回転寿司も十分うまい。しかし…

だいたい寿司というのはうまいものだ。酢飯がそもそもうまいのだ。どうやってもまずくなりようがない。

寿司の先祖は魚と米を貯蔵して乳酸菌発酵させた「なれずし」である。これは発酵食品なので時間がかかる。なので乳酸菌の酸味のかわりに、ご飯に酢を混ぜて魚介を載せたものが現代の寿司だ。これによって寿司はいつでも作れるインスタント食品になった。江戸時代の寿司は酢飯と具材をあわせたファストフードであり、主に屋台で売られる庶民の味だった。江戸前寿司というのは江戸湾東京湾)でとれた魚を使う寿司であるが、冷凍技術なんてなかった当時的にはあたり前に「近場でとれた魚介」を使うしかなかったわけで、別に高級ブランドでもなんでもなかったのである。また、刺し身で食えるものばかりではなかったので、煮しめたり酢〆にしたり漬けにした具材が多かったらしい。

江戸時代のにぎり寿司は今の標準的な寿司に比べてデカかった。おにぎりくらいある、一個か二個食えば腹がふくれるシロモノだったのだ。これもいかにもファストフードっぽい。ハンバーガーショップでバーガー10個とか普通食わないでしょ。あんな感じ。

 

しかし寿司屋の「よりうまいものを」という探究心が徐々に寿司を高級食品にしていく。一口で食べ、口の中で具とシャリのハーモニーをいかに奏でるか。シャリは固くまとめず、ほろりとほぐれ、具のうまみと交じり合う。かつ崩れない絶妙な握り加減を追求する。大将に握ってもらってすぐ食べるという形式は、あたたかいシャリとひんやりしたネタの絶妙な組み合わせを産む。かくして現代の寿司の形ができあがるのだ。しかしその代償として、寿司は極めて高価な食品になってしまった。

 

1958年に大阪の元禄寿司が初めての回転寿司としてオープンする。東日本では1968年の仙台元禄寿司が初である。これは高級化した寿司を庶民のファストフードに取り戻す動きであった。確か僕が子供の頃(1970年代)、元禄寿司は一皿50円からあったと思う。なお、にぎり寿司以外の、巻き寿司やいなり寿司は当時でも庶民の食事であり、なぜか和菓子屋でリーズナブルな価格で売ってたし、自宅でもお母さんが作って運動会などでの定番弁当であった。

 

回転寿司は注文によらず、職人が握り続けてレーンに流す形式なので、カウンターで大将ににぎってもらうものに比べると、同じ技量の職人が作っても、温度などが最適化されない。結果として安いなり。「いつかは回らない寿司」などといわれることになる。しかし1990年代くらいまでは、まがりなりにも職人が握っていた。レーンの中で職人が「クイクイ」っと寿司を握る様が見られたものである。

 

にぎり寿司の「にぎり」という作業は、シャリの硬さと、具の結着を同時に完成させる高等技術である。この腕がダイレクトに寿司のうまさを左右する。これをロボットに代替させる技術が登場する。2000年代以降、回転寿司から職人が消える。カウンターやテーブルのフロアと厨房が分離し、レーンの奥でロボットがシャリ玉を握り、バイトがネタをトッピングするようになる。これによって全品一皿100円といった値段が実現する。職人が握ってた時代は回転寿司と言っても100~200円の皿から、1000円近い皿まであって、皿の色で値段を判断するのが一般的だった。

 

機械でにぎるシャリは、それなりに寿司を研究して作られているので、現代では結構ほどよい握り加減になっている。しかし仕上げがにぎりではなく「トッピング」なんで、箸で持ち上げただけでずりおちそうになる。回転寿司で中トロ食べようとして醤油につけるとき、ネタが落ちるのでシャリの方に醤油をつけちゃったりするだろう。もう小皿に出した醤油に寿司をつける方法は使えないと言ってもいいと思う。皿をとったら刺身に上から醤油をたらして食ったほうがいいんじゃないかな。

 

最近近所に出来た元気寿司に行ったら、レーンに流れてる寿司はなくて、全部タブレットで注文する形式だった。注文して出てくる寿司は、シャリが暖かく、ネタが冷たい、大将に握ってもらう寿司に近い味わいだったのだが、やはりシャリの上にそっと載せたネタが落ちそうだし、残念だったのは解凍が不完全なシャリシャリしたマグロが「ピン!」と背を伸ばして載ってたことだ。あえてレーンに流さない方法を採用したのなら、刺し身をルイベ状態で出さない工夫もして欲しかった。