枝野幸男氏の「お祝い」騒動について


このツイート主のテキスト書き出しは
草津白根山の噴火によって訓練中の自衛官が亡くなった事に心から哀悼の意を表します。また被害に遭われた皆さんに心からお祝いを称します」
このツイートにつながるスレッドの大多数がこの「お祝い」を受け入れ、枝野氏を批判している。だがおかしいだろう。自衛隊員の死亡について哀悼の意を表しておいて、その他被害にあった民衆をお祝いするのは前後で意図が合わない。いわゆる左翼へのステロタイプなら一般民衆への被害を大きく盛り上げて、自衛隊の被害は目をつぶるイメージだろう。これは枝野氏を左翼として批判する論理として破綻しているのだ。だがスレッドの反応は「何度聞いても『お祝い』と聞こえる」「本音が漏れちゃったんだね」というような表層的な阿諛追従だらけで、矛盾に目をつぶっている。

そもそも枝野氏のこの発言は正確には
草津白根山の噴火によって訓練中の自衛官が亡くなった事に心から哀悼の意を表します。また被害に遭われた皆さんに心からお見舞いを申し上げます」
であり「お祝い」ではなく「お見舞い」である。この部分の滑舌がいまひとつよろしくないので「お祝い」と聞こえるという話であって、本人が「お祝い」と言おうとした証拠はない。また、「言い間違えにしてもひどい」「本音が漏れたのだろう」という話に関しては、そもそも言い間違えではなく、聞き取りミスなのであって、いわゆる政治家の失言ですらない。本音とはなにか。枝野市が、噴火で民衆が被害をうけることを喜んでいると思っていなければ「本音」という観測は出ない。つまりこれを言う人達は、枝野氏が自然災害で無辜の民が被害をうけることを喜ぶ人間だと思っていることになる。

これはどういうことだろう。そんな安直な悪魔的存在を本気で信じているのだろうか。現代社会において政治的な対立は絶対善と絶対悪の戦いというような簡単な図式にはならない。対立相手を単純に邪悪な存在として切り捨てようとすれば、社会はどんどん閉塞していく。行き着く果ては大虐殺だ。

今僕は非常な危機感を抱いている。