1980年代のなんだか微妙な学生運動

 僕はバブル直前に、当時神田にあった東京電機大学に入学し、四年間を過ごした。卒業の頃バブル最盛期に差し掛かっていたので、普通に就職すればウハウハだったのだが、ついついエロ漫画家になってしまったために、バブルの恩恵をほとんど受けない人生を送ったものだ。それはさておき、

 当時の東京電機大学神田キャンパスって、ビジネス街にいくつか校舎ビルが建っているという構造で、校庭も門も講堂もない大学だった。毎朝ビジネスマンと一緒に御茶ノ水駅から東京都心独特の早足で大学に通ったものである。学園祭もビルの中で行われるので、なんかせせこましいものだった。曖昧な記憶だが、当時デビューしたばっかの森高千里とか来てたんじゃなかったかしらん?狭いビルの入口に森高…謎だ。なお、僕が所属していた電大SF研は学園祭にSF作家、翻訳家の野田昌宏氏を招待して講演会を行ったと記憶している、野田大元帥NASAにいってきたスライドをひたすら紹介していたと思う。

 そんな学園祭をやるときに、学園祭以前聞いたことがなかったサークルの出店教室がいくつかあった。学園祭当日になって初めて知った組織。「民青」「第三文明研究会」「原理研」うちの大学にそんなもんあったのか??とびっくりしたものである。

 「民青」は日本共産党の下部組織。大学で活動するコミュニストたちである。

 「第三文明研究会」は創価学会の下部組織である。

 「原理研」は統一教会の下部組織である。

 なんだろうなこのラインナップ。当時でも微妙にマイナーな…。うちの大学、学生運動としては60年代から70年代にあれだけブイブイいわせた全学連とか、革マル派中核派みたいな新左翼がいなくて、古式騒然の民青、当時も二世信徒の学生が辟易していて参加しない第三文明研、あとは日本はサタンの国だとかいう韓国の文鮮明を教祖と仰ぐ原理研。いやこれどうしろと…それぞれ小さい教室を教務課から借りてなにかの展示をしていたらしいのだけど…

 ちなみに、当時のうちの大学からほど近い明治大学なんかは、そのころも新左翼独特のゲバ字の看板を掲げた運動やってましたね。中共簡体字みたいな略字でカクカクした檄文を綴っていた。
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ゲバ字ってこんな感じ、太いゴシック体で、独特の漢字の略字を書く。
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あの当時大友克洋が「AKIRA」で描いた「大東京帝国」のロゴが簡体字風で、ゲバ字っぽいのだ。

 みなさん、1980年代に明治大学の前を通るとこんな漢字のゲバ字看板がいつもかかげられてたんですよ。もうね、とうに学生運動は崩壊していて、日本を革命するなんて誰も信じてないんですあの時代。バブル景気でうかれてるから、大学に入ったらもうあとは企業が内定くれて、他社にとられないためにお金出したり海外旅行に連れてったり、そんな時代ですよ。そのなかに民青とか第三文明とか原理研とか、カビの生えた人たちが必死で活動している。なんだか異様な風景でしたよあの時代。いったいあれはなんだったんでしょうねえ。