銀河英雄伝説のOVAはバブル時代ならではの企画

 現在銀河英雄伝説 Die Neue Theseが放送されているが、1988年に開始された石黒昇監督版は、当時としても特殊な販売形態をとっていた。あの企画が通ったのは、バブル時代ならではでなかったかと思う。

 1980年代、家庭用ビデオデッキが普及し始め、レンタルビデオ店が生まれた。それまでアニメは劇場公開用大作か、TVでの大手企業がスポンサーとなって制作されるものだった。ビデオの普及に伴って、セル及びレンタルでの、ビデオ用に新作アニメを制作するという、OVA作品が生まれていくが、これは当初実験的な一話完結ものが中心で、人気が出ても数話程度。映画とテレビの中間的な長さ、40分~60分くらいのものが多かった。また、ビデオテープは案外容積を食うので、長期連続の50本とか100本を売るという発想にはなかなか至らなかった。パイオニアレーザーディスクがヒットした時期に、30cmと面積はでかいが、薄いためにTVシリーズの全話ボックスという発想が生まれる。200話になんなんとするうる星やつら全話LDボックス(50枚組)が33万円という価格でアニメオタクたちに大ヒットした。これが1987年。バブル経済の開始と言われる時代である。この事件が、「オタクはコンテンツに限りなく金を出す」という根拠になる。

 今一度確認しよう。当時のアニメシリーズというものは、大手企業のスポンサードで制作されていた。MXや地方局の深夜枠で宣伝して円盤を売るビジネスが成立しておらず、あくまで製菓、玩具、薬品等の日用品メーカーが、自社のCMを流して視聴者に社名や商品を覚えてもらう代償としてアニメを放送していた。すなわち、コンテンツ自体を売るのではなく、コンテンツに惹かれてきた消費者を捕まえる餌だったのだ。この時代、TVで放送されるのは、アニメオタクではないスポンサーを説得できる作品であり、人気漫画原作であるとか、従来放送されてきた作品の延長だった。その中で、石黒監督がそらくハマったであろう小説版銀英伝のアニメ化は難しい話だった。

 新書10巻の原作、そして当時のアニメ監督の視点で補完すべき要素、SFの説明に必要な部分など、諸々足すとかなりの長編になる。バブル時代以前、70年代末から、アニメブームは始まっており、しかも都合のいいことにSFのアニメ全盛期だった。というか、石黒監督が作った宇宙戦艦ヤマトがアニメブームを牽引した。ヤマトの監督は表向き松本零士先生だが、アニメとしての監督は石黒昇である。ヤマトの西崎プロデューサーみたいに、口八丁手八丁でTV曲を騙すことは石黒監督にはできなかったんだろうと思うが、とにかくも、長編OVAを一本作成し、映画公開して映倫マークをつけることで箔をつけることは可能だった。バブルが始まったあのころ、TVシリーズパイロット版として映画兼OVA
制作することはよく行われた。

 映画、ドラマに限らず、スポンサーに見せて制作予算を得るためのパイロット版という作品は制作される。「こういう作品を考えてます。投資して下さい」というためのものだ。昔はほんとうにスポンサーに見せるためだけの短編を制作していたのだが、銀英伝の場合はこれが劇場用第一作「わが征くは星の大海」という60分の作品になる。これは宇宙暦795年の惑星レグニッツァの戦いと、第四次ティアマト会戦を描いた作品で、原作の外伝を膨らませて、ヤン・ウェンリーを活躍させ、原作後半で登場するアッテンボローも登場させ、原作最終盤のブリュンヒルト突撃作戦までをも混ぜた、原作本編のいいところをすべて取り込んで一本の作品にまとめたものだ。いわば銀英伝のエッセンスをすべて詰め込んだ作品である。これを劇場公開した結果、TV放送枠はとれなかったが、マニアが買うと判断されたのか、毎週一話制作された25分のアニメを、VHSテープで予め申し込んだ人に通信販売という、極めて特殊な販売形態がとられることになる。このとき、一話一本の価格は2500円プラス送料500円。つまり毎週3000円を支払い続けるという契約が結ばれた。

 うる星やつらLDボックスが、33万円で売れたのが1987年。銀英伝OVAを開始が1988年。当時銀英伝が最終的に何話になるか決まってなかったと思うが、100話になっても30万円だから、オタクは買ってくれると見込んだと想像できる。この微妙に高い見込み発車感がいかにもバブル時代だなあと思うのだ。現代なら、ディアゴスティーニも毎週3000円の本は売らないんじゃないかなあ。