カップヌードルのフタ止めシール廃止に思うこと。

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 6月4日、日清食品カップヌードルのフタ止めシールを廃止することを発表した。世界的なプラスチックごみ削減の流れに乗ったものらしい。大変便利な仕組みだったので惜しまれるのだが、実のところあれそんなに必要ではないのだ。調理中に蓋がぺろんと開いたところでお湯が極端にぬるくなって調理に失敗しるということもない。確か昔再利用可能なプラスチックのカップと詰め替え麺のリフィルを発売したとき、蓋をしないで調理することが推奨されていた記憶があるくらいだ。まあめっちゃ気温が低いとかいう場合もあるだろうから、蓋できたほうがいいけどね。

 ところであのフタ止めシール、昔はフタ止めだけじゃなくて、開封の役目も果たしていた。

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初期蓋止めシール1

 シュリンクラップの底の部分にU字型の切れ込みがあり、フタ止めシールはそれを覆うように貼られていたのだ。
 これをはがすことで、ラップは大きく切り裂かれ、ラップの開封が容易になる仕組みだ。

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フタ止めシールをはがした図

 この方式の弱点として、シュリンクラップの破れた欠片がフタ止めシールにくっついてきてしまうというものがあった。このままフタ止めに使うとラップを挟むことになるので、接着力が弱くなり、ぺろんとフタが開いてしまうことがあった。シールからラップの欠片を綺麗にはがすのは存外難しく、手油がつくとそれも接着力を弱める結果になる。これが解決されたのはカップの素材が発泡スチロールから2008年に断熱紙に変更されてからだ。

 カップヌードルは1971年に発売されたが、当時からかなり最近まで発泡スチロール容器が用いられてきた。熱湯を入れる関係上、断熱性の確保は重要で、その能力において、発泡スチロールに勝るものはなかった。これも初期の頃は特許を取られていたのか、薄くて丈夫なスチロール容器を作るノウハウがなかったのか、日清以外は追随できず、サッポロ一番カップスターなどはプラコップに波型の板を張り付け、段ボールみたいな中空構造で熱を遮断することを余儀なくされた。そして、この発泡スチロール製のカップは、底に隙間がなかったのだ。

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スチロールカップと紙カップ

 現在の断熱紙カップを使用したカップヌードルでは、底に指先を突き刺せば容易に穴が開き、ラップを破ることができるが、スチロールカップの時代は隙間がほとんどなく、指で穴をあけるのがほぼ不可能だった。日清食品は、カップヌードルの容器を紙に変更する際、底に隙間を作り、フタ止めシールの下の切れ込みを廃止した。なのでこれ以降は、シールをはがしてもラップの欠片がくっついでくることはなくなったのである。

 お分かりだろうか。このとき、フタ止めシールの二つの機能、ラップ開封と、フタ止めのうちの一つが消滅していたということに…

 カップヌードルシュリンク包装は1971年の発売時には行われていたと記憶しているのだが、フタ止めシールが登場する1984年以前、どうやって開封していたか記憶がない。たぶんミシン目があって左右に広げる形が、テープが巻かれていてそれを引っ張る形だったと思うのだけど。どっちにしても開封に苦労するような仕組みではなかったと思うのだ。

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フタ止めシール以前の開封

 ではそもそもなぜフタ止めシールが登場したのかという話だが、これ、グリコ・森永事件の影響ではなかったかと思う。1984年に江崎グリコ社長が誘拐された事件にはじまって、お菓子に青酸化合物を注入されるという事件が起こり、食品メーカー各社が厳密な封印を施し、開封されたら一目でわかるシールや、簡単に開けられない包装などを採用せざるを得なくなった。要するに開封したら戻せない、注射器などで穴をあけたらわかるというのを各社工夫したわけだ。カップヌードルの当時の開封方法を覚えていないのであれだけど、ミシン目やテープ方式だと隙間から毒物を入れられるかもと恐れてあのフタ止めシールを採用したのではないかなあ。

 考えてみると、カップヌードルの紙カップ化も、一時期発泡スチロールが有害な環境ホルモンを出すのではと疑われたことがきっかけじゃなかったろうか。確か同じような時期に、マクドナルドがハンバーガー容器を発泡スチロールから紙に変更してるよね。

