PETボトル普及以前のだるまボトル
現在のコンビニの冷蔵ケースにはPETボトル飲料が大量に陳列されているが、実は500ml以下のPETボトル飲料は長い間業界の自主規制で作られなかった。
食品衛生法の改正で清涼飲料の容器にPETボトルが使用可能になったのは1982年である。ところが当初PETボトルは1l、1.5lといった大瓶の用途でのみ使用され、小瓶のものは製造されることがなかった。1980年代のコンビニに陳列された飲料の主流は300mlスクリューキャップ式の通称「だるまボトル」と呼ばれるガラス瓶だった。
1970年代までの主流だった王冠付きの200ml前後の飲料便は、リターナブルと言って、飲み終わった瓶を販売店に持ち込めば10円で引き取ってもらえたのだが、1980年代のだるまボトルは確かリターナブルではなかったと思う。当時250mlの缶飲料も、300mlのだるまボトルも100円だったので、だるまボトルは店頭でよく売られていた。自販機は落下の衝撃もあるので缶が主流だった。
だるまボトルのラベルは当初ただのプラシートだったと思うが、後に薄い発泡スチロールシートのような素材になり、断熱性がよくなったと記憶している。
さて、なぜ小型PETボトルがなかったかというと、プラゴミが盛大に増えることを危惧した業界や自治体の思惑があったらしい。しかしいち早く普及した海外のPETボトル飲料が輸入されるようになると、国内で作って売れないのは不合理に感じるようになる。最終的に1996年に業界の自主規制は撤廃され、小型PETボトルボトル飲料が一気に普及することになる。
余談だが、缶飲料のプルトップが分離式からステイオン式に切り替わったのも1980年代末から1990年代初頭にかけて、これも当初海外で普及し、輸入物で見かけるようになっていたが「外側に向いている部分を中に押し込んで飲料に浸すのは不衛生で日本では普及しない」と言われてなかなか切り替わらなかった。分離式のプルトップをみんなその場で捨てていたため、路上とか砂浜とかにアルミのゴミが散らばり問題になった。海水浴場などでは裸足で歩くため、プルトップを踏んで怪我をする人も多かった。その対策として作られたのが「プルトップを集めて車いすを寄付しよう」運動である。この運動は、缶飲料がステイオン式になった後もなんとなく続き、小学校などで延々行われ続けた。そのため分離式でないプルタブを無理やり引きちぎって集めるという本末転倒な事になってしまっていた。
1986年のCMから。真ん中がだるまボトル。右の1.5l瓶はPETボトルである。