運営してるWebサイトをFreeBSD10.3から11.0にアップデートした

基本的には公式サイトの

FreeBSD 11.0-RELEASE Announcement

を見ればいいんだけど、日本語で更新手順を知りたいならBSD四方山話の

gihyo.jp

の通りにすればいい。記者は後藤大地さんである。後藤なら信頼できる。なにせ僕も後藤だからな。

ところが、うちのばあいこの通りでうまくいかなかった。

freebsd-update  upgrade -r 11.0 RELEASE

の実行中にエラーになるのだ。原因を調べたら、うちのサイト、FreeBSD10.3の最新バージョンになっていなかった。日頃のアップデートをきちんとやっていなかったという話になるのでどこで止まっていたかは秘密だが、11.0へのアップグレードをするためには、FreeBSD 10.3-RELEASE-p10まで上がっていなくてはいけないようだ。なのでまず、

freebsd-update fetch

で10.3の最新を入手し、

freebsd-update install

shutdown -r now

 

その後上記手順で11.0にアップグレード。

ちゃんとFreeBSD 11.0になったのはいいのだが、この過程でPHPImageMagickラッパーライブラリ、pecl-imagickが消えていた。うちのサイトはPHP7+nginx+Wordpressで運営しており、Wordpressの動作にImageMagickは必須ではない。なければGDを使用して画像の拡縮を行うのだが、ImageMagickの方がより綺麗に縮小などできるとされており、できれば使いたい。なのでpecl-imagickを改めてインストールしようとしたのだが、これを入れようとすると、pkgでもportsでもPHP7を無視して、PHP5.6をインストールしようとしやがる。どうも決め打ちでPHPのバージョンを5.6とみなしているようだ。

なので、/etc/make.confに

DEFAULT_VERSIONS+= php=7.0

の行を追加して、portsからmake install。これでなんとかなった。

 

今後PHPのバージョンが7.1とかになったら、/etc/make.confも書き換えないといけなくなりそうなのでめんどくさい話だが、一応ここに書いて備忘録にしておこう。

パピルスと現代の紙の間になぜ羊皮紙の時代があったのか

 文書を記録する媒体として最も古いのは古代オリエント地方で使われた粘土板であろう。古代の楔形文字はそもそも粘土板に記録するのに便利な文字として発明されている、棒を粘土に押し付ければ書ける文字なのだ。

 

 次にエジプトでパピルスが発明される。これは水草の茎の表皮を剥いで伸ばし、水につけて発酵させ柔らかくしたあとに、縦横に並べて圧力をかけ、乾燥させることで完成する。植物繊維を結合させて薄い板状にするという点で現代の紙に近い。ちなみに紀元前3000年位にはあったらしい。パピルスは軽く、粘土板のように割れることもなく柔軟で、巻物にして持ち運びも容易という優れた特徴を持っていたので古代世界でかなり普及した。ローマ帝国物の映画などで見られる巻物もパピルスである。ただ、当時も巻物の一番外側を保護するために動物の皮を加工した羊皮紙を使っていたという。おそらく羊皮紙は高価で、パピルスのほうが安かったのだろう。現代的な置き換えをするなら、本の本文用紙はパピルス、表紙は皮という感じだったのではないかな。

 

 中世ヨーロッパに羊皮紙の使用が広まったのは、パピルスがエジプトでしか作られなかった(原料の水草がアフリカで栽培されてることもあった)ことが大きい。エジプトで制作して各国に輸出されていたのだ。次第に需要が増えた紙の用途を満たせなくなり、2世紀にアレクサンドリア以上と言われた図書館を擁した小アジアベルガモンへの禁輸措置が採られる事態になる。このときベルガモンでは、パピルスに替わる紙として羊皮紙に注目。普及させたと言われている。まあ、これ以前から羊皮紙の採用は増えていたらしく、この話は後世のこじ付けではないかという話もある。どっちにしろ、パピルスのエジプトから離れた地域での入手が難しくなり、羊皮紙製造が増えた結果切り替わっていったのだろう。羊皮紙はパピルスに比べれば厚く、インクの染み込みが浅かったので、書き損じた部分は削って書き直すことができた。そういう利点もあった。