 そして今プラごみ削減のために、開封補助の意味がすでに失われたフタ止めシールを廃止する。50年の歴史がものすごく感じられる話だよねえ。
 

キリスト教聖遺物収集家ヘレナとは

 イエス・キリスト磔刑になったとされる十字架、その十字架にイエスの体を打ちつけた釘、100人隊長ロンギヌスがイエスの脇腹を刺した槍といった聖遺物。ヨーロッパの複数の教会にいまでも飾られて信仰を集めているのだが、これらを収集したのがローマ帝国皇帝コンスタンティヌス一世の母ヘレナである。彼女は一節には息子コンスタンティヌスの依頼でローマからはるばるエルサレムに赴き、ゴルゴダの処刑場の跡地で十字架や釘等を発見したとされている。皇帝の母親なのですでにそれなりに高齢のおばあちゃんだったろうと思われるのだが、すごい根性である。

 さて、イエス・キリストが処刑されたのは西暦30年前後とされているが、その少しあとからユダヤは大変なことになる。長年のローマ支配、横暴に耐えられなくなったユダヤ人は66年、ローマに対し戦争を起こす。一時はローマ人を駆逐する勢いだったが、帝国が本腰を入れて攻略にかかるとエルサレムの第二神殿は完璧に破壊され、市街地ほぼ更地にされる。マサダの山岳要塞も補給を絶たれ悲惨な集団自決になる。エルサレムは、再建されることなく野獣の徘徊する荒野となったとされている。当時の皇帝ハドリアヌスエルサレムの再建を約束したが、それはアエリア・カピトリーナという新しい名前の都市で、エルサレム神殿跡にはユピテル神殿が築かれ、ユダヤ人の立ち入りが禁止されるという事実上の追放だった。また、ユダヤ教徒の条件であった割礼を禁止するというおまけまでついた。これにユダヤ人がぶちきれ、132年、メシヤを自称するバル・コクバが反乱を起こす。これに対するローマの弾圧は凄まじいもので、前回の戦争を繰り返し、抵抗勢力は殺戮されるか奴隷化され、属州ユダヤは属州パレスチナに改名される。パレスチナとは「ペリシテ人の地」という意味である。かつてユダヤ人の仇敵だったペリシテ人の土地であると宣言することで、ユダヤ人を完全に締め出す政策を敷いたわけだ。

 つまり、イエス死後ユダヤ王国はローマにこれでもかと蹂躙され、ユダヤ教伝統施設はほとんど破壊され尽くし、ローマ多神教の神殿が立ち並ぶローマ属州に徹底改造されてた。ヘレナがやってくるのはこの時代からさらに100年くらい経過した320年である。実際問題、イエス処刑から数えると300年近く経過し、エルサレム神殿嘆きの壁しか残っておらず。街はローマ風にすっかり作り変えられ、ローマ神殿が立ち並んでいる。いったいどこが「ゴルゴダの丘」なのかもわからない。こんなとこでローマからはるばるやってきたおばあちゃんがイエスの処刑された十字架、釘、槍なんてどうやって発見できるというのだろうか。

 なお、ヘレナの伝説では、ヘロデ大王にイエスの誕生を告げた東方の三博士(マギ)の遺体を発見したとか、マリアがイエスを馬小屋で出産したときに使った馬草を持ち帰ったなんてのもある。いやどうやってだよ!!

 考えてほしい。ある人がしんだとされる300年後に、戦争ですっかり変わったその街に行って、その人が死んだときの異物を発見できるかどうか。十字架とか釘とか槍とか、罪人の処刑に一般に使われたものなら、もし本当にそれらを見つけてもイエスのものだとはとうてい判断できないだろう。てか、罪人の処刑に使われた十字架なんて、十把一絡げで焼却されるんじゃねえの?

