読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

初期パソコンはアマチュア無線ショップで売られていた

パソコンを買うとしたら、メーカー直販、大型家電店といった選択肢もあるけど、まあパソコン専門店も強い。ところでパソコンなるものが登場した頃はそんなに一般の人が買うものではなかったし、インターネット以前の時代なのでメーカー直販というのもまずなかったろう。あたりまえだけどパソコン専門店なんてものはパソコンが登場したあとでできたものだ。ではどこで売られていただろう。

 

前提として、MZ-80やPC-8001、もっと遡ってTK-80などが売られていた時代、それらはあまり実用的な「道具」とはみなされていなかった。「個人が所有できるコンピューター」というなんだか漠然とした凄さはあったものの、周辺機器も少なく、グラフィック能力も最低限。データ保存はカセットテープで数分かかるようなシロモノである。ソフトウェアが商品になるという考えもハードが出たあとで徐々に出来上がっていった感じで、当時パソコン買った人はなんだかとにかく自分でプログラムを打ち込んで「動かしてみる」。そのための機械だった。要するに技術オタクのコアな趣味のマシンだったのである。こういうものを展示販売する店とはなにか。

 

1970年代、アマチュア無線は技術系少年から大人の技術者まで広く普及した趣味だった。全国にアマチュア無線ショップがあり、無線少年は屋根の上や、鉄のタワーの上に巨大なモーター付きHFアンテナを建てて遠い外国と交信して、たとえばヨルダンのフセイン国王からQSLカードもらうことを夢見ていたのだ。そういう無線ショップにパソコンが入ってくることになる。パソコンは少なくとも初期の頃無線と関係無かったけど、趣味的電子機器の来る場所は無線ショップだったのだ。

 

ハドソンは札幌の無線ショップだった。九十九電機秋葉原の無線ショップだった。そしてわが故郷、岩手県水沢市(現奥州市水沢区)でも市内のアマチュア無線ショップ「ジャルク」にMZ-80Cが置かれたのだ。1979年、僕が中学生の時代である。

 

地方の無線ショップは大概狭い店だった。無線機やアンテナ関連のパーツを並べるスペースはそんなにいらない。でもパソコンとなると机と椅子1つ分は必要になる。パソコンは当時とにかくなんだかわからない機械であり、客が実際に触って動かしてみるという展示がなされていた。客が横に置かれたマニュアルに書かれたサンプルプログラムを打ち込んで動かしてみる必要があったのだ。10行~数十行程度のサンプルでも、キーボード文化自体無い時代、椅子に座ってゆっくり打ち込んで試すのだ。ジャルクでは、その後数年間、MZ-80C一台を展示し続けた。

 

当時中学生だった僕がどう思ったか。コンピューターである。なんかSFとかに出てくるあれである。触っていいかと聞くといいといわれた。横にマニュアルとBASIC入門書が置いてある。プログラムを打ち込んで走らせる。エラーが出たらリストをチェックして直す。BASICの文法がわかってきたら自分でプログラムを考える。店に行って打ち込んでみる。思ったとおりに動く。このワクワク感。実用性皆無な機械だけど、すげえ面白かった。

そんな中高生が自然と店に集まる。雑誌にゲームプログラムが載ってたからみんなで打ち込もう。僕が考えたゲームをみんなで打ち込まないか?できたらテープにコピーして配るから。なにこの一体感。

 

1980年代に入ると、アマチュア無線という趣味は徐々に減退していく。それに変わってパソコンという趣味が普及していく。ジャルクはアマチュア無線ショップからパソコンショップに鞍替えし、新しい広い店を出し、MZ以外のパソコンを売り始める。

 

実際のところ、僕はパソコン(というか当時的にはマイコン)ブームの頃、田舎にいたので秋葉原あたりではもうちょっと違った動きがあったのかもしれないがよくわからない。でも少なくとも岩手のような地方では、パソコンブームの最初はアマチュア無線ショップから始まったのだ。