 

 さて、現代の紙の直接の祖先は中国での紙の発明だろう。これは紀元前150年頃の紙が出土しており、だいたいそれ以前に発明されたものと思われる。史書の上では起源後105年に発明されたことになっている。パピルスよりはずっとあとで、羊皮紙とだいたい曖昧に似た時代に発明されてるっぽい。初期の頃は樹皮とボロ布から作ったとされてるが、要するに植物繊維をバラバラにして漉くという手法の元祖がこの頃産まれたのだろう。ところで、中国で紙が普及する以前は、竹を細く切ったものをつないで巻物にしていた。パピルスと同様、東洋でも当時は書物といえば巻物だった。

 

 中国の紙が西洋に伝わるきっかけは、現代のキルギスにあたる地域で、アッバース朝と唐が戦ったタラス河畔の戦い(751年)で、唐の製紙工が囚われたことらしい。その後、イスラム世界から西欧に伝搬していく。ちなみに日本に紙が伝わるのが7世紀なので、西洋よりはちょっと早いw。

 

 で、だいたい12世紀にイタリアやフランスで製紙工場が作られるようになるが、まだ公文書は羊皮紙が使われていた。おそらくグーテンベルク活版印刷が登場する15世紀あたりから、紙の需要が高まっていき、大量生産、価格の低下が起こっていったのではないかと思う。

 

 パピルスと中国紙は、それぞれ全く独立して発明された。時代も違う。しかし、使い勝手は極めて近かったと思う。なぜパピルスから中国紙にいかず、途中に羊皮紙文化が入ったか。結局ローマ帝国崩壊によって国際物流が途絶えたことによって、微妙に使い勝手の違う羊皮紙がパピルスを駆逐してしまった。羊皮紙は言ってしまえば羊の皮をなめす技術がある地域でなら作ることができる。パピルス入手の高コスト化、入手難が、羊皮紙を工夫して使う流れになり、ついにはパピルスの製造が途絶えるまでになった。エジプトでのパピルスの製造はほそぼそと続けられていただろうけど、国際的に影響力を保てなくなった。そして現代の樹木の繊維を使う紙がより低コストで高品質になっていった。いまではパピルスはエジプトの土産物でしかない。

宮城県の塩竈市と岩手県の塩竈村(現奥州市)と留守氏

 僕の実家のある岩手県奥州市水沢区は、平成大合併前は水沢市、さらに遡ると水沢町。水沢町というのは、明治22年に塩竈村と常盤村の一部が合併してできた自治体である。さて、塩釜といえば宮城県塩竈市。字面からも海と関係が深そうである。ところがうちの実家は岩手県の内陸。日本海からも太平洋かも結構遠い。なんでここが塩釜だったのか。なんで宮城県の塩釜と同じなのか。調べてもはっきりした由来を見つけられなかったのだけど、両方に共通するものがある。領主が留守氏だったことだ。

 

 留守氏は、奥州合戦後、源頼朝から陸奥国留守職を賜った伊沢家景を祖とし、その子家元から留守氏を名乗った氏族である。多賀城陸奥国府を本拠として、鹽竈神社の神官を家臣にし、神社の社領を支配していたらしい。ところが戦国時代にいろいろやばくなって伊達家を頼った結果養子を送り込まれたりして伊達に取り込まれることになる。で、まあ伊達家の家来だから小田原征伐いかなくていいよねーと思ってたら秀吉に「おまえ大名だろ、来なきゃダメだろ」と本領取り潰されることになる。んで、本格的に伊達政宗の家臣に下って、伊達姓もらって最終的に水沢城に封じられるのだ。

 

 実際のところどうだったのかよくわからないんだけど、これって、留守氏がそれなりの栄華を誇った塩釜時代をなつかしんで、内陸水沢の地に塩釜の名をつけたとか、そういうことありそうだよな。

 