 66年からユダヤ戦争が始まって、当時エルサレムにいただろうイエスの直弟子たち、いわゆる12使徒による初代教会は「まったく痕跡を残さず消滅」している。ローマに布教したのは異邦人パウロであり、キリスト教の伝承はリアルなものというより、二次創作的な空気が漂う。使徒行伝を愚直に信じれば12使徒は当時のローマ帝国にそれぞれ散って殉教とかしながらキリスト教を根付かせたことになってるけど、あれ、たぶん西暦120年くらいにかかれてて、ローマ戦争後に創作されてるきらいが多いんだよね。

 てなわけで、パウロがひろめ、当事者不在で伝説が作られ、それを真に受けた中世の協会が、コンスタンティヌスの母に責任おっかぶせて、偽造した聖遺物を権威付けしたんじゃねえかなーと思うのです。

複数の家賃保証会社と同時契約していたので家賃を二重に取られた話

 さて、現在住んでいる貸家なのだが、センチュリー21系列のA社が所有していて、A社から賃貸契約で借りた。なお、家賃保証会社のB社を入れて、家賃はB社への口座引き落とし払ということになった。一年ほどしてA社は売買物件中心に事業を集中し、賃貸物件の扱いは子会社のA'社を作ってそちらに移した。どうも賃貸事業を縮小する方針だったらしい。ということで、最終的にこの家のオーナーが、中国江蘇省のCさんになりますという通知が来た。契約条件等はいままでと同じということで、特に問題なく「ふーんそうなのね」くらいの話だが、いやちょっとまて、オーナー件管理会社だったA社が、中国人のCさんに物件を販売するのはいいとして、管理業務はどこが行うのだ?中国の江蘇省とやりとりしなきゃいかんのか?と思ったが、どうやら管理はエイブル系のC社の担当になったようで、C社から、「家賃保証会社はD社になるのでこの書類で申し込んでください」といってきた。

 ちょっと忙しかったので手続きをすぐにしないでいたのだが、従前どおりのB社の引き落としで家賃が支払えていたので急がなかった。しかし再度C社から「あのー、D社への申込み早くお願いします」と手紙が来たので、さすがに悪いと思って手続きをした。なお、D社はクレジットカード会社であり、そのサービスの一環として家賃保証サービスをやっている模様。というわけで申し込みにはクレカの申請も含まれる。ただし、クレカの審査に通らなくても口座引き落としで家賃収納は可能という話だった。手続きに乗り気でなかったのはこのせいもある。僕は2年前に債務整理手続きを弁護士に委託し、その過程でいわゆるブラックリスト入りをしているので、現在クレカの申請は通らないのだ。まあ通らなくてもいいようなので、いやいや申込み。案の定クレカは通らなかったが、口座引落の手続きは進んだ。

 2020年12月下旬に、D社からコンビニ振込用紙が届く。いわく手続きタイミングの関係で今月の引き落としは間に合わないので振込用紙で支払ってほしいとのこと。なのでコンビニで家賃を払う。

 12月27日、以前の家賃保証会社だったB社により、口座から家賃が引き落とされる。つまり、二重に家賃を支払ったことになる。「あれ?」と思ったのだが、申込みタイミングのせいでこんなことになったのだろうと思い、D社に電話して事情説明、D社からは「うちは家賃収納だけなので、管理会社のC社に聞いてくれ」と言われ、C社に電話し、「これこれこういうわけで、まえの代行会社と新しい代行会社に二重に家賃払っちゃんですけど」と言ったら、「あ、そうですかー、それじゃ一ヶ月分返金しますね」と返金がなされた。



 2021年1月27日、一ヶ月分の家賃だけ入れておいた口座から家賃が引き落とされたが、その引き落とし先がどうもB社っぽい。数日後案の定、D社から電話で「家賃が引き落とせなかった」と電話。ただし機械音声で、プッシュボタンで選択肢を選ばせる電話なので、「支払い済み」の番号を押して済ませた。

 数日後ふたたびD社から電話があったので、「その他」を選んでオペレーターにつないでもらい、以前の家賃保証会社がいまも引き落としているようだと話したところ、「じゃあそちらから返金してもらってうちに振り込んでもらえますか?」と、ん??ちょっとまてよ。なんでそんなことしなきゃいけないんだ??? どちらが引き落としたにしても中国の大家にはいくわけだろ??「とにかくB社に問い合わせてみます」と電話を切る。

