原、伊達政宗が重用した後藤寿庵の領地であり、江戸時代初期までは荒涼たる荒れ地だったらしい。後藤寿庵は九州五島列島キリスト教に入信して、東北にその信仰を持ち込んだようで、当時寿庵の治める福原には、イエズス会の宣教師も集まり、東北キリシタンの集落になっていたらしい。そのときやってきたイエズス会のアンジェリス神父が残した言葉が「ここはまるでアラビアの砂漠のようだ」。アラビアの砂漠???

 現在の胆沢平野は緑あふれる田園地帯である。到底砂漠には見えない。これは後藤寿庵が「寿庵堰」と呼ばれる農業用水路を開削した結果豊かな穀倉地になったのだが、いや用水路掘らなくてもアラビアの砂漠っぽくはないんじゃねえのかと子供の頃から疑問である。だってアラビアの砂漠と言われたら、一面砂の山が続いて、ラクダの商隊が歩いてる感じじゃん。
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いくらなんでも胆沢平野がこんなだったとは思えないでしょwww。

 さてその後、徳川家光の禁教策で後藤寿庵は福原を脱出し、行方知れずになる。残された宣教師や信者はうちの実家の墓があるクルス場付近や、仙台に連行されて拷問処刑のひどい目にあうのだけど、その後も福原には後藤一族は残った。うちの先祖が後藤寿庵と繋がってるのか知らないが、うちは福原の真ん中あたりに家を持つ後藤氏であり、家系図では江戸中期から現代まで繋がっている。幕末の戊辰戦争では福島県の白河までいって夜襲を受けて殺されている。その当時うちのポジションは水沢城留守氏の家臣のなかの徒組、つまり下級武士だったらしいのだけど、どうもそこそこ土地持ちの裕福な家だったっぽい。江戸時代には留守の殿様が領地巡回で我が家を休憩所に選び、その礼として留守の姫(8歳)の書いた書を賜ったという家伝がある。僕もその書を見せてもらったが、とても8歳女児の書くものとは思えない達筆だった。

 戊辰戦争に負けた列藩同盟の武士は帰農を強制され、わが水沢も中心の城務めのみなさんは士族身分を保つため北海道に開拓に行ったらしいけど、福原の家臣たちは素直に帰農。多分もともと地主武士だったんだろうね。うちは大正時代に1000円で豪邸を建て、その屋敷は僕が大学行くまでそのまま使われた。まあ僕の小学校時代には屋根が劣化してコントのようにお茶の間に漏れる雨をタライで受けたりしてたけどな。

 戦後農地改革で農地の多くを小作人に分配しても、1.8ヘクタールの水田を持っていた。祖父の後藤善治は、戦後も地元の名士としてブイブイいわせ、ステレオやテレビをいち早く購入し、周囲の家に自慢したり、金を貸したり、いろんな商売を思いつきでやったりしていたらしいのだけど、貸した金は貸し倒れ、商売はうまくいかず、父の後藤治夫の代には家は傾き、僕が生まれた頃はかなり貧乏だった。ときはまさに減反政策。米農家の暗黒時代である。僕は物心ついた頃には貧乏だったので、決して農家を継がないと子供の頃から宣言していた。そのせいか、父は僕が高校出て大学行ったころに、うちの土地を貫く環状道路の計画が出たのを機会に、農地を売ってアパート経営に乗り出した。これがあたって一時期父はアパートを次々建て、外車を買いまくり、いい感じに成金っぽくなっていた。しかし、父の成功をみた近隣の農家がどんどん農地を売ってアパート経営を始め、家の優位性があっというまに崩れていった。