 現在水沢の市民は江戸時代の領主を留守氏と認識しているが、基本江戸時代には伊達姓を名乗ってて、戊辰戦争の敗戦で留守氏に戻ってる。奥州市水沢区に、今は塩釜という地名は存在しないが、戦前の地図には市内の一地域名として「鹽竈」が残されていた。

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コンビニ等季節商品をバイトが購入するお願い(ノルマではない)とは

 現代のコンビニなどでは、おせち、恵方巻き、クリスマスケーキ等、季節ごとの高価なスペシャル商品が用意され、予約販売されるのがあたりまえになっているが、これらの売り出し時期に、バックヤードにバイト全員の名前と注文数を記録する紙が貼られ、バイト各員に購入が「お願い」されるという事例があるようだ。強制ではなく、買わなかったからと言って時給の減額など明確なペナルティがあるわけではないようだが、これってどうなんだろうか。もちろん買ったからといって時給アップとかボーナスがあるわけではない。もちろんバイトの購入額を店が補填するわけでもない。店長の実績が上がり、店が潰れずにすむとか、バイトを増やす余裕ができる。ひいては無茶なシフトが減るなどの間接的な利益が出る可能性はあるのだけど、いやほら、一人暮らしの大学生バイトがホールケーキ買ってもしょうがないだろうし。

 商品とは基本的に「欲しいから、必要だから買う」ものであって、勤務する店が必要ないのに買ってくれとお願いするものではないと思うのだけどなあ。

 

深夜TVクロージング天気予報と犬神サーカス団

 チャンネルは覚えていない。深夜TVで音楽PVを流しながらテロップで「明日の天気」を流す番組があった。確か一週間、あるいは一ヶ月くらいあったかもしてない。同じPVを流し続けたと思う。

 

 漫画家という自由業の僕は、夜型生活を享受してたので、深夜から朝方、TVをつけっぱなしにして仕事をしていたわけだが。あるとき毎日天気予報とともに流されるPVにはまっていた。

nicoviewer.net

 犬神サーカス団の 鎮魂歌~レクイエム~である。言っちゃ悪いがこのバンドはインディーズ系で、一時メジャーレーベルと契約してたときもこれといってメジャーヒットを飛ばした記憶はない。だが毎日深夜にこのPV見てみろよ。すげえ記憶に残るって。

 

 というわけで、音楽会社は深夜の天気予報をスポンサードして毎日同じPVを流すスタイルを復活させるといいんじゃないかな。

悪役令嬢婚約破棄もので嫌な作品傾向

「小説家になろう」などのWeb小説サイトで一時期流行した「悪役令嬢もの」がある。基本プロットは以下のような感じ。

 乙女ゲームの世界の悪役令嬢が主人公。なお、この場合の「乙女ゲーム」とは、女性主人公が高貴でイケメンな男性達と真実の愛を育んでハッピーエンドを目指すもの。光栄のアンジェリークあたりを元祖とする女性向け恋愛アドベンチャーが基本になっているのだけど、小説サイトで流行するにあたって独自進化を遂げている。

 

 現代日本の大企業社長一族が通う上流階級向け私立学園というパターンもあるけど、多くは中世ヨーロッパ風異世界の貴族社会で、貴族が通う王立学園が舞台。しかし優秀な平民も通っている。

 ゲーム設定に置けるヒロインは平民もしくは子爵、男爵などの下位貴族令嬢。攻略対象は王子と宰相子息と騎士団長子息と王宮魔道士子息あたりが定番。隠し攻略対象として身分を隠して留学している隣国の皇太子なども用意されている。メイン舞台が王国なのに対し、隣国はより強力な帝国であったりするパターンも多い。隠しキャラを攻略するためにはメイン攻略キャラを全員攻略しないといけないと言うゲーム設定もある。

 

 ヒロインの攻略するキャラにはもともと婚約者がいる。貴族社会なので政略結婚であり、真実の愛情はないものとされている。攻略対象たちは妾腹であったり家族の不和であったり才能に対するコンプレックスであったり、幼少時の事故によるトラウマであったり、なんらかの心の闇を抱えており、それをヒロインがフォローすることによって好感度が上がるものとされている。

