TwitterとMastodonとTwister

 マストドンがひところ急激にユーザーを増やしたのは、ひとえにTwitterのアカウント凍結騒ぎのおかげだろう。一時のブームは過ぎたと思うが、Twitterである程度名のしれたアカウントが凍結されるたびにマストドンへの移住者が増えていく流れがある。先日Twitterで凍結された茜新社のCOMIC LO公式アカウントが、本日pixivの運営するマストドンインスタンスであるPawooに登録されたので、LO読者がそれなりに増えそう。

 Twitterにおける凍結は大概いきなりのことで、凍結理由も明かされないので、繰り返されるうちに様々な不信感がユーザー側に積み重なっていく。米国企業だし、凍結解除の交渉も日本法人としても無駄らしいし。Twitterが登場した頃、日本企業が作った似たようなミニブログサービスはいくつかあったが、多くは撤退してしまった。もしいまでもWassrがあったら、あれに移行した人も多かったんじゃねえかなあ。はてなハイク?なんですかそれ?

 ところで、マストドンはもともと一つのインスタンス(サーバー)に大量のユーザーを集めるものではなく、ある程度小規模なコミュニティ単位のインスタンスがあって、インスタンス同士が通信することで自分の所属するインスタンス以外のユーザーの書き込みをフォローしたりすることが可能という形になっている。であるので、もしマストドンの所属するインスタンスのルールに合わない書き込みをしたなどの理由でアカウントを削除されるようなことになっても、他のインスタンスにアカウントを作ればマストドンの連合というSNS空間から排除されず、継続することができるのだけど、まあ、それでも自分以外の誰かにアカウントを消される危険というものはなくなるわけではない。

 以前ドワンゴの江添亮氏は、マストドンGNU socialの設計は間違っているとして、以下のように述べている。

では、本当に技術的に正しい設計とは何か。まずすべての参加者はサーバーでもありクライアントでもある、完全にP2Pメッシュネットワークを構築し、その上にマイクロブログサービスを実装すべきである。自分のデータは全てローカルに保持する。

cpplover.blogspot.jp

 まあ、江添氏はこの記事を書いた後、マストドンにハマって遊びまくっていたが。この考え自体は面白いと思う。で、こういうマイクロブログも誰か作ってるだろうと思って検索してみると、Twisterというものがあった。
http://twister.net.co/
f:id:juangotoh:20171215165045p:plain
 これはBitCoinのアイデアBitTorrentプロトコルを使用したP2Pマイクロブログだ。ユーザーとメッセージの一意性をブロックチェーンで確保しているらしい。ユーザーを管理するサーバーなどは存在しないので、アカウントを消されるということはない。ただ、最初に起動した時にブロックチェーンのダウンロードで結構時間かかるし、やはりP2Pだけになんというか動作がもっさりしている。あとLinuxで開発されていて、Windows版のバイナリは少し前のバージョンでちょっと動作が怪しかったりする。まあ、なるほどこういうのもあるのか、という感じで。

「死ね」に免罪符??

agora-web.jp
 アゴラのこの記事。日本維新の会の議員が「朝日新聞、死ね」とツイートした件を取り上げ、これ自体を情けない事態としながら、なぜこういう事になったかの原因を、はてな匿名ダイアリーに投稿された「保育園落ちた、日本死ね!!!」に求めている。
anond.hatelabo.jp


 うーん…僕はこの「日本死ね」の記事が出て、はてなブックマークで話題になった当時読んでいて、特に問題には思わなかった。日記の中身は「子供が保育園に落ちて、大変だ。これおかしーよね。なんとかしろよ」というだけのもので、そりゃあ働く親として切実な訴えであり愚痴である。その当時から、なんかタイトルの「日本死ね」に噛み付く人が多かったのだが、これはイライラしてることの表現にすぎないと思ったし、そもそも「日本死ね」と言われても「日本」という抽象概念は傷つきようがない。日記の著者も日本で子供を保育園に入れようとしていたのだから、日本の中にいる人であり、言ってみれば自虐でもある。岩手の田舎に済む人間が、「車ないとコンビニにも行けないし不便すぎる、岩手死ね」とか言ってたとして、これを文字通り岩手県に滅んで欲しいという意味だと思う人はいないだろう。逆に岩手が便利になって欲しいという表現だと思うはずだ。自分が属する集合に対する悪口は、本質的に悪意ではなく現状への不満と良くなって欲しい希望なのだ。