 そもそもうちのアパート経営が成功したのは、バブルが崩壊した時期に、工場や住宅の地方移転が盛り上がった、一瞬のドーナツバブルによるものだ。首都圏でペイしなくなった工場、大型店舗が地方に波及する一時期のブームであって、失われた20年は地方をも蝕む。いまでは岩手の盛岡以外の地方都市は何も生み出せない魔境なのだ。僕が今実家のアパート経営を引き継いだらどうしよう。後藤アパートはなんというか、かつて持っていた1.8ヘクタールのほとんどを住宅地にしている。ここに必要なのは商店街だと思う。うちの所有地にコンビニを誘致するのがいちばんかなあと思うのだけど、この感覚は30年以上首都圏に暮らした感覚なので、ずれてる可能性もある。地方は車で移動が基本なので、歩いていける範囲にセブンイレブンがある東京とは違うのではないかと。いずれ継がないといけないのだけどどうしようねこれ。

ミスリルとかオリハルコンとかのファンタジー金属

 最近のラノベファンタジーでは、武器防具を作るための鉱物として、ミスリルオリハルコン、アダマンタイト、ヒヒイロカネなどが一つの作品の中に当たり前のように登場する。もともと別々の由来を持つフィクション鉱物であるので、単一作品に出した際のスペックの割り振りが気になるところだが、共通する特徴として
ミスリルは魔力をよく伝導するので、魔法剣などに使える
アダマンタイトは非常に重く硬い。ミスリルとの差を強調するためか、魔法を極めて通しにくいなどの特徴が加えられることがある。
オリハルコンは、ミスリル以上に魔法を通し、またアダマンタイト並に硬い場合が多い。この場合要するにミスリルやアダマンタイトの上位互換。
ヒヒイロカネは、これ比較的マイナーで、大概の場合オリハルコンとあんましかわらない気がする。

 これらの金属のうち、リアルな文献に登場する順番で一番古いのはアダマンタイト(アダマント)とオリハルコン(オレイカルコス)で、紀元前700年ころの文献に登場してるのだけど、これらはもともと単に硬い金属(鋼鉄)の意味のアダマント、オロスの銅(真鍮か黄銅)という意味のオレイカルコスであり、ファンタジー要素はあんましなかった。プラトンアトランティスで発掘されると書いたオリハルコンはなんかレアっぽい描写だけど、ここでもとくに魔法とか超常的な描写はない。

 オリハルコンがなんだかすげえ金属になったのは、アメリカのオカルティスト、エドガー・ケイシーアカシックレコードにアクセスして語ったとされる話に由来していて、これが20世紀初期に広まるわけで、実は結構「現代」の範疇に入ってからの話だったりする。僕らの世代では、海のトリトンが「オーリーハールーコーン!」と叫ぶと赤く光ってなんとかなるあの短剣のイメージである。

 ヒヒイロカネの由来は、日本の古史古伝竹内文書なのだけど、古史古伝とは、古事記日本書紀より前の「本当の歴史を記述した」古文書とされている。だけどこれらは幕末から明治以降になぜか突然「発見」されたもので、要するに実際は「発見」された時代に捏造されたものである。
ヒヒイロカネは緋緋色金とも書くように、赤い金属で、茶釜を作れば木の葉数枚を燃やしただけでお湯が湧くとか、ありえない熱伝導性を持ち、またダイヤモンドよりも硬いなどと言われているが、要するにエドガーケイシーのオリハルコンをパクったのではないかと思われる。

 ミスリルにいたっては、J・R・R・トールキンの明確なフィクション創作金属である。これに関しては、普通に作品のための設定であることがわかってるので、なんというか、名称を使ってもいいのかなってところだけ問題になるところだ。なんせ同じ作者による種族名の「ホビット」は著作権上簡単に使用できないものになってハーフリングとかグラスランナーという名前が使われたりしてるわけで。

 異世界転移ラノベなどで、こういう由来の異なる金属が同居する理由が気になる時があるのだけど、それを言い出すと、エルフやドワーフみたいな亜人種族がトールキンすぎる問題も生じるのである。あれらはヨーロッパでの妖精伝承トールキンが「種族」に改めたものであるので、なんともいえない。ラノベ作者たちと読者たちが共謀して「そういうもの」がある世界を作り出しているのであって、これはもう哲学兵装なのだ。哲学の波に飲み込まれて堪能しようではないか。