 B社に電話したところ、「うちは一切契約終了のお知らせ頂いてないので家賃収納手続きを普通にやってるだけですよ」ということだったので、「すいませんがC社の方と確認していただけますか」と伝えて電話を切った。これで旧保証会社のB社から、現管理会社のC社に話が行き、そこからD社に話がいってうまいことまとまると思ったのだが…

 数日後またまたD社から電話があり、「B社から返金してもらってうちに振り込んでもらうという話でしたけどどうなってます?」と。全然話伝わってないじゃねえか。「いやそう言われたけど事情がわからないから、B社に電話するって言いましたよね。B社に言ってC社に連絡して確認してもらうように言ったので、そちらにも話がいってるかと思ったのですが」「いや来てないですねえ」「それじゃそちらからC社に確認していただけますか??」といったら、

 「うちからC社には連絡できないんです。あなたからC社に連絡して、結果をうちに教えて下さい」

 なんじゃそりゃー!!!!!

 D社ことエポスカードは、C社ことエイブル小田急相模原店には家賃保証契約の行き違いを問い合わせることができなくて、貸家の店子にその業務をさせるみたいですよ。まじで理解できないのだけど…

 しょうがないので、エイブル小田急相模原店に電話。ここ、いつも話し中で繋がりにくいのだけど、頑張って連絡取りました。すると…
 「ああ、B社ことエルズサポートさんから数日前に電話がありまして、契約はちゃんと終わっていますよ。いまはエポスカードに切り替わってるので安心してください」「いやそのエポスカードから、エルズサポートから返金してこっちに振り込めと言ってきてるんですが」「あーそうですかー、じゃあ返金手続きしますから」…なんだろうこのなにもかも行き違っている感…


 翌日再度エポスカードに電話、「機能電話いただいた後藤です。あのあとエイブルに電話した結果返金してもらうことになったので振込口座を教えて下さい」「えーっと、後藤さんの家賃ですが、入金処理されてますね。振り込みは不要ですよ、返金ってなんのことですか??」

 はあ~~~~????

 いやもう、なにをどうしたらこんなことになるのか……ほんとに困る。いまのところ口座への返金はないし、家賃がエポスカードに行ってるなら返金してもらっても困る。そして電話してもいつも話し中のエイブル小田急相模原店に電話を掛ける気力も失せた。なんかその…家賃保証会社の切り替えとか、上の方できちんと連絡とってやってくれるのがあたりまえじゃないのかなあ。

YoutubeのLINE系スカッと動画の謎

最近 Youtubeでなんだか独特のアニメーションを使用した動画が多数登録されていることに気づいた。
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なんかこういうの。
ちなみにこの動画は、『【LINE】「引きこもりニートは出て行け!」と私の物を捨てた毒親の母→在宅ワークを理解せず家から追い出した母の末路ww【スカッとする話】』というタイトルで、主人公はフリーランス在宅ワークでめっちゃ稼いでるのに親は全くそれを理解できず世間様に顔向けできないニートだと糾弾して主人公を追い出す。後に主人公が実は高給取りだったということを知って恥知らずにも「今までの恩を返せ」とか言ってきて拒否され、ざまぁみたいな話。
これ系は、在宅ワークを理解しない家族、ありえないほど邪悪な姑、兄弟の一方だけを溺愛して主人公をありえないほど迫害する親みたいな、昭和の不幸漫画か、ワイドショーのゴシップみたいなストーリーが多い。この種の動画をアップロードしているチャンネルは数多いのだが、その多くが2019年から2020年に開設されていて、最近急に増えているようだ。なんだろうこれ…
このアニメーションに使用されているのは、米国製のVYOND(ビヨンド)というビジネスアニメーション制作ツールらしい。公開されているアニメの画面を見るとおそらく素材として用意されているらしい背景画像などはあきらかに米国のそれだし、キャラクターの動作が「やれやれポーズ」とかなにかの情報を指し示すための両手を広げたポーズとかで組み立てられていて、ああ、パワポでのプレゼンみたいなところで挿入するアレなんだろうなと思うのだ。ちなみにVYONDって、日本の代理店からだと、最低15万円の高額ツールである。
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これを使うなんだか嫁姑戦争みたいなアニメーションが大量に作られているの、自然発生的な流行とは思えないのだが、なんなんだろう。

