トランプとかドゥテルテとかイ・ジェンミョンが盛り上がる今。

 安倍首相が、日本の左派からは戦前回帰のとんでもない独裁者的に見られているが、現在の世界情勢は安倍首相どころではない過激なポピュリスト達が台頭してきている。

 

 アジア太平洋地域でこの流れを作ったのはフィリピンのドゥテルテ大統領だろう。コレに続いてアメリカのトランプ次期大統領。そして韓国の次期大統領候補として異様に盛り上がってるのがイ・ジェンミョンである。韓国次期大統領は国連事務総長のパン・ギムンだろうと思ったらここにきて「韓国のトランプ」というあだ名でイ・ジェンミョンが盛り上がってきた。この人達が訴えるのは実は極めてまっとうに自国の問題を解決する手段だ。ただ、彼らは他国を尊重する気持ちや、人権、ポリティカル・コレクトネスといった20世紀後半に成立した相互扶余の概念をほとんど無視する。無視というより敵視する。そして他国を悪役にして勢力を得る。

 

 人権思想と国際協調は20世紀にしっかりと形を整え、二度の世界大戦の惨禍を踏まえて、反差別という概念で築き上げられてきたが、これらの理想主義は21世紀に入って力を失いつつ有る。反差別は逆差別とみなされ、人権は人権真理教と揶揄され、ポリティカル・コレクトネスは表現の自由を犯す軛となりはてた。トランプが勝った理由の一つが反ポリコレ姿勢だったという話もあるが、「政治的に正しい言論」が、息苦しさを感じさせ、それを正面からぶった切るトランプに支持が集まるというのは非常に危険だと思う。

 

 人権というのは、簡単に言うなら生まれたなら幸福に暮らす権利があるという思想だ。もちろんこれは簡単ではない。国も国民も不断の努力をしなければいけない。人権思想は神の約束ではない。人間が人間を幸せにしなければいけないという、茨の道なのだ。現在世界中で起こっている事態は、この努力を捨て去って自国だけ、もしくは富裕層だけの幸福を約束し、その範囲外を切り捨てる行為に思える。

 

 第一次大戦後、列強諸国はブロック経済という囲い込みで自国の勢力圏の繁栄を試みた。結果第二次大戦に至った。あのころに匹敵する不安定をいまの世界情勢は生み出しているんじゃないだろうか。

オスプレイ事故に寄せて。基地のある自治体に住むということ。

 僕が現在住んでるのは神奈川県相模原市の相模大野だ。相模原は戦前から戦中にかけて「軍都」として開発された地域であり、戦後それらはほとんど米軍に接収されて利用されてきた。相模大野には米軍医療センターが広大な敷地を占拠していたが、返還されて伊勢丹や公園やロビーファイブなどの住居、公共、商業施設になっている。相模大野に引っ越してきた当時住んでいたマンションは、いまもそのまま残る米軍住宅のすぐそばで、マンションのすぐ横に金網で米軍施設が区切られており、ぎちぎちに詰まった現代の日本住宅街から金網を覗くと、広々とした芝生と平屋の住宅が並び、広大な庭には子供が遊ぶ遊具や三輪車が置いてある。いやあアメリカの軍人さんだか軍属さんだか、この広大な敷地でのびのび子育てできるのだなあと羨ましく思ったものである。

 いや実際これかなり羨ましいんだぜ。首都圏の過密地域の一角に広大なアメリカがある。周辺の道路もなにかと渋滞するのだけど、このだだっ広い米軍住宅を突っ切れたらさぞかし楽だろうなあってくらい広いのだw。

 

 ここからすこしいくと座間キャンプもあり、とくに引っ越してきた1995年から2000年くらいまでは日中戦闘機が往来する爆音が凄まじく。TVやラジオの音が聞こえなくなるので、ちょっとありえないくらいTVの音量を上げたりしたものである。

 