 アゴラの記事では、「もちろん、朝日が死んでも多くの人の生活に影響はない一方、日本が死ねば明日から生活に支障をきたす、だから「日本死ね」の方がより罪深い、という違いはある。」と書いているが、いやそうじゃない。どちらにしてもただの「悪口」であって、本当に日本や朝日新聞が「死ぬ」事態を想定するべき問題ではない。そして重要性に関して僕は逆だと思っている。「日本死ね」が自分の属する集団への悪口であり、自虐と諦めを内包するのに対し、「朝日新聞、死ね」は、自分が属さない他者への悪口であり、より悪意が大きいと感じる。

 どうも21世紀に入って以降、日本人の「日本」に対する言論は非常にナーバスになっている気がする。昔は国や与党への悪口なんかもっと軽く受け流してたと思うのだけどなあ。

海苔を消化できるのは日本人だけというけどあまり意味はない

Nori

 しばらく前に、フランスの研究所が出した論文で、海藻を消化する細菌が日本人の腸内にだけ存在しており、これによって日本人は海藻を消化吸収できるというような話があった。ネット上ではそれなりに話題になったと記憶しているが、そもそも海藻を消化できないという事自体ピンとこないだろう。だって食べ物は普通消化吸収されるものじゃん。

 実際の所、なぜ海藻が消化できないかというと、細胞壁のためだ。植物の細胞は一般に細胞壁という丈夫な壁で覆われている。細胞壁は多糖類であるので、分解できれば動物のエネルギーである単糖になるが、ほとんどの哺乳類はこれを消化する酵素を持たない。細胞を覆う細胞壁が破壊できないと、細胞内部の栄養分も吸収できない。とするとそもそも植物は食べても無駄ということにならないか??

 実際は、食べる時に歯ですりつぶすことで、細胞壁を破砕し、栄養を吸収することが可能なので、植物は重要な栄養源になっている。また、草食動物などでは、消化管内の細菌の力を借り、時間をかけて細胞壁をも消化吸収できるようになっている。

 また、植物の細胞壁が難物なのは、生の状態であればの話である。加熱調理することで、細胞壁は容易に破壊され、消化されるようになる。海藻もまた植物であり、細胞壁を持つが、この「日本人にしかない腸内細菌」の力を借りなくても、煮炊きしたわかめ、昆布、海苔などは普通に消化されている。

 以上のことから、海外論文で言うところの「日本人だけ」の特徴は、海藻を生で丸呑みするような場合でなければあまり生活上の意味はないといえる。あえて言うなら、海藻サラダは低カロリーだと思っていたら、日本人限定で、思いの外消化吸収され太る可能性があったという、ダイエットへの影響が考えられるくらいではないだろうか。

 なお、哺乳類は細胞壁を消化できないけど、貝類などは海藻の細胞壁を消化する酵素を持つものも多い。ウニやアワビはすりつぶす臼歯もなく、長大な消化管も持っていないが、海藻を主な栄養にしてもりもり太る。

レディボーデンとアイスケーキとバタークリームケーキ

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

1970年から1980年代頃に発売していた、クリスマス前ぐらいになるとCMをしていたらしいケーキみたいなアイスを知ってる方がいましたら教えてください。

2年前のYahoo知恵袋で、結論が出ていないのだが、これ、多分レディーボーデン
www.youtube.com
最初の質問で「ケーキみたいな」と言うので、ピエネッタ等デコレーションしたものを想像するが、補足で「丸いカップアイスっぽいものらしい」と付け足されてるので、これで間違いあるまい。

