「2001年宇宙の旅」のストーリーを簡単に説明

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歴史的名作SF映画「2001年宇宙の旅」だが、さっぱりわけがわからないという声が昔から多い。簡単に説明すると。

 

人類の祖先がまだ類人猿だった頃、彼らは餌を満足に取れず、強大な肉食獣に脅かされていた。ある日突然黒い物体「モノリス」が現れ、それに触れた猿はなにかが変化した。その辺に転がる骨を手に持ち、振るうことで物体を破壊できることに気付く。彼らはこれを使用して対立する群れと戦い、獣を狩る。「モノリス」に触れたことで知性の発達が促され、道具を使うことを覚えたのだ。つまり、モノリスによって人類が知的進化を果たし、地球の覇者になること、戦争の絶えない歴史になることを説明している。

 

時間は一挙に進んで宇宙開発時代。ヘイウッド・フロイド博士は月に呼び出される。月の地下に異常な磁力を発するものが埋まっていることがわかり、発掘されたのだ。それははるか昔地球に置かれた「モノリス」と同じ物体であった。なにしろどう見ても人工物の「モノリス」が発見されたので、異星文明のものであることはあきらかである。アメリカ政府はソ連には隠してこれを調査する。フロイド博士一行が「モノリス」に触れた時、強力な電磁波が「モノリス」から発せられる。その電磁波は木星を指していた。

 

木星になにがあるのか調査するため、ディスカバリー号が出発する。ただし、異星文明とのファーストコンタクトという重要事項なため、本当の目的はディスカバリー号のクルー、ボーマンとプールにも隠されている。なお、ディスカバリー号にはこの2人の他に異星文明調査のための科学者が複数搭乗しているが、冷凍睡眠カプセルの中で寝ている。ディスカバリー号に搭載されたコンピューターHAL9000だけは本当の目的を知っていたが、本質的に嘘をつけないAIである彼は、クルーに秘密を明かしてはいけないという最優先命令を課せられたことで、人間で言う統合失調症に似た状態に陥り、プールを殺害、冷凍睡眠装置の機能を停止させ、科学者も殺害。ボーマンも殺そうとするが、結局自分が機能停止させられる。

 

目的の木星付近に到着したボーマンは、そこに出現したスターゲートに吸い込まれる。このシーンはほんとうにわけがわからないが、太陽系から遠く離れた場所まで一気に飛ばされる描写であるらしい。恒星の爆発らしき映像や、地球とはことなる惑星などがめまぐるしく移り変わり、ボーマンが立っていたのは映画のセットのような豪華な部屋だった。

 

あの部屋は地球人を住まわせるために異星人が「地球のTV電波などを見て」作り出したものらしい。あそこでボーマンが食事をする男性を見ると、その男性が年をとったボーマンであり、さらに彼が振り返るとさらに年老いて死にかけたボーマンが寝ているという一連のシーケンスは、キューブリックが映像的に時間の経過を表現したもので、じっさいの体験としてはボーマンはあの部屋で提供される衣食住の中、年老いて死ぬまでの一生を過ごしたらしい。

 

ボーマンが人間としての一生を過ごしたあと、彼の精神は進化した精神生命体「スターチャイルド」として再生される。

 

クラークの小説版によれば、モノリスを送った生命体は物質的な進化の果てに、不滅の精神生命体となっており、知性こそが宇宙で唯一重要なものという思想を持っている。そのため遠い昔地球に知的進化を促すモノリスを起き、宇宙に出られる段階まで進化したら次の段階に進めるように月に「ここまで来た」ことを知らせるためのもう一つのモノリスを置いていた。そしてそれを辿ってきたボーマンを「精神生命体」に昇華させたというのが、あの映画の説明ということになる。

 

まあ、よく言われるように、キューブリックとクラークはそれぞれあれを自分なりに解釈しながら映画と小説を作ってるので、キューブリックとしてはまた違う考えがあったかもしれない。キューブリックの映画からは、モノリスを置いた存在はもっと人間の頭で理解できない神的存在っぽいイメージもあるし。

高橋研「懐かしの4号線」の謎

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昭和54年、この曲が岩手のラジオで連日かかっていたことがあった。全国的にはそれほどヒットした曲ではないと思う。「懐かしの4号線」は岩手出身のシンガーソングライター、高橋研のデビュー曲である。

4号線はもちろん国道4号線。東京から青森まで続く国道である。岩手の中心を通るこの国道は「ずっといけば東京に行ける道」という「夢の道」であった。

 

僕の子供時代の感覚では東京はあらゆる文明の先端であり、文化発する地であり、テレビや雑誌がやってくる夢の国であり、それに対して地元岩手というのは日本のチベット。日本の中も最悪レベルの後進国で、蔑まれるべき田舎で、三等国民の住まう場所で、不潔で奴隷の地で、岩手に生まれたら東京に出るしか人間としてみなされる道はない。岩手にいる限りどんなに虐げられても踏みつけられてもうんこぶつけられても殺されても仕方ない最低階層の存在とみなされるという感覚があった(少々オーバーに表現しております)。

