MSXが終わらないIF物小説を誰か書かないか

1990年に発表されたMSXturboRはひどく挑戦的で、しかしダメなマシンだった。CPUが衝撃的にすごくなったのに、VDPがMSX2+のまま。おかげで高速CPUにもウェイトが入りまくる有様。というかすでに90年という時期にはIBMPC互換機を除く独自アーキテクチャのパソコンは死滅に向かいつつあった。Macintoshでさえ、衰退しつつあり、21世紀を迎えて生き残れたのはスティーブ・ジョブズの復帰という奇跡がなければありえなかったかもしれない。

なので現実的問題としては、あの時点でなにをどうしようと時代遅れの8ビット規格を継承したMSXが生き残るすべはなかったろう。

 

とはいえ、MSXが好きだった人間としては、「あのときああだったら、こうだったら」という想像はついついしてしまうものである。せめて誰かフィクションでいいからMSX大勝利のお話を作ってくれないか。バブル時代を代表するホイチョイプロダクションがバブルへGO!!なんて映画でバブル崩壊を防ぐ歴史改変に挑むことが許される時代なのだから、MSXを復活させるストーリーだってありだろう。

 

たとえばそうだなあ。少年時代MSXに惚れ込んでプログラム書いたりハードウエアいじったりしてたエンジニアが、ある日突然タイムスリップして1988年、MSX2+発表のあたりに転移する。MSX2の頃はまだ夢があったが、マイナーチェンジっぽい2+はそろそろ暗雲が見えてきている。実際この規格の参加メーカーは三洋、松下、ソニーだけだった。かつて国内外の主要家電メーカー、三番手以下のコンピューターメーカーがこぞって採用したMSXがたったの三社からしか出ないというのは、恐れおののくべき非常事態である。でも当時のユーザーは「おお、スムーズな横スクロールできるようになったんだ」「自然画モードすげー、19000色って最強じゃん」と思って全然危機感を抱いていなかった。主人公はまずこの危機感をアスキー西和彦に訴えるわけだ。

 

西和彦も黙ってはいない、MSX2+は、型番からもわかるようにMSX2のマイナーバージョンアップだ。本命はMSX3。互換性を保ったまま16ビット化を果たし、グラフィックも大幅強化される予定である。しかし主人公は実際の歴史を知っているのでそれを否定する。

「1990年にあなたはMSX3でなくMSXturboRを発表する。ヤマハの新VDPの開発が間に合わないのだ。結果的に採用するのは松下一社だけ。結果すみやかにMSX規格は終演を迎える。西さん、あなたはアスキーを首になり、2ちゃんねるで叩かれて1ch.tvを立ち上げるがトラブル続きで表舞台から姿を消す事になる」

「なんだねその2ちゃんねるというのは」

「ああ~まだないかー。てかインターネットも普及してないし、…あのですね、21世紀にはアスキー大変ですよ。雑誌は次々潰れて最終的に角川書店に買収されます」

「なんと!いやそうか、うちが先鞭切って進めてきたデジタル化の波か。第三の波ってやつだな、アルビン・トフラーの、知ってる?」

「ああ、はい、そういうやつです。てかアルビン・トフラーとか古いっすよ」

「えええ???。ま、まあいい。ならば半導体事業に手を出したの正解だったな」

「あ、アスキー半導体事業MSXturboRのCPU作った後あっさり潰れます」

「なんだってーーーー?!」

 

やばい。MSX復活プロットにつながらない…

 

日立のZ80互換強化CPU、HD64180がザイログに採用されてZ180になったりとかいう事実もあるわけで、そういう感じでR800が継続されてゆくゆくは32ビット、64ビット化を果たすとか、1990年にturboRを発表するの待って、1,2年後にヤマハのV9990を採用、互換モード用に東芝MSX Engine3というZ80と周辺チップ+V9958を統合したチップを作ってもらって、X68000に匹敵するMSX3を規格化してもらう。あと当時のマルチメディアに特化した将来構想を持ってた西和彦氏に、「ゲーム作るためにすげえスプライト機能必須ですよ、このままだとMSXを支えてるコナミも見放しますよ」と説得してVDPの進化をうながす。

 

こんな話を小説化とかしてくれたら、わりと僕とかすげえ読みたいんだけどみんなはどうかなあ。