 レディーボーデンは、日本で高級レストランのような場所で提供されるものではなく、一般に販売されるプレミアムアイスクリームとしてはおそらく最も早い時期の商品だ。1970年代当時、庶民が食べられるアイスは、スーパーや駄菓子屋で売ってる50円程度のカップアイスで、これは乳脂肪分の高い「アイスクリーム」ではなく、「ラクトアイス」だった。レディボーデンは本格的なアイスクリームで、500mlの大きなカップで販売され、価格も高かったので、クリスマス等に一つ買って家族で分けて楽しむ贅沢として販売されていた。まあ、いまでいうハーゲンダッツみたいなものだけど、当時あのようにコクがあるなめらかな「アイスクリーム」はなかなか庶民の口に入らなかったのだ。

 で、この質問の「ケーキみたいな」という部分で思い出したのだけど、クリスマスケーキで一時期「アイスケーキ」というのが流行ったことがある。つまりホールケーキのデコレーションクリームが、アイスクリームでできているものだ。当然冷凍庫必須で、販売時はドライアイスを入れていたと思う。これが流行ったのが、レディーボーデンの流行と関係してるのか、どっちが先なのかも覚えていないのだが。アイスケーキの流行は、多分数年と持たず廃れていったと思う。やはり取扱いが面倒だったのだろう。

 アイスケーキの流行前のクリスマスケーキは、バタークリームケーキだった。バタークリームは、泡立てた卵白とバターを混ぜ合わせたもので、1970年代のデコレーションケーキは、主にこれを使用していた。バタークリームは、生クリームより固く、形を保てるので、バラの花のような精巧なデコレーションができ、保存性も良かったので、使われていたのだ。ただ、主成分がバターであるので、油っこく、二切れも食べると胃がもたれ、吐き気を催す禁断のケーキでもあった。

 多分バタークリームから、アイスケーキへの流行は、そういうものもあったのではないかと思うのだが、アイスケーキは一時の流行で終わったので、その後はまたバタークリームに回帰したんじゃないかなあ。1980年代のバブル前後に、デコレーションケーキはホイップクリームを使うようになっていって、ホテルのケーキバイキングでOLさんがケーキ食べ放題できるようになっていくのだ。もしケーキバイキングがバタークリームケーキだらけだったら、バブル時代のOLさんも吐き気をこらえる悲惨な状況が現出したに違いない。

f:id:juangotoh:20171115173310j:plain

シンフォギアGXでマリアと翼が歌ったライブ会場

アニメ、「戦姫絶唱シンフォギアGX」1話で、風鳴翼とマリア・カデンツィナ・イヴがライブコンサートを歌った場所はどこだろうとふと思った。

f:id:juangotoh:20171112024833j:plain
スクリーンが開いた向こうに、タワーブリッジが見える。日本時間で深夜。ロンドンでは夕方なので、太陽が沈むタワーブリッジが見えるということは、タワーブリッジの東から撮影しているということになる。なお、この背景の橋を「ロンドン橋」と記述している放送当時のブログが数多く存在するが、あれはロンドン橋ではなくタワーブリッジである。ロンドン橋は、「ロンドン橋落ちた」の歌でやけに印象に残ってるが、実際は鉄筋コンクリートの非常にシンプルな橋で、タワーブリッジの西に存在する。
f:id:juangotoh:20171112025753j:plain

つまり、あのコンサート会場は、ロンドン橋の反対方向。タワーブリッジに近いテムズ川中心に存在したはず。たぶんこのへん。
f:id:juangotoh:20171112030323j:plain
ここにコンサート会場が存在したわけだ。
f:id:juangotoh:20171112030550j:plain

テムズ川水面ぎりぎりのコンサートステージ。テムズ川も普通の川なので、水位が季節や気象で変わるはずなので、そんなものが作れるのかというのは謎なんだけど。まあそれはさておき、コンサート終了後、オートスコアラーの襲撃をうけたマリアと翼は、車で脱出。その後ビッグベンが見える橋の上で戦闘になる。

f:id:juangotoh:20171112031130j:plain
この視点はわかりやすい。ビッグベン手前のウェストミンスター橋である。
f:id:juangotoh:20171112031409j:plain