 その後子供が大きくなって部屋数少ない賃貸マンションでは厳しくなったので貸家に引っ越したあと、なんか基地周辺の家は工事費100%国負担で防音工事が行われることになり。窓を閉めっぱなしにするからエアコン2台までも無料でつけてくれることになり、ありがたく工事してもらったのだけど。そのころにはあまり戦闘機の日中飛行もなくなったので、実は必要なかったかもと思ったり。

 

 ああ、違う、うちの事情を話そうと思ったんじゃないんだ。神奈川の米軍関連施設も、あまり問題にはならないものの不公平感と公害をもたらす存在である。もちろん日米同盟をふまえての必要性はわかるのだけど、いざ米軍のそばに住むとイライラするのは事実なのだ。誤解してもらっては困るのだか、個々の米軍関係者とまちなかで出会うことは嫌な経験ではない。コンビニや公園やその他で出会う外国人には興味こそ抱けど、嫌悪感は感じない。人の関係と、スペースの関係は独立した問題なのだ。

 

 沖縄は、その歴史的経緯から米軍基地の占める割合が大きい。大きすぎる。神奈川で座間や相模大野の住民が思うレベルとは違うのだろう。沖縄で反基地運動してる人たちがみんな反日左翼みたいな見方をする人もいるような気がするが、実際そんなことはないのだと思う。あれは基地が実際多くて、嫌なんだと思うよ。そんな場所にある米軍基地だから、米軍も気を使ってるし、空中給油に失敗してプロペラを損傷したオスプレイパイロットが住宅地を避けて海に不時着したことを基地の偉いさんが誇りに思い、抗議にカチンと来るのもわかるのだ。ただ、副知事がオスプレイ事故そのものをあってはいけないことと考え抗議し、対応に不満を漏らすのもわかる、そもそもこれは抗議する側、される側の認識が擦り合わされていないのだ。人口過密の住宅地のすぐそばに基地があり、いつ事故が起こるかわからない。絶対事故は起こしてほしくないという側は、事故が起きたらそれ自体を糾弾せずにはいられない。一方事故を起こした米軍も被害を出さないよう本気で頑張ったのだから認めてもらいたい。これはどうしようもなくすれ違っている。本質的には基地が民間のぎりぎりに存在することなのだ。十分離れた場所で訓練する分にはたとえ事故が起きても大概問題にはならないのである。結局沖縄の狭い中に米軍基地がある以上どうにもならないことなのだ。沖縄が日米同盟の「犠牲になっている」という感覚をなくさなければ解決しないだろう。そのためには沖縄の米軍基地を面積で半減くらいはしないと駄目だと思う。東アジアに必要だと言うなら九州なり中部なり四国に移転でもいいだろう。そうでないならグアムに移してもいいだろう。沖縄の基地を日本の沖縄以外の都道府県に移動するというと大概どこも反発するけど、相模大野で戦闘機の爆音をここ20年聞いてきた経験を言うなら、それほどひどくはないといえるよ。

戦国時代逆行転生転移小説

最近のWeb小説で、中世ヨーロッパ風の剣と魔法の異世界に転移するのと同じくらい人気のジャンルが、過去の世界。戦国時代や第二次世界大戦の時代に転移するものだ。今回は戦国時代転移転生物の話をしたい。

 

現代人が死ぬかなにかして、戦国時代の有名武将や、その身近な人物に転生するというパターンは多い。王道は織田信長豊臣秀吉周辺だろう。大きい枠で言うなら歴史改変物になる。僕は歴史改変は大好きだ。逆に改変できないストーリーは嫌いだ。NHK大河ドラマの「真田丸」が人気だが、あれはどうやっても最終的に徳川が勝って真田信繁は死ぬことがわかってるので、見ててつらい。かつて家康の首を50m飛ばしたあげく、実は猿飛佐助が宇宙人だったという「真田幸村の謀略」という映画ですら、ラストで「家康の死は隠された」とか言って終わるわけで、歴史改変は「普通のお話なら」タブーなのだ。しかしWeb小説ならいくらでも歴史を平気で改変できるのである。

