手塚治虫の「フィルムは生きている」

「フィルムは生きている」は、手塚治虫が昭和33年から「中一コース」「中二コース」で執筆した作品で、田舎から出てきた少年、宮本武蔵がまんが映画(アニメーション)を作るまでを描いた作品だ。主人公の名前からわかるように、この作品は有名な宮本武蔵の物語をベースにしている。田舎者の武蔵に対し、ライバルとなるのは資産家の息子の佐々木小次郎だ。

物語の冒頭、武蔵はアニメーションを制作しているプロダクションに行くが、ベテランアニメーターの断末魔に、「君の絵は死んでいる」とダメ出しを食らう。断末魔氏は、40年もまんが映画にささげている初老の男なのだが、偏屈で理想主義過ぎ、会社でも煙たがられている。

その後、有名漫画家の吉岡清十郎のところに行くがやはりけなされて道端で似顔絵描きに身をやつすのだ、ここで佐々木小次郎と出会い、お互いがまんが映画を作りたいという目標を持っていることを知り意気投合。武蔵の下宿に小次郎が住み込むことになったりするが仲違いして別れる。

やがて小次郎は連載12本を抱える人気漫画家になるが、少年パックの編集者が武蔵の才能を見抜き、まんがを掲載することになる。武蔵のまんがはすごい人気だったのだが、「まんが映画を作る」という目標のために連載をやめる。やがて二人はそれぞれ映画製作にのりだし、同日に公開されることになる。


この作品において、基本的に武蔵は田舎から出てきた報われない努力型の人間であり、小次郎はなにかと恵まれた天才として描かれるのだが、多分どちらも手塚治虫自身の投影である。天才と呼ばれ、恵まれた仕事状況にありながらも努力を続けざるを得なかった。そして漫画とアニメの間の断絶。動く絵が「生きている」ためには、ただ漫画がうまくてもダメ。「お前の絵は死んでいる」と常に考え、絵を生かすために悪戦苦闘した手塚の、アニメ制作に向けたものすごい決意表明なのだ。

この作品が描かれたのは昭和33年。手塚が参加した東映動画の「最遊記」が昭和35年。鉄腕アトムのアニメ放送開始が昭和38年である。つまりこの時期手塚は、人気漫画家ではあったがまだアニメ制作のメドが立っていない時期だ。それを考えると非常に興味深い。

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