これらの動画には、「#LINE #スカッとする話 #修羅場」などのタグが付けられていることも多い。LINEタグについてだけど、これらの動画では、登場人物たちが、ほぼ例外なくひたすらLINEで会話し続ける。姑からLINEで暴言を吐かれまくって、最終的にそのLINEのスクショを証拠提出して損害賠償を得るみたいな話が多い。「物語」「フィクション」として構築された作品としての動画作品で、なぜかすべて「LINE」だけは実名で登場している。作中の主人公が勤める会社とかはもちろん架空で、○○商事とか書かれているし、一般できなSNSにしてもTwitterFacebookといいう企業名は出さず「SNS」で済ましているのだが、なぜか全ての動画で「LINE」だけは実名なのだ。あ、Youtubeもわりと実名で登場している。まあ、Youtubeそもそも動画登録先だからな。これ系でよく使われる「在宅ワークが理解してもらえない」系の動画では、在宅プログラマー、在宅イラストレーター^、漫画家、トレーダーに加えて、Youtuberも在宅ワークと一種として登場するので。

しかしそれにしてもこれらの動画におけるLINEの重要度は異様だと思うのだ。大半の作品で、悪役が安易にLINEで異常な罵倒を送ってきたのでそのログを提出して裁判で多額の慰謝料をもらえましたみたいな話だし。ぶっちゃけLINE株式会社がLINE画面を登場させることを条件に支援金出してるんじゃねえのかと疑いたくなる。



ちなみに、これ系動画の中には、VYONDアニメを使わず、カラー漫画をつなげたものもある。
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ただ、これらの多くはなんというか、商業レベルに達していないというか…ちょっと微妙なのです。

さらに、VYONDもスカウトした漫画家も存在しない、ただLINE画面の会話だけで終始するチャンネルもある。LINEテキスト系というか。
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これって何なんでしょうか。LINE株式会社のステマなんでしょうか…テキスト系、漫画系、VYOND系のLINE動画たち。なぜ最近こんなのが増加しているのか。LINE株式会社がYoutubeに動画投稿することに報酬を出してるのでしょうか。高価なVYONDを買わせてYoutubeで回収できるよと煽ってる代理店でもあるのでしょうか。


ちなみに僕的には、VYOND系ならモニロボ、テキスト系ならだめてんがなかなかおもしろいと思います。
www.youtube.com
www.youtube.com
モニロボは、単純に演出が好きだし、だめてんは声優の特殊演技がとても面白い。

夢の8ビットコンピューター製造計画を見た

www.commanderx16.com

Commander X16 というコンピューター。8-Bit Guy という技術系Youtuberが提唱したものなのだけど、なかなかに面白い。8-Bit Guyはそもそもレトロパソコンの紹介やレストア動画を上げている人で、Commodoreの8ビットコンピュータが好きらしい。つまり自分たちが子供の頃に弄り回した8ビットパソコンを現代の人たちにも提供したいという動機のようだ。
www.youtube.com
夢のコンピューターを作る Part1

www.youtube.com
夢のコンピューターを作る Part2

(最近のYoutube自動翻訳は以前に比べるとわりとまともで理解できる文章を生成するので、日本語字幕にして見るとよい。)