最終的に、このときマリアと翼が移動した経路はだいたいこんな感じになる
f:id:juangotoh:20171112031719j:plain

MacPaintとPICTフォーマット

f:id:juangotoh:20171031091702g:plain
 初代Macintoshに同梱されたMacPaintは、その後のビットマップペイントソフトの共通祖先となったと言っていい、偉大な影響力を誇った。左にツールパレットを配置し、中央にドキュメントウィンドウ。ツールパレットをクリックすれば鉛筆やブラシ、塗りつぶしバケツが切り換えられる。このあたり前のフォーマットを作ったのがこのソフトだ。これ以前のものは、例えばろくなパレットがなく、キーボードの特定のキーでツールを切り替えるなど、直感的とはいえない操作性のものが多かったのだ。ただ、初期MacPaintは、メインウインドウは一つだけで、動かすこともできない、ただの背景みたいな動作だっだりして、メモリが128KBしかなかった当時の妥協の産物でもあったりする。スクロールバーもなく、ハンドツールでスクロールする。画像も576×720ピクセルモノクロ固定だったりする。

 このMacPaintが作成する画像ファイルは、MacPaint形式と呼ばれる。構造としては、

  • 4バイトのバージョン
  • 8*38バイトの塗りつぶしパターン
  • 202バイト空き(将来の拡張用)

 という512バイトのヘッダーがあり、その後に圧縮したビットマップが並ぶ。塗りつぶしパターンは、画像の表示には必要ない。MacPaintの画面下部に並ぶパターンパレットに入れるためのもので、8バイトで一つのパターンが定義され(8×8ドットモノクロ)、それが38個並んでいる。なお、バージョン番号が0であれば、デフォルトパターンを使用することになっていたので、カスタムパターンが不要ならヘッダー512バイトを0で埋めればよい。
 画像本体は、1ライン576ピクセル=72バイトずつPackBits圧縮されてこれが720ライン分書き込まれている。PackBitsは、シンプルなランレングス圧縮の形式で、同じデータ(バイト単位)が続かない部分はバイト数をマイナスにして生データを並べている。バイト数は8ビットなのでsignedにすると127バイト以下しか扱えないが、MacPaint形式画像の1ラインは72バイト固定なので問題なく使える。このPackBits圧縮/展開ルーチンはQuickDraw APIに含まれていたので、これを呼び出すだけでよかった。

 MacPaintのインパクトは大きかったので、初期Macintoshにおいて、この形式は標準画像ファイルフォーマットに近い扱いだった。実装も簡単だったし。しかし、あまりにシンプルで固定化されたフォーマットのため、応用が効かず、数年で廃れていく。モノクロで画像サイズ固定だもんなあ。AppleがMacPaintの同梱をやめてしまったのも痛かった。

 さて、MacPaintと同様、MacDrawというソフトが初代Macには同梱されていた。
f:id:juangotoh:20171031101026p:plain
 こちらはベクター形式のツールで、保存形式はPICTファイル。これはMacの画面描画命令をそのまま記録したものだ。まずOpenPictureという命令を実行し、その後画面に好きなように描画する。最後にClosePictureという命令を実行すると、OpenPicture以降に実行された描画命令が記録されたメモリブロックが確定する。これをPictHandleというが、DrawPicture命令にこのPictHandleを渡せばいつでも記録した描画を再生してくれる。なお、ベクター系の命令ばかりではなく、ビットマップ転送命令も記録できるため、あらかじめウィンドウに描かれたビットマップがあったとして、OpenPictureしてすでにあるビットマップを自分自身に転送してClosePictureすれば、ビットマップそのものを記録可能だ。したがって、描画に時間がかかる複雑な画像や、MacPaint形式の画像を読み込んだものを、「自分自身に転送」して、PICT形式に変換できた。