 あー、哲学兵装で思い出したが、シンフォギア5期楽しみだなあ。シェンショウジン(神獣鏡)がそもそも聖遺物じゃないんじゃねえ?っての哲学兵装で説明してくれるのかなあ。

勇者王ガオガイガーというオタク最強アニメ

 「勇者王ガオガイガー」は1997年に放送開始されたロボットアニメである。これはサンライズ勇者シリーズ最終作で、勇者シリーズは、ガンダムから始まるリアルロボット志向からは離れ、子供が主人公のスーパーロボット回帰路線の作品群だった。のだけど。

 この作品、すさまじいパロディ・オマージュに溢れたオタク志向の作品になっていたのだ。

 まずガオガイガーというロボット。黒くて禍々しいデザインはマジンガーZの系譜であり、マジンガーZが「神にも悪魔にもなれる」と作中で言及されたのと同様悪魔的なシルエットを誇る。そして第一話でいきなり敵ロボットを踏みつけ、翼を引きちぎるという。シレーヌの翼を引きちぎるデビルマンのオマージュをかます。以後敵の翼を引きちぎるのはTV最終回や、OVAガオガイガーファイナルでも踏襲される決めシーンになる。さらにファイナルにおいて、ガオガイガーは究極の破壊神と呼ばれ、ますますマジンガー的になる。

 ガオガイガーの通常技に、ブロークンマグナムというロケットパンチがある。これは当然マジンガーZのオマージュだが、この名前、車田正美の「リングにかけろ」のフィニッシュブロー「ギャラクティカ・マグナム」のパクリである。バージョンアップしたスターガオガイガーになると「ブロークンファントム」であり、これも同じ「りんかけ」の「ギャラクティカ・ファントム」である。

 巨大ロボットがまちなかで戦闘すると現実的に考えて偉い被害が出る。これをなんとかすべく開発されたのが「ディバイディングドライバー」。これを打ち込むと空間を湾曲させて直径10kmの戦闘空間を作り出せる。毎週東京が廃墟になってたら物語続かないだろうというオタクツッコミへの対処である。なんかすげえ。

 当初敵幹部として登場した、やたら空を飛ぶことにこだわるピッツァ。90年代のアニメキャラとしては異様に鼻がでかい。これ、敵に洗脳されたかつてのサイボーグ戦士だったのだけど、同型サイボーグがかつてたくさんいたが、その生き残り。正式名称がJ-002って、サイボーグ009で飛行能力を持つ002ことジェットかよ!どおりで鼻でかいわけだよ。

 サイボーグJとセットで宇宙戦艦Jアークがあるのだけど、この戦艦には生体コンピューターが搭載されていて、これがキャプテンハーロックのトチローのイメージ。もうなんでもありだよ。


 ガオガイガーの中盤以降の必殺兵器、ゴルディオンハンマー。見た目は金色のピコピコハンマーなのだけど、これ、柳生博司会のクイズ番組、「100万円クイズハンター」の「ゴールデンハンマー」なんだわ。そんなあほらしいパロディ兵器だけど、正式名称が「グラビティショックウェーブ・ジェネレイティングツール」重力衝撃波であらゆる物質やエネルギーを光に変えてしまう凶悪兵器である。そしてそんな話をナレーションでぶっこむと、もう子供向けスーパーロボットアニメの枠をぶっとばしちゃうのだ。ちなみにナレーションは次元大介こと小林清志である。あの落ち着いたしぶい次元の声で毎週ひたすら暑い説明をかましてくれる。いったい誰に向けた作品なのか。

 「成功率なんてのはたんなる目安だ。あとは勇気で補えばいい!」に代表されるカッコイイセリフ。こっぱずかしいけれと心地いい。とにかく燃える。中二病なんて言葉はそもそもみんなが燃えるものであって、恥じる必要はない。「待たせたな!」といえば「ガイ兄ちゃん!!」と護少年が返してくれるのだ。