 これらの動画を見ると、視聴者にヴィンテージコンピューターのおすすめをよく聞かれるが、中古のそれらはどんどん値上がりしているし、専用モニターが必用だったりフロッピーやカセットなどのレガシーで扱いにくいデバイスに依存している、そもそも経年劣化で動かないものも多く、あまりおすすめできない。じゃあ現役のパーツで、VGAもしくはHDMIに出力でき、現代的なストレージに保存できるようなシステムを作ったら楽しいんじゃないかとそういう感じ。コモドールのパソコンに似たものにはするが、あくまで新規にパソコンというものの仕組みやプログラミングの楽しさを学ぶのが目的なので、C64などの実在のパソコンと互換性を保つ必要はなかろう。そんな感じで設計が進んでいく。CPUは6502。メモリを大きく取りたいので65816もいいけど、アドレスの上位8ビットがデータと同じピンで、これをデコードする回路つけるのめっちゃ大変だからやっぱ6502。あと昔のパソコンはビデオ出力に自社製特殊チップを使用していて、現代においてそれらは入手が難しい。できればディスクリート部品のみで作成したいがビデオ回路はFPGAを使用してもいいんじゃないかと関係者に声をかけて、Veraというビデオボードが開発される。これは640✖480のビットマップまたはタイルグラフィックとスプライトが扱え、最大256色出力可能。なお、ビデオボード側に128KBのVRAMを搭載して、CPU側からはIOポート通じてアクセスすることになる。なんか徐々にMSXめいてきたぞこれ。

 なお、サウンドチップもC64で有名なSIDチップはコモドール製の音源で現在では新品の入手が不可能なので、AY-3-8910を搭載する方向で進んでいく。ますますMSXだこれ。と思ったが、周波数を8MHzにしようとしたらうまく動かないので、最終完成品では使用しないことになったとか。クロックを分周して音源部分に制御回路つければいいのだろうけど、できるだけシンプルにという方向性から、音源を変えることになる模様だ。6502の現代バージョンである65C02Sは最高14MHzまで動作するらしく、これを8MHzで動かしたいらしい。ちなみにRAMは今の時代なので8ビットコンピューターに搭載する量ならSRAMでも1000円とか2000円とかで買える。なのでSRAMを採用していて、ボード全体で8MHz走らせてもノーウェイトだ。なるほど、まさにあの頃から考えたら夢の8ビットパソコンだ。

 最終目標は$50~$100で販売できるシンプルな8ビットコンピューターだが、これを三段階で考えて、最初はMicro-ATXサイズのボードにDIPパッケージのICを載せて試作。次に表面実装部品を使ったMini-ITXサイズのボードを作って、最終的にはFPGA化してラズパイサイズの小さく安いものを作り上げるという計画。既存のマザーボードサイズに合わせているのは既存のPCケースを使えるようにという考えもあるっぽい。

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段階的リリースの図

 メモリーマップがなかなかふるっていて面白い。

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Commander X16 メモリーマップ

40KB弱の連続エリアを確保して、そこをBASIC用プログラム格納領域にする。少ないと思うだろうが、BASICで40KB超えるプログラムを見たことがないと語る8-Bit Guy。I/Oエリアを挟んで8KBをバンク切り替えで256バンク、最大2MB扱えるようにする。そこにマップや画像などを格納しておけばいい。その後ろにはこれもバンク切り替えで各種ROMルーチンが収められる。

 ハードウェアはまだ試作中だが、エミュレーターが提供されているので、どんなコンピューターなのかいじってみることはできる。現状残念ながら日本語配列キーボードをサポートしていないので、BASICでプログラムを打ち込むだけでもダブルクオートやら+やらがどこにあるのか手探りで探す必要がある。また、日本ではVIC-1001以降コモドールのパソコンは国内メーカー製に押されて半ば撤退状態。アメリカほどPETやVIC,C64を経験した人がおらず、昔の記憶でスイスイいじれるという人は少ないと思われる。とはいってもなんというかワクワクする企画である。

恵方巻きは呪詛。気持ち悪い。

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 なにかコンビニが定期売上イベントにしてしまった恵方巻。あれ気持ち悪くないか?

 恵方巻きは、太巻きを、その年の恵方に向かって、無言で食べきる行事とされている。関西の一部地方で生まれた風習らしいのだが。そもそも。その年の恵方というのがピンとこない。陰陽道で、その年の福徳を司る神が毎年変わる。その神の座す方角が恵方である。もう陰陽道という段階で呪術的だ。そして無言。言葉を発してはいけないというのは禁忌であり、破ればなんらかの祟りがありそうだ。「方角」と「言葉」が縛られている。あからさまに呪術っぽい。