 

織田、豊臣系

みんなが見たい歴史改変戦国物といったら、織田信長が本能寺で死ななかったらどうなったかという話だろう。これを描いている作品がある。

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織田信長天皇の上にたつ神皇帝という地位についちゃう。そんで中国大陸に侵攻しちゃう

 

信長が本能寺で死なずに大陸進出する話って、本宮ひろ志のマンガ「夢幻の如く」があったよなあ。

 

信長ではなく、豊臣秀頼が大陸進出する作品もある。こちらも日本の天皇と並立して海外も含む支配者として秀頼が「皇帝」を名乗るという展開になる。なんか微妙に似てる。

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公家戦国系

さて、織田や豊臣と言ったスター級の戦国大名ではなく、戦国時代の時代劇での暗黙の武家支配を揺るがす作品もある。律令制に基づく公家の支配を使用した転移ものとして、以下の2つがある。

 

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両方共現代人が戦国時代に転移して、公家の庇護を得、飛騨の国司になってそこから戦国日本に勢力を増していく話だ。飛騨は山間地で普通に言って米作の点では貧しい小国で、そこから勢力を増していくのが痛快な展開になっている。この二作品が両方「飛騨国」を「戦国大名ではなく公家の立場で」開拓するという偶然の一致が興味深い。なお、現在「よくわかる新?戦国日本史」の方は作者体調不良で更新停止している。

 

戦国時代にはすでに形骸化していたが、まだそれなりに権威があった「国司」という地位で活躍するにあたり、これらの作品は、主人公が現代人であることから知識チートを使用して実効支配を強めていくわけだけど、知識チートだけなら戦国武将転生でも同じことなのだ。なにが違うかというと、朝廷からの国司の地位は、足利将軍家の守護などとは独立していて、実力さえあれば将軍を頂点とした武家ヒエラルキーをまるっと無視できてしまうことが面白いのだ。

 

戦国畿内

戦国時代の畿内が舞台になる作品。戦国時代というと織田信長から豊臣秀吉徳川家康と、東海、関東のイメージが強いが、畿内には足利将軍や六角、三好といった、当時実際政府と言えるものを持ってた連中がいたわけで、そこにはいろいろ美味しいネタが有る。

 

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史実にはない六角家の末子が活躍する。転生転移物ではなくて、あくまで六角氏に架空の男子を挿入して歴史を改変している話。結構おもしろい。

 

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足利将軍が逃げ込む先だった近江の朽木家の朽木元綱がモデルな、朽木基綱が主人公。現代人の転生っぽい。結構緻密に話を書き込んでて楽しい。朽木なんて、マイナーな国人領主が史実の信長以上の立場になっていくのがいい。

坂上田村麻呂黒人説というのが海外では意外と広まってるとか

どんぐりこ - 海外の反応 海外「映画化希望!」日本で平等に扱われた黒人奴隷の歴史に海外が感動

上の記事では、織田信長に仕えた黒人、弥助についての外国人の反応が寄せられているのだが、なんだかよくわからんが、侍はみな黒人だったというような勘違いをしている人がいる。最初の侍として坂上田村麻呂の名も挙げられているのだが、どうも坂上田村麻呂黒人説というものがあるらしい。

細かい話だけど侍(武士)は10世紀以降の、武芸を家芸とする下級貴族から始まるもので、坂上田村麻呂の時代に侍は存在しない。田村麻呂は武官である。

 

坂上田村麻呂黒人説 - Wikipedia

どうやらカナダの人類学者が、坂上田村麻呂をネグロと書き、それがアメリカの公民権運動に取り入れられて広まったらしい。カナダの人類学者が何を根拠に田村麻呂をネグロと書いたのかは謎である。坂上氏の先祖は系図上では後漢霊帝の末裔で、百済からやってきた渡来人であるらしいが、渡来人であってもおそらくモンゴロイド以外ではありえないだろうと思われる。

 