 ガオガイガーは、結局従来の勇者シリーズの視聴者層たる少年にあまり受けず、玩具が売れなかったことで、勇者シリーズを終わらせたと言われているけれど、まさに当時幼児だったうちの息子ははまってたし、ジャスコの児童コーナーでガイガーいじってたし、マイクサウンダース13世のおもちゃ、バリバリーンつきで買わされたし、それほど間違ってはいなかったと思う。というか親が夢中になって見ていた。

 そんな勇者王ガオガイガーOVAのファイナルの最後、勇者王たちは宇宙の彼方に置き去りになるが、続きを予感させるエンディングで締められている。売れ行きによっては続きの予定もあったらしいので、ぜひなんとか続いてほしいものである。

「二度目の人生を異世界で」騒動に見られるヘイトの「常識化」

vergil.hateblo.jp
 アニメの声優が降板するなど、炎上している「二度目の人生を異世界で」だが、上記ブログにあるように、大戦中に3000人斬殺した人物が主人公であるという点と、また、作者がTwitter上でヘイト言論を行っていた事で問題になったわけだ。実は作中で主人公はバトルマニアっぽいところはあるものの、わりと普通に主人公してるので、この設定正直いらなかったりするのだが、それはさておいて。

 「小説家になろう」等のWeb小説で、主に中国韓国が登場する際に、2000年代以降のネット言論の影響が結構見受けられる。具体的な作品名をあげると炎上して続きが読めなくなる恐れがあるのでここでは避けるが、たとえば異世界で勇者をした日本人青年が、日本に戻ってきて社会の悪と戦うある作品では、主人公の活動がマスコミに無視もしくは悪意を持って喧伝される。実はマスコミに悪を行ってる「K国」や「C国」の人間が大量に混じっており、政治家にも影響を及ぼしてるという具合で、「マスコミ、野党、はては与党のアジア宥和派が特定アジアの手先となって反日工作をしている」というネット上の言論をトレースした設定が使われる。
 別の作品で、異世界で活動する元日本人が、日本とのゲートが開いて日本と行き来することになるが、この作品では中国を「中ノ華」という国名で、非道な軍事侵略国家として描き、日本のマスコミや政府にもスパイがわんさかいて、主人公は工作員に悩まされる。公安の一部なんかは味方してくれるのだが、日本の民衆や政府が中ノ華の手先に扇動されてるのでなかなかにやっかいという感じ。
 また別の作品で、異世界の魔族を率いる女王の治める小国の話がある。この国は人間の国に負けて弱っている。かつて支配していたゴブリンの小国は人間の国に鞍替えして全く正当性のないところでもやたらとうるさく騒いで「謝罪と賠償」を要求する。あきらかにネット上の韓国イメージを投影している。


 これらの作品の作者は必ずしも差別主義者であるわけではないだろう。読者が喜びそうな設定として中韓ヘイトを取り入れたのか、自分で信じているのかはわからないが、それは漠然としたネット上の雰囲気。中国や韓国を馬鹿にすれば楽しい、受けるという暗黙の合意を取り入れていると思われる。フィクションの設定であるし、それらのヘイト(作者は現実的なヘイトとは思っていないだろう)もフィクション上の悪役のわかりやすさであるとすれば、面白い作品の要素ではあるし、作品を中断させたくはない。だけど、中国や韓国出身の友達に、自分の作品を読んでもらったときにどう思われるか、すこしだけ考えてほしいと思う。

銀河英雄伝説のOVAはバブル時代ならではの企画

 現在銀河英雄伝説 Die Neue Theseが放送されているが、1988年に開始された石黒昇監督版は、当時としても特殊な販売形態をとっていた。あの企画が通ったのは、バブル時代ならではでなかったかと思う。