 節分前にスーパーに行ったら床にコンパスが描かれていて、矢印のところに「今年の恵方」と書かれていた。いや親切だが、このスーパーで恵方巻きを買って、家に帰って、スーパーの床に書かれていた恵方を再現できるのだろうか。そう、恵方の判定は本来陰陽寮の博士とかが算出して民衆に示すようなものなのだ。呪術師が本格的に呪を為すための秘匿技術である。言葉を発してはいけないというのは、鬼や死霊に見つからないための知恵である。耳なし芳一の故事にもある。

 太巻きを一本まるごと無言で食べきる。しかも一方方向を向いてということは、途中で口を離して汁物を飲むのもNGである。汁を飲むために顔の角度が変わるかもしれない。結構苦行である。

 太巻きを食べる作法、角度や無言を破った場合にどうなるのかという説明はない。しかし、これだけ縛りをきつくした呪術なら、わずかに角度を間違ったり、ため息程度でも音を発したら、たちまち床下から黒い手が無数に生えてきて、失敗した人を冥府に引きずり込むような恐ろしさを感じる。

 この風習が、1990年代あたりから、コンビニ各社に取り入れられ、急速に全国に広まり、コンビニ本部からの事実上のノルマ押しつけでバイト諸君が自爆買いせざるを得なくなったわけだが。そんな犠牲を払ってこのような暗黒呪術にしか思えない風習を広めてよいのだろうか。とても気持ち悪いと思うのだ。単純に、たとえば5人家族全員が、茶の間で全員同じ方向を向いて、一切口を開かず一心に太巻きをもりもり食べきる絵面を想像するだけでもとても気持ち悪い。

古よりのMacintosh批判への答え

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 この記事、気持ちとしてはなるほどなあとは思うのだ。Macは伝統的に「オシャレ」で「カッコよく」「コンピューターの理想」で「使わないやつは馬鹿」みたいな傲慢さを醸し出していた。ついでに高価なので使う人を単純に値段で選別していた。しかし、実際のところ、そんなにMacユーザーがDOSWindowsのユーザーをいちいち小馬鹿にしたりしてはいなかったし、CMでもMac以外をdisることはなかった。いやラーメンズのCMとかあったじゃんと思うでしょ。あれもうすっかりMacの優位性失われた後のもので、むしろMacユーザー側が「うわ、かっこ悪いからやめてほしいなあ」と思ったものだ。少なくとも日本のテレビでMacのCMなんて、キャノン販売が代理店やってた時代の、観音の絵のやつとか、なにひとつ優位性を語るどころか、意味すらわからないぼんやりファッショナブルなものがごく少数あっただけだと思うぞ。雑誌広告でもそりゃあ「Appleならなにができる」的なものはあっても、他のパソコンをdisるものなんてほとんど見た覚えがない。

 1990年当時ならまだClassic MacOSの時代だ。対象が「黒い画面をキーボードでいじっている」ならDOSであろう。DOSであろうとROM BASICであろうと、Macのビットマップ画面主体のOSとは全く違っていたから、大きなパラダイムの転換があった。Macは、DOSUNIXGUIを追加したものではない。最初からGUIオンリーのシステムとして作られている。なのでコンソール画面というものが一切存在しない。初代Macintoshにはカーソルキーすら搭載されなかった。これはジョブズが「マウスを使わせる」ためにそうしたと言われている。後のモデルではカーソルキーが搭載されるようになったが、とにかくマウス主体の操作を覚えさせるためにその使用を強制させたのだ。当時は今と違ってポインティングデバイスという物自体が「新しい物」だった。Macを購入すると、本体にマウスは付属していたが、キーボードは別売りだったのだ。その意味で「マウスだけで操作できる」は極端ではあるが間違いではない。なんならソフトウエアキーボードをマウスでクリックすれば文字も入力できる。もちろん実用的ではないので普通キーボードも購入したが。対象的なのがWindowsで、こちらは「マウスがなくても操作ができる」のである。キーボードからメニューを開き、メニューの頭文字を打ち込むことでメニュー選択と同等の結果を得られる。これは本当に考え方の違いである。

