ビタミンは退化もしくはずるい奴の印

健康のためにビタミンを摂取しようというのは近代以降わりと常識的な話だろう。ビタミンとはそもそもなにか。炭水化物(米とか芋とか)タンパク質(肉とか)脂質(まあ油)以外の、でも食事から摂らないといろいろ健康に影響が出てしまう有機栄養素だ。要するに体内で合成できないので直接取り込む必要がある物質である。

 

ところで動物は食べたものを分解して化学反応で必要な物質を作る。生存に必要な成分なら、分子レベルに分解してそれを組み立てて作ればいいのではないか?実は基本そうなっているのだ。体内では体を維持し活動するための無数の物質が日々分解、合成されて利用されている。「ビタミン」というのは、一般に「人間が合成できないが必要な物質」である。

 

「人間が合成できない」と書いたように、実は「人間以外の動物」は意外と体内で合成していたりする。例えばビタミンCを合成できないのは長尾亜目の霊長類、テンジクネズミ、コウモリなど一部の哺乳類で、その他の多くの動物は体内で作り出せる。ビタミンCを作れない動物も、その多くは進化の途中で突然変異によってビタミンC合成能を失っている。ビタミンC合成能を失った人間や他の動物は、かつてビタミンCを作っていた遺伝子の残骸を持っていて、過去にそれが突然変異で機能を失っているわけだ。

 

ビタミンCが不足すると老化が早まり、ひどい場合は壊血病で死亡する。こんだけ影響が大きいと、淘汰されて生き残れないと思うだろう。

ところが、そうではない。ビタミンCを作れない動物が少ないということは、適当に動物を食っていればそいつらの肉や内臓にビタミンCが豊富に含まれ、補給できるわけである。また、特にビタミンCを多く含む果実類は同時にエネルギー源である糖分も含み、これを好んで摂取した動物はビタミンCを得ることになる。そういや猿は果物大好きだよなあ。

食物から常に豊富なビタミンCを得られる動物は、ビタミンC生産能力が淘汰圧にならない。かくして、ビタミンCを作れない突然変異を起こした個体は淘汰されることなく、遺伝子を広めることになる。淘汰圧がかからない形質はいずれ偶然の変異が積み重なって機能が失われる。しかし食物から補給できるかぎり問題にならない。

 

ではなぜ人類史のなかでビタミン不足が問題になったか。人類は加熱調理を発明した、焼いた肉や野菜はやわらかく、おいしいのでそればかり食べる。しかしビタミンCは熱に弱く、加熱によってかなり減ってしまう。また、大航海時代以降の船乗りなどは、長期間保存食料のみで過ごすことが多くなり、新鮮な野菜や果実を補給できない。

 

日本では「江戸患い」と言われた脚気が流行。精米技術が発達し、おいしい白米をちょっとのしょっぱいつけものでもりもり食うという文化でビタミンB不足に陥る。明治時代の戦争において、実際の戦死より脚気で死んだ人が多かったと言われるくらいの有り様なのだ。

 

人間が「野性動物」であった時代は、獣や昆虫、雑草や果実を生のまま食べていたのでそれらの食材になる生物が作っていたビタミンを摂取できていたが、文明化され、計画的な保存食や、おいしい料理に走った結果ビタミン不足が表面化したわけだ。最終的に人類はそれらが体内でてきとーに合成できない「ビタミン」なる栄養素によるものだということを理解して対応した。

 

進化の過程で失われたビタミン生産能力を復活させることは難しいが、「なにが足りないか」を検討して補充してやればいい。

 

進化というのは案外ずるいもので、「自分で作らなくてもいいんじゃね?」となったらとたんにサボるのだ。もちろん、サボった結果環境が変わって滅びてしまった種は残らないので、残っているものはそれなりにうまくやった結果なのである。