 つまりPICT形式ならベクターもラスターも両方扱えたのだ。また、描画命令を記録するという性質上、OSのアップデートで新たな描画命令が追加されても、プログラムの変更なくそのまま使用可能な場面が多かった。実際、最初はPackBitsしかなかったビットマップ圧縮アルゴリズムも、QuickTimeの追加によって、JPEG他様々なコーデックが使用可能になっていった。

 なお、PICTデータはOS内部で自在に使われていたが、MacDrawが作ったファイル形式は、MacPaintと同様、ファイル先頭に512バイトのヘッダがあり、その後にPictHandleの中身を書き出したものだったため、これを読みこんで画面に表示するためには、頭512バイトをスキップする必要があったし、後のMacDraw以外のアプリケーションがPICTファイルを書き出す際は冒頭512バイトを0で埋めるのが基本になった。PICTデータとか、PICTハンドルというときは、頭からPICTの命令セットが入っているものだが、PICTファイルというと512バイトのヘッダがついているものになるので、若干注意が必要だ。

 PICT形式は大変便利だったため、Mac上で完全に画像ファイルの標準形式になっていった。しかし、その描画は変化していくMacOSに依存し、規格で範囲が定まるものではなかったため、他機種で再現するのは難しく、機種を超えて広く使われる形式にはならなかった。JPEG圧縮したPICTファイルなんてものは、他機種で見ることができない。だったら最初からJFIF形式にしたほうがいいだろう。やがて、MacOSがNeXT由来のOSXになって、Classic系のAPIが徐々にフェードアウトしていき、Mac上でも使う人がいなくなっていく。

 MacPaintやMacDrawが登場したのは1984年。まだJPEGもGIFもTIFFも存在していなかった。業界共通の画像フォーマットがなかった時代だから、Appleは画像フォーマットも作成せざるを得なかったのだ。


 なお、WindowsにはWMFという、MacのPICTみたいにGDIの命令を並べたファイル形式があるのだが、発表が1990年代に入ってからで、すでにその他の画像フォーマットが広く使われていたためが、さっぱり普及しなかった。

旧ソ連の宇宙技術すごい&戦時中の東芝やばい

最近「小説家になろう」に投稿されたエッセイが非常に面白かった。
ncode.syosetu.com
NASAの宇宙飛行士、ジム・ラヴェルがもう宇宙いくたびトラブルでうんこやゲロにまみれてなんとかしろといい続けてたとき、ソ連は座席に真空吸引トイレを備え、水分のリサイクルシステムも構築していたという爆笑ものの話から、SDI計画に対抗したソ連がエネルギアロケットで打ち上げた馬鹿でかいレーザー衛星が、実は歴史上最強の100メガトン水爆「ツァーリボンバ」を搭載してどこにでも投下できるシステムを作っていたとか、西側で常識とされた大気圏再突入の困難をぴょんぴょんジャンプで解決してたとか、実質現在アメリカのロケットエンジン旧ソ連開発のものしか使えてないとか、NASA史観で育った僕らには非常に面白い話だらけ。

この人がもう一つあげてるエッセイが
ncode.syosetu.com
戦前米GEが出資した東芝が、戦争中もずっとGEの先端技術を輸入し、帝国の特許出願しまくっていた話。日米開戦後、1944年までどうやって連絡取ってたのかはいまだに謎という。東芝東芝で、律儀にGEにライセンス料を振り込み続けていた。さすがにそのお金は国内で止められていたが。銀行にプールされていて、戦後回収できたとか。戦後軍事と工業を解体して日本を農業国にしようとしたGHQに、GEが「投資が無駄になる」と大反対。あの手この手で東芝の解体を阻止し、戦後日本の基礎を作ったという。これも非常に面白い。

小説家になろうって、異世界転移チートでハーレムとか、悪役令嬢大逆転だけじゃないんだなあと思わせてくれる作品だ。おすすめ。