 コントロールキーがなく、コマンドキーがその代わりだとあるが、逆である。コントロールキーはもともとコントロールコードを端末に入力するためのもので、コンソールがないMacには不要とされていた。コマンドキーは「命令を打ち込む」ためのもので、メニュー項目のうち、何度も使うものに「キーボードショートカット」が割り当てられていた。マウス操作による命令の代替手段である。LisaとMacでCommand-Zがアンドゥー、Command-Xがカット、Command-Cがコピー、Command-Vがペースト、というショートカットが標準化された。ペーストがなぜPじゃないんだという話だが、Xがハサミ、Vがピンセットという説もあるが、実際のところキーボード左下列にZXCVが並んでいるというのが一番の理由だろう。Commandキーと組み合わせて、左手で素早く操作できる。これらが頻繁に使用するショートカットであるからここにまとめられていたと考えられる。命令の単語の頭文字は必要なのではないのだ。それが必要なのはWindowsのキーボードアクセラレータであって、Macのキーボードショートカットは、あくまでメニューをマウスで使用しているうちに何度も見るショートカットを覚え、やがてキーボードから素早く使えるようになるという学習段階を考えたものである。そして、コントロールキーがないからCtrtl-Cの代わりにCommand-Cを割り当てたのではない。逆である。MacでCommand-C,X,V,Zが普及したからWindwsなどでも使われるようになった。さらにメニューの命令を実行するためのコマンドキーが存在しなかったから、コントロールコード用のCtrlキーを代用したのだ。

 Windowsのキーボードアクセラレータは、原則的に全てのメニュー項目につけるものだ。英語版なら単に頭文字である。Fでファイルメニューを開き、Oで書類を開くというように使う。つまりマウス無しで使用するためのものだ。それに対し、Macの場合は頻繁に使用するメニューにショートカットを割り当てる。それ以外はマウスを使うしかない。マウスがすべての操作の基本で、その中で覚えられる範囲で頻繁に使う機能をキーから入力できるようにしていた。

 Macマルチタスクであるかどうかについては、初期の頃は完全なシングルタスクだった。ただしアップルメニューから呼び出せる小さなプログラム(デスクアクセサリー)はアプリケーションの空き領域に読み込まれてイベントを受け取ることができたのでマルチタスク的に使用できた。その後、コオペラティブマルチタスクが導入され、プリエンプティブマルチタスクの導入は計画がされたが難航し、最終的にNeXTの買収によるMac OS Xによって実現される。ここで思い出として語られているのはおそらくコオペラティブマルチタスクが実装された頃ではないかと思う。あるいはマルチタスク化されず本当に切り替えだけしていたSwitcherの頃の話かもしれないが、どっちにしろ大した違いはない。メモリ保護に関しては68000系CPUを使用していた時代は全くなされていなかったし、PowerPCの時代になってもOS Xまではまともになされていなかったと思う。それは事実なので仕方ない。プログラムがOSを容易に落とすことができたのは確かである。ただここからの話がわからない。

何より皮肉なのは、panic後のコンソール画面はDOSと同じ「黒い画面」ということだった。これには大笑いさせてもらった。背景を白のままに維持しておくぐらい簡単だと思うのに、なぜかデバッグは黒い画面を相手にキーボードで操作しなければならないのだ。

 大笑いしてもらって申し訳ないが、当時のMacintoshには黒いコンソール画面は存在しなかった。ビットマップとウィンドウからなる画面を表示するための機能はあったが、全画面に黒字に白で文字を流すような機能自体がROMにもOSファイルにも含まれていなかった。起動時にMacsBugというデバッガを読み込ませているなら、クラッシュの際に運が良ければデバッガ画面にいけたが、これが白地に黒である。なお、開発者でなければ普通MacsBugなんて使わないので、このような画面を一度も見たことのないユーザーの方が多いと思う。
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 90年代のMacでシステムクラッシュを起こすことをpanicとは呼ばなかったし、これはOS Xの時代の記憶が混ざっているのではないだろうか。あちらはUNIXベースなのでコンソール画面を搭載していたし、しかしその頃になるとアプリケーションからカーネルパニックを起こすのは難しくなっていたと思うのだが…

 なお、僕自身は昔Macユーザーだったが、現在は主に金銭的理由でショップブランド改造PCでWindows 10 を使用しており、特に不満もない。