そんな岩手県民にとって4号線は「夢の東京への脱出路」であったわけで、この歌はまさにイエローブリックロード。オズの魔法の国へ向かう青年の歌だと思ったのだが、よく聞くとこの歌で東京へ向かう主人公は「俺の切符の行く先ゃ東京」と言ってるのだ。あ。4号線で東京に行くんじゃなくて東北本線で東京行くんだ。4号線は岩手在住時友人らと車走らせた思い出なんだね。ついでに言わせてもらうとジョージは大阪、ユキオは札幌、おいらの切符の行先ぁ東京って、おい主人公、お前なにげに友人たちよりランクが上の東京に行くこと自慢してないか?大阪は「世の中銭でっせ」だろ、札幌はラーメンと熊の木彫だろ。東京は東京タワーと高層ビルとテレビと雑誌だろ。んで岩手は奴隷状態のチベットだろ。大阪もサッポロも岩手よりはマシで友人たちも良かったな。おまえらが不幸にならなくて安心したぜ。だけどおいら一人東京行くぜ。マスコミだぜ。高層ビルだぜ、六本木だぜって自慢してるだろ。

 

まあ、いまネタっぽく語ったけど、当時岩手の中学生だった僕は実際こんな感じの感想抱いて「なんだこの主人公自慢かよ」って思ってたのだった。

 

いまこのエントリ書くために聞き直したんだけど、ラストで「64年のブルーバードがぼくらの全てだった」て歌詞を初めて知った。当時のラジオ放送ではラストまでかかることなかったからなあ。64年って僕が生まれた年じゃん。東京オリンピック東海道新幹線の年だよね。高橋研はジョージやユキオと64年式ブルーバードで4号線ドライブとかしてたんだなあとか思っちゃってちょっとほろっとしちゃったよ。70年代当時東北自動車道とかなかったんだよな。

 

んでさあ、このエントリのタイトルの「謎」というのはね。4号線はほとんど内陸を通ってるということなんだよね。この歌で描写される「4号線の朝焼けは海を超えてくる」という情景、国道4号線ではほとんど存在しないんだわ。海の近くを通るのは青森と宮城の一部だけ。特に高橋研の出身地である岩手県内の路線は、海と4号線の間に北上山地がドーンと鎮座してて、とても海を印象させないのだ。岩手県民感覚だと、「4号線の朝焼けは北上山地を超えてくる」となる。すげえ詩にならないwww。

 

 

ネーム作成ツール「まんがスケッチ」を作りました

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ワコムタブレット必須。Windows Vista以降。64bit版しか配布してません

とりあえず簡単な紹介と使い方はGitHubのWikiに。そっちでダウンロードも可能です。

 

そもそもネームというのは、マンガを描く上でコマ割りや台詞を決めるために作成する「下描きの下描き」みたいなものです。「絵コンテ」と呼ぶ人もいます。これはアナログ制作であれば、まあ適当なレポート用紙やノートなんかにざーっと描いていく感じで作成します。フルデジタルならComicStudioCLIP STUDIO PAINT EXでいきなりネームを描くことも可能です。しかしこれらのマンガ制作ソフトは多機能で、仕上げのための機能が豊富なのですが、頭に浮かんだ構図や台詞を手早く綴っていく作業には非常に向かないのです。

一コマ絵を描いて台詞を打ち、次のコマを、あちょっと前のコマ修正…なんてやってると、まず鉛筆ツールツールパレットから選択し、ささっと絵を描いて、テキストツールに切り替え文字を入力、また鉛筆ツールに切り替えて続きの絵を描こうとしても描けない。なぜなら先ほど入力したテキストレイヤーが選択されているから。なのでレイヤーパレットでネームレイヤーを選び直してまた描いて、またテキストを…

 

大変うんざりします。

 

また、基本的にページ単位で編集するため、前後のページを確認しながら話を組み立てるのが難しい。ページ切替時ファイルの保存と読み込みがかかるので待ち時間がかかるなど、紙に描くのに比べ非常にもたもたした作業になってしまいます。

じゃあネームだけは紙でやればいいんじゃないかと思うでしょう。それやってる人は大変多い。でも僕は文字書くの苦手なんです。そもそも漢字思い出せない率が高い。なので昔からテキスト入力はパソコンに任せたい派。なので20世紀末から21世紀初頭、Classic Mac時代にもこういうの作りかけたりしてる…

 

なのでネーム専用の軽快な作業ができるアプリが欲しかったのです。まんがスケッチは、設定したページ数に合わせて見開きで用紙を作成し、必要なだけ並べます。どこのページにもスクロールするだけで移動でき、そのままタブレットペンで書き込めます。ページ上でCtrl+クリックすればその場にテキストが入力でき、入力後はなんのアクションもなしにそのまま