 1980年代、家庭用ビデオデッキが普及し始め、レンタルビデオ店が生まれた。それまでアニメは劇場公開用大作か、TVでの大手企業がスポンサーとなって制作されるものだった。ビデオの普及に伴って、セル及びレンタルでの、ビデオ用に新作アニメを制作するという、OVA作品が生まれていくが、これは当初実験的な一話完結ものが中心で、人気が出ても数話程度。映画とテレビの中間的な長さ、40分~60分くらいのものが多かった。また、ビデオテープは案外容積を食うので、長期連続の50本とか100本を売るという発想にはなかなか至らなかった。パイオニアレーザーディスクがヒットした時期に、30cmと面積はでかいが、薄いためにTVシリーズの全話ボックスという発想が生まれる。200話になんなんとするうる星やつら全話LDボックス(50枚組)が33万円という価格でアニメオタクたちに大ヒットした。これが1987年。バブル経済の開始と言われる時代である。この事件が、「オタクはコンテンツに限りなく金を出す」という根拠になる。

 今一度確認しよう。当時のアニメシリーズというものは、大手企業のスポンサードで制作されていた。MXや地方局の深夜枠で宣伝して円盤を売るビジネスが成立しておらず、あくまで製菓、玩具、薬品等の日用品メーカーが、自社のCMを流して視聴者に社名や商品を覚えてもらう代償としてアニメを放送していた。すなわち、コンテンツ自体を売るのではなく、コンテンツに惹かれてきた消費者を捕まえる餌だったのだ。この時代、TVで放送されるのは、アニメオタクではないスポンサーを説得できる作品であり、人気漫画原作であるとか、従来放送されてきた作品の延長だった。その中で、石黒監督がそらくハマったであろう小説版銀英伝のアニメ化は難しい話だった。

 新書10巻の原作、そして当時のアニメ監督の視点で補完すべき要素、SFの説明に必要な部分など、諸々足すとかなりの長編になる。バブル時代以前、70年代末から、アニメブームは始まっており、しかも都合のいいことにSFのアニメ全盛期だった。というか、石黒監督が作った宇宙戦艦ヤマトがアニメブームを牽引した。ヤマトの監督は表向き松本零士先生だが、アニメとしての監督は石黒昇である。ヤマトの西崎プロデューサーみたいに、口八丁手八丁でTV曲を騙すことは石黒監督にはできなかったんだろうと思うが、とにかくも、長編OVAを一本作成し、映画公開して映倫マークをつけることで箔をつけることは可能だった。バブルが始まったあのころ、TVシリーズパイロット版として映画兼OVA
制作することはよく行われた。

 映画、ドラマに限らず、スポンサーに見せて制作予算を得るためのパイロット版という作品は制作される。「こういう作品を考えてます。投資して下さい」というためのものだ。昔はほんとうにスポンサーに見せるためだけの短編を制作していたのだが、銀英伝の場合はこれが劇場用第一作「わが征くは星の大海」という60分の作品になる。これは宇宙暦795年の惑星レグニッツァの戦いと、第四次ティアマト会戦を描いた作品で、原作の外伝を膨らませて、ヤン・ウェンリーを活躍させ、原作後半で登場するアッテンボローも登場させ、原作最終盤のブリュンヒルト突撃作戦までをも混ぜた、原作本編のいいところをすべて取り込んで一本の作品にまとめたものだ。いわば銀英伝のエッセンスをすべて詰め込んだ作品である。これを劇場公開した結果、TV放送枠はとれなかったが、マニアが買うと判断されたのか、毎週一話制作された25分のアニメを、VHSテープで予め申し込んだ人に通信販売という、極めて特殊な販売形態がとられることになる。このとき、一話一本の価格は2500円プラス送料500円。つまり毎週3000円を支払い続けるという契約が結ばれた。

 うる星やつらLDボックスが、33万円で売れたのが1987年。銀英伝OVAを開始が1988年。当時銀英伝が最終的に何話になるか決まってなかったと思うが、100話になっても30万円だから、オタクは買ってくれると見込んだと想像できる。この微妙に高い見込み発車感がいかにもバブル時代だなあと思うのだ。現代なら、ディアゴスティーニも毎週3000円の本は売らないんじゃないかなあ。