古よりのMacintosh批判への答え

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 この記事、気持ちとしてはなるほどなあとは思うのだ。Macは伝統的に「オシャレ」で「カッコよく」「コンピューターの理想」で「使わないやつは馬鹿」みたいな傲慢さを醸し出していた。ついでに高価なので使う人を単純に値段で選別していた。しかし、実際のところ、そんなにMacユーザーがDOSWindowsのユーザーをいちいち小馬鹿にしたりしてはいなかったし、CMでもMac以外をdisることはなかった。いやラーメンズのCMとかあったじゃんと思うでしょ。あれもうすっかりMacの優位性失われた後のもので、むしろMacユーザー側が「うわ、かっこ悪いからやめてほしいなあ」と思ったものだ。少なくとも日本のテレビでMacのCMなんて、キャノン販売が代理店やってた時代の、観音の絵のやつとか、なにひとつ優位性を語るどころか、意味すらわからないぼんやりファッショナブルなものがごく少数あっただけだと思うぞ。雑誌広告でもそりゃあ「Appleならなにができる」的なものはあっても、他のパソコンをdisるものなんてほとんど見た覚えがない。

 1990年当時ならまだClassic MacOSの時代だ。対象が「黒い画面をキーボードでいじっている」ならDOSであろう。DOSであろうとROM BASICであろうと、Macのビットマップ画面主体のOSとは全く違っていたから、大きなパラダイムの転換があった。Macは、DOSUNIXGUIを追加したものではない。最初からGUIオンリーのシステムとして作られている。なのでコンソール画面というものが一切存在しない。初代Macintoshにはカーソルキーすら搭載されなかった。これはジョブズが「マウスを使わせる」ためにそうしたと言われている。後のモデルではカーソルキーが搭載されるようになったが、とにかくマウス主体の操作を覚えさせるためにその使用を強制させたのだ。当時は今と違ってポインティングデバイスという物自体が「新しい物」だった。Macを購入すると、本体にマウスは付属していたが、キーボードは別売りだったのだ。その意味で「マウスだけで操作できる」は極端ではあるが間違いではない。なんならソフトウエアキーボードをマウスでクリックすれば文字も入力できる。もちろん実用的ではないので普通キーボードも購入したが。対象的なのがWindowsで、こちらは「マウスがなくても操作ができる」のである。キーボードからメニューを開き、メニューの頭文字を打ち込むことでメニュー選択と同等の結果を得られる。これは本当に考え方の違いである。

 コントロールキーがなく、コマンドキーがその代わりだとあるが、逆である。コントロールキーはもともとコントロールコードを端末に入力するためのもので、コンソールがないMacには不要とされていた。コマンドキーは「命令を打ち込む」ためのもので、メニュー項目のうち、何度も使うものに「キーボードショートカット」が割り当てられていた。マウス操作による命令の代替手段である。LisaとMacでCommand-Zがアンドゥー、Command-Xがカット、Command-Cがコピー、Command-Vがペースト、というショートカットが標準化された。ペーストがなぜPじゃないんだという話だが、Xがハサミ、Vがピンセットという説もあるが、実際のところキーボード左下列にZXCVが並んでいるというのが一番の理由だろう。Commandキーと組み合わせて、左手で素早く操作できる。これらが頻繁に使用するショートカットであるからここにまとめられていたと考えられる。命令の単語の頭文字は必要なのではないのだ。それが必要なのはWindowsのキーボードアクセラレータであって、Macのキーボードショートカットは、あくまでメニューをマウスで使用しているうちに何度も見るショートカットを覚え、やがてキーボードから素早く使えるようになるという学習段階を考えたものである。そして、コントロールキーがないからCtrtl-Cの代わりにCommand-Cを割り当てたのではない。逆である。MacでCommand-C,X,V,Zが普及したからWindwsなどでも使われるようになった。さらにメニューの命令を実行するためのコマンドキーが存在しなかったから、コントロールコード用のCtrlキーを代用したのだ。

 Windowsのキーボードアクセラレータは、原則的に全てのメニュー項目につけるものだ。英語版なら単に頭文字である。Fでファイルメニューを開き、Oで書類を開くというように使う。つまりマウス無しで使用するためのものだ。それに対し、Macの場合は頻繁に使用するメニューにショートカットを割り当てる。それ以外はマウスを使うしかない。マウスがすべての操作の基本で、その中で覚えられる範囲で頻繁に使う機能をキーから入力できるようにしていた。

 Macマルチタスクであるかどうかについては、初期の頃は完全なシングルタスクだった。ただしアップルメニューから呼び出せる小さなプログラム(デスクアクセサリー)はアプリケーションの空き領域に読み込まれてイベントを受け取ることができたのでマルチタスク的に使用できた。その後、コオペラティブマルチタスクが導入され、プリエンプティブマルチタスクの導入は計画がされたが難航し、最終的にNeXTの買収によるMac OS Xによって実現される。ここで思い出として語られているのはおそらくコオペラティブマルチタスクが実装された頃ではないかと思う。あるいはマルチタスク化されず本当に切り替えだけしていたSwitcherの頃の話かもしれないが、どっちにしろ大した違いはない。メモリ保護に関しては68000系CPUを使用していた時代は全くなされていなかったし、PowerPCの時代になってもOS Xまではまともになされていなかったと思う。それは事実なので仕方ない。プログラムがOSを容易に落とすことができたのは確かである。ただここからの話がわからない。

何より皮肉なのは、panic後のコンソール画面はDOSと同じ「黒い画面」ということだった。これには大笑いさせてもらった。背景を白のままに維持しておくぐらい簡単だと思うのに、なぜかデバッグは黒い画面を相手にキーボードで操作しなければならないのだ。

 大笑いしてもらって申し訳ないが、当時のMacintoshには黒いコンソール画面は存在しなかった。ビットマップとウィンドウからなる画面を表示するための機能はあったが、全画面に黒字に白で文字を流すような機能自体がROMにもOSファイルにも含まれていなかった。起動時にMacsBugというデバッガを読み込ませているなら、クラッシュの際に運が良ければデバッガ画面にいけたが、これが白地に黒である。なお、開発者でなければ普通MacsBugなんて使わないので、このような画面を一度も見たことのないユーザーの方が多いと思う。
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 90年代のMacでシステムクラッシュを起こすことをpanicとは呼ばなかったし、これはOS Xの時代の記憶が混ざっているのではないだろうか。あちらはUNIXベースなのでコンソール画面を搭載していたし、しかしその頃になるとアプリケーションからカーネルパニックを起こすのは難しくなっていたと思うのだが…

 なお、僕自身は昔Macユーザーだったが、現在は主に金銭的理由でショップブランド改造PCでWindows 10 を使用しており、特に不満もない。