キリスト教聖遺物収集家ヘレナとは

 イエス・キリスト磔刑になったとされる十字架、その十字架にイエスの体を打ちつけた釘、100人隊長ロンギヌスがイエスの脇腹を刺した槍といった聖遺物。ヨーロッパの複数の教会にいまでも飾られて信仰を集めているのだが、これらを収集したのがローマ帝国皇帝コンスタンティヌス一世の母ヘレナである。彼女は一節には息子コンスタンティヌスの依頼でローマからはるばるエルサレムに赴き、ゴルゴダの処刑場の跡地で十字架や釘等を発見したとされている。皇帝の母親なのですでにそれなりに高齢のおばあちゃんだったろうと思われるのだが、すごい根性である。

 さて、イエス・キリストが処刑されたのは西暦30年前後とされているが、その少しあとからユダヤは大変なことになる。長年のローマ支配、横暴に耐えられなくなったユダヤ人は66年、ローマに対し戦争を起こす。一時はローマ人を駆逐する勢いだったが、帝国が本腰を入れて攻略にかかるとエルサレムの第二神殿は完璧に破壊され、市街地ほぼ更地にされる。マサダの山岳要塞も補給を絶たれ悲惨な集団自決になる。エルサレムは、再建されることなく野獣の徘徊する荒野となったとされている。当時の皇帝ハドリアヌスエルサレムの再建を約束したが、それはアエリア・カピトリーナという新しい名前の都市で、エルサレム神殿跡にはユピテル神殿が築かれ、ユダヤ人の立ち入りが禁止されるという事実上の追放だった。また、ユダヤ教徒の条件であった割礼を禁止するというおまけまでついた。これにユダヤ人がぶちきれ、132年、メシヤを自称するバル・コクバが反乱を起こす。これに対するローマの弾圧は凄まじいもので、前回の戦争を繰り返し、抵抗勢力は殺戮されるか奴隷化され、属州ユダヤは属州パレスチナに改名される。パレスチナとは「ペリシテ人の地」という意味である。かつてユダヤ人の仇敵だったペリシテ人の土地であると宣言することで、ユダヤ人を完全に締め出す政策を敷いたわけだ。

 つまり、イエス死後ユダヤ王国はローマにこれでもかと蹂躙され、ユダヤ教伝統施設はほとんど破壊され尽くし、ローマ多神教の神殿が立ち並ぶローマ属州に徹底改造されてた。ヘレナがやってくるのはこの時代からさらに100年くらい経過した320年である。実際問題、イエス処刑から数えると300年近く経過し、エルサレム神殿嘆きの壁しか残っておらず。街はローマ風にすっかり作り変えられ、ローマ神殿が立ち並んでいる。いったいどこが「ゴルゴダの丘」なのかもわからない。こんなとこでローマからはるばるやってきたおばあちゃんがイエスの処刑された十字架、釘、槍なんてどうやって発見できるというのだろうか。

 なお、ヘレナの伝説では、ヘロデ大王にイエスの誕生を告げた東方の三博士(マギ)の遺体を発見したとか、マリアがイエスを馬小屋で出産したときに使った馬草を持ち帰ったなんてのもある。いやどうやってだよ!!

 考えてほしい。ある人がしんだとされる300年後に、戦争ですっかり変わったその街に行って、その人が死んだときの異物を発見できるかどうか。十字架とか釘とか槍とか、罪人の処刑に一般に使われたものなら、もし本当にそれらを見つけてもイエスのものだとはとうてい判断できないだろう。てか、罪人の処刑に使われた十字架なんて、十把一絡げで焼却されるんじゃねえの?

 66年からユダヤ戦争が始まって、当時エルサレムにいただろうイエスの直弟子たち、いわゆる12使徒による初代教会は「まったく痕跡を残さず消滅」している。ローマに布教したのは異邦人パウロであり、キリスト教の伝承はリアルなものというより、二次創作的な空気が漂う。使徒行伝を愚直に信じれば12使徒は当時のローマ帝国にそれぞれ散って殉教とかしながらキリスト教を根付かせたことになってるけど、あれ、たぶん西暦120年くらいにかかれてて、ローマ戦争後に創作されてるきらいが多いんだよね。

 てなわけで、パウロがひろめ、当事者不在で伝説が作られ、それを真に受けた中世の協会が、コンスタンティヌスの母に責任おっかぶせて、偽造した聖遺物を権威付けしたんじゃねえかなーと思うのです。