 

 で、悪役令嬢ものというのは、その場合の上位貴族や王族の婚約者で本来のゲームでは嫉妬に狂ってヒロインをいじめ倒す公爵令嬢を主人公としたものだ。多くの作品で、現代日本人オタクOLの女子が、自分がはまってた乙女ゲームの世界の悪役令嬢に転生してしまい、ゲーム通りならヒロインをいじめて爵位剥奪や国外追放、はては死刑になるという運命を知っているので攻略対象とかかわらないように頑張るが向こうから寄ってきてやはり婚約されてしまったり、ヒロインをいじめなければいいと思っていたらヒロインが自作自演で「差別的な事を言われた」「教科書を汚された」「私物を隠された」「階段から突き落とされた」という架空の犯罪を自作自演で作り上げて「悪役令嬢糾弾イベント」を作り上げる。糾弾イベントは学園の創立記念とか卒業パーティとかのはれやかな舞台で唐突に行われ、ヒロインと王子含め攻略対象子息達が提出する証拠はヒロイン本人の証言だけみたいな雑なもので、婚約者王子とは別の王子とか、王室の調査機関とか、隠し攻略対象の隣国皇太子に真実をあばかれ、冤罪を作ったヒロインはざまあ。ヒロインに踊らされた王子は茫然自失。廃嫡され荒れ地に臣籍降下され封じられるというオチが待っている。もちろん冤罪をきせられた公爵令嬢は王や王妃に謝罪され、あらたに王太子になった王子や隣国皇太子に嫁ぐことになる。

 

 いやこれおもしろいのだ。最初にこのパターン作った人偉いと思う。ようするに冤罪を押し付けられてそれを解消し、幸せになる話だから。普通に面白い。

 

 だが、これが流行した結果これをベースとしてひねった話が生まれる。そりゃ流行に乗っかって全く同じ話を発表したら芸がないからね。で、うまれたのが、王子やヒロインが、公爵令嬢の「前世の記憶」にあえて乗っかって悪者を演じるパターン。そもそも窮屈な王になるのを避け、地方領主くらいの自由度を望み、作品世界では妄想としか思えない公爵令嬢の電波思考(前世記憶)にあわせ、悪役を演じて婚約破棄を「してあげる」。これは王子と攻略対象とヒロインが「全部わかってる本当の主人公」という逆転パターンだ。しかし意外性を狙って冒頭は不当な婚約破棄劇をあえてやっている。

 もうひとつのパターン。最終的にヒロインと王子の企みを挫く別の王子や隣国皇太子が、悪役令嬢に惚れた結果。本来悪ではなかったはずの王子やヒロインに裏で自作自演のやらせを示唆し、公爵令嬢糾弾をつくりだし、さっそうとそこから救い出し、王子やヒロインを罪に落とす。この場合悪役令嬢と最終的に結ばれるのは腹黒王子、皇太子ということになるのだが、なんだかこの「腹黒男子の手回しでもともと害意を持ってなかった人たちを悪に落としても、ヒロインを愛する」みたいなのって、意外と需要あるっぽいんだよ。どう弁護しても行き過ぎのおとり捜査、どころじゃない極悪非道な行いじゃない。これを作品の結末として提出して、感想欄でも罵倒されないって考えられねえ。人間の意志をなんだと思ってんだと。

 

 そういや「婚約者を愛していたけど相手は自分のこと嫌いだと思う。だから嫌われて離縁され、婚約者が真に愛する人と幸せになってもらいたい」みたいな自己犠牲主人公の気持ちを誤解した挙句ヤンデレ婚約者が「そんなに嫉妬されたかったの?」とかいって主人公を地下室に監禁。それで幸せみたいな小説も見かけるんだけど、君らそれでいいのか?なんなんだあの人権侵害。他者をわざわざ不幸にしたり、地下室に監禁されるのが本当の愛だみたいなの、死ねばいいと思うよ。僕はいくら底が浅いと言われても、普通の幸せがいいと思うなあ。