どうも「坂上田村麻呂が黒人である」という説、「坂上田村麻呂が最初の侍である」という誤解から、「侍は坂上田村麻呂の子孫で、黒人の血を引いている」みたいなイメージになってしまっているのだろうか。なんともややこしい話である。

 

中国花火がやってきた頃

 僕が小学生時代、今から約40年ほど前。1970年代のこと、それまで棒花火やねずみ花火、線香花火が中心だった玩具花火の世界に、中国花火が加わった。駄菓子屋などで様々な花火をバラ売りするようになったのだが、製品名にまるっきりかな文字がなく、中国の簡体字で書かれていたりして、申し訳程度にあとから日本語の注意書きが貼り付けられたりしていた。その中でも記憶に残っているものが、いまも検索すると当時のままのデザインで売られていて驚いた。

 

 

大地花開

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70年代に買ったバージョンだと「開」の字が「开」だったような記憶があるが、基本こんなだったと思う。こんな棒だけど、火をつけると色鮮やかな炎を吹き出しながら回転し、蓮の花のような残像を残す。炎の色が三色に変わり、まるでバイクのエンジン音のような音を立てて回る様はすばらしかった。ただし、あっという間に燃え尽きるのでなんか損をした気分になる。現在は一本50円程度で売られているようだが、70年代には20円だったと記憶している。日本にはねずみ花火という回転花火があったが、あちらは軽いため思いがけない走りを見せて追いかけてくることがあり、あげくに「バン!!」と爆発するので子供の頃は怖くて怖くて絶対自分では遊ばなかった。大地花開は爆発しないので安心して何度も買いに行っては遊んでいた。

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 あ、「大地花开」で検索したら出た

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僕が子供の頃買ってたのこのデザインだ。

 

爆竹

これは本来導火線で繋がった一連の花火を一度に爆破してバンバンなるのを楽しむのだが、僕らの子供の頃、一発一発ほぐして、田圃の泥に埋めたりバッタにくくりつけて爆破する遊びが一般的だった。小学校で大流行し、学校のそばの文房具屋で売られていたが、あまりに流行って危険だということで禁止された。僕と友人が禁止後にいままでの感覚で公園で遊んでいたのを一体誰がチクったのか学校に知られ、担任に教室でビンタされた思い出がある。

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この真っ赤なパッケージは当時のままである。ただ、「20連II」という文字はなく、「牡丹紅炮」だけだったと思う。中身はこんな感じ

 

 

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む、こっちの写真は昔のままだな。当時は一箱100円程度で買えたと記憶している。

 

 このような安価な玩具花火が、40年間ほぼデザインも変えず製造され続けているということに驚いたので記事にしてみた。

宮崎、高畑、大塚以前の東映動画天才アニメーター

 東映の大川社長がトチ狂って「東洋のディズニーを目指す」と、戦中戦後のアニメーターをみんな集め、新人育成もしまくって東映動画を作ったのだけど、今現在、この東映動画出身のアニメーターで認知度が高いのは宮﨑駿、高畑勲大塚康生あたりだろう。しかしこの三人以前に、日本アニメの歴史で欠かしてはいけない人間がいる。

 

森康ニ

 日本ではじめてのセルアニメーション「くもとちゅうりっぷ」を制作した、政岡憲三の弟子であり、東映動画設立時から参加していたアニメーター。日本において「アニメーションの神」と称される人物である。

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小田部羊一

 可愛い動物を書かせたら天下一品。のちに「アルプスの少女ハイジ」のキャラデザをやっている。東映動画初期に頭がつぶれた感じのちょろちょろ動き回る小動物描いてるのはだいたいこの人。

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月岡貞夫

 もともとは手塚治虫に師事した人で、手塚が東映最遊記」の監督を引き受けたものの、アニメスタジオに常駐して監督やる暇がなかったので東映に派遣され、そのまま就職してしまった。大概の作画が一発OKで「天才アニメーター」という名をほしいままにする。手塚治虫が作画節約しまくりの「鉄腕アトム」作ったときに、東映では「あんなのアニメじゃねえ」的な意見が多かったが、月岡は「TVアニメやりましょう」と「狼少年ケン」の企画を提出。一人で原画をやろうとするが無理がたたってスタッフから抜ける。どうも月岡貞夫はもともと手塚に師事した作家志望の人だったせいもあってか、作家志向が強く、後にはNHKみんなのうたなどの短編アニメーションで活躍することになる。「ドラキュラのうた」「サラマンドラ」「北風小僧の寒太郎」などを作成している。

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開局当時のTOKYO MXは先進的だった

 現在は多くのアニメを放送するとともに、ちょっとキー局では古くなったタレントが多数登場するバラエティなども特徴になってるTOKYO MX。このテレビ局が放送開始したのは1995年のことである。東京にはローカルTV局がないという理由で当時の鈴木都知事なんかが頑張った結果できたものだけど、あれ?東京12チャンネル(現テレビ東京)って東京ローカル局じゃなかったの?というのが当時のみんなの思い。だってテレ東ネットする地方局あんましなかったしw。でもテレ東はもともと東京ローカルなテレビ局というわけではなく、教育放送を目的として設立されたものだったのだ。というか、日本科学技術振興財団が、授業放送を行うチャンネルとしてはじまったもので、今で言う放送大学に近かったらしい。まあすぐに普通のTV局になっちゃったんだけどね。

 

 で、TOKYO MX東京メトロポリタンテレビジョンである。ここが開局した1995年当時は、NHKがBSでアナログハイビジョンの実験放送をやっており、地上波では基本昔からのNTSCフォーマットでの放送が行われていたが、電機メーカーがワイドテレビを競って販売していた時期だ。放送フォーマットが4:3ばかりなのに、16:9のワイド画面のテレビが売られ、それで普通の番組を見るとどんなスリムなタレントもみんなデブになるという、ただ横に広げるだけのおかしな流行だった。いや、放送側でもワイドビジョン、ワイドクリアビジョンといった、ワイド放送は実験的に行われており、その番組を見ると正しく横長だけど縦横比崩れない画面で見られたのだけど、基本的に一部映画の放送などで限定的に使用されていただけだった。そこで、新規開局のMXは、他社からの購入番組や、古い番組の再放送以外のオリジナル番組を極力ワイドクリアビジョンで放送するという方針を打ち出す。しかし新規開局のテレビ局がそれほど多様な独自番組をつくれるわけではない。

 結果初期のMXは、まるでニュース専門チャンネルみたいに、ニュースを流していた。放送時間の半分くらいはニュースだったんじゃないかな。これも取材班にハイビジョンカメラをもたせ、ハイビジョン素材をワイドクリアビジョンに変換し、スタジオはワイドクリアビジョンで、素材もワイドという体制を作り上げた。当初バラエティは皆無だった。ちなみに僕は当時ワイドテレビなんか持ってなかったので、ニュースの時間になると、上下に黒帯がつくという見え方になってしまっていたのだけどね。

 

 さすがにニュースだけでは一日潰せないので、海外の番組を吹き替えて放送したりしてたのだけど、開局当時に「おおお?!」と思ったのが「新・世界の料理ショー」。かつて1970年代に一世を風靡したグラハム・カーの「世界の料理ショー」のリメイクである。子供の頃に、薄切りじゃない巨大ブロック肉を大きなオーブンでこんがり焼いたり、バターや油たっぷりのクリーミーな料理をすげえうまそうに作って頬張ってたあの番組の後継。これがまあ、90年代になるともう、「いかに油を減らしたヘルシーな料理をつくるか」って番組になっちゃってて。番組の最後に「旧来の調理法と比べてどれだけ脂肪やカロリーを減らせたか」の比較が出るという、なんというか、20年ほどの間の文化の変遷を目の当たりにさせられる代物でありました。なんでもグラハム・カーの奥さんが脳梗塞心筋梗塞で倒れたことで、健康料理に切り替えたらしいですよ。

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