ダーウィン進化論と日本独自の進化論

 ダーウィン(とウォレス)の進化論は、遺伝子の発見以前のものなのだが、そのアイデアは驚くほど有効だ。それは非常にシンプルな考え方に基づく。

 

  • 生物は自分より多くの子を作る。
  • 子は親に似ているが僅かな変化がある。
  • 生存環境において親より優れた個体は生き残りやすい。

 

 捕食関係や、栄養資源の争奪が起こっている状況では、たったこれだけの条件で自動的に進化が進むことになる。大体の場合生物の数はバランスが取れている。つまり親よりいかに多い子が生まれても、捕食者に襲われたり、餌を得られず死んでしまう。その結果、より生き残りに向いた個体が生き残って次の世代を生むことになる。この過程が自然選択と呼ばれる。なお、世代ごとの変化は基本的にごく小さいものになる。分子レベルの化学反応によって起こる変化は、それほど大きなものにはならない。Xメンみたいに突然目からビームを放てるようになることはない。夢がない話だが、大きく変異した場合は生物としての機能不全の方にいってしまう。生物進化の歴史で、複数の種が成立している段階ですでにその時代の環境に適応するような体になっちゃってるので、大きく変化した場合、生き残りが難しくなってしまう。

 

 結論として、生物の進化というのはゆっくり進展するものだ。キリンの首が急速に伸びたと行っても、それは地質学的な尺度での話であって、1世代や2世代で急にオカピからキリンになったわけではないのだ。

 

 というわけで、ダーウィンの進化論と、その後いろいろあって現代主流となってる総合説はあまり変わっていない。だが、ときどき反ダーウィンな進化説を考える人達がいる。なかには別にダーウィン的な進化論に反対したわけではない人もいるけど、日本でそういう扱いになった人たちを挙げてみたい。

 

今西錦司

京都大学の名誉教授であり、霊長類学の権威であった。彼はダーウィン進化論が殺伐とした弱肉強食であるとみなし、より日本道徳的な「住み分け論」を提唱した。生物は環境に応じて平和的に住み分ける。進化すべきときになれば一斉に進化するとした。しかしこれはダーウィニズムを実は否定していないし、「進化すべき」状況の説明も「一斉進化」のメカニズムも提出しなかったので、進化論の歴史において現在ほぼなんの影響もない。彼のせいで日本の進化学研究が遅れた、いやそんな影響はなかったという論争がなされているくらいで、どっちにしても彼の進化説にはなんら見るべきものはない。

 

◯木村資生

「分子進化の中立説」を提唱した。分子レベルでの進化。塩基の入れ替えの殆どは自然選択に対して中立で、有利でも不利でもないということを見出した。実は木村の中立説はダーウィニズムを否定してなかった。はっきり表現型に影響を及ぼし、生き残りに影響する変化は当然自然選択にかかる。だが「有利でも不利でもない変化」が遺伝子に定着しうることを示したため、進化は自然選択が全てとみなす方面から攻撃された。

 遺伝子変異のほとんどが中立で、それは確率的事象なので、進化速度を計算できると言うすごい貢献をしていたのだが、一時期反ダーウイニズムの騎手みたいにみなされてた。

 

◯中原英臣

「ウィルス進化論」を提唱した。ウィルスが遺伝子を種を超えて水平伝搬するという事実から、進化の本質がこれであると思っちゃった人である。この人にかかれば、キリンの首が伸びたのは、首を伸ばすウィルスに一斉に感染したからとなる。つまり進化は感染症だと言っているに等しい。考えてほしい。あるオカピの群れが突然ウィルス感染で首の長い子ばかり生まれて、それがキリンになったとして1世代で適応できるだろうか。なお、彼はこのウィルス進化論が今西錦司の「進化すべきときになれば一斉に進化する」という説に理論的説明を与えたと自認していた。

 

池田清彦

構造主義生物学」というなんか哲学っぽい進化論を唱えた。正直何を言ってるのかさっぱりわからない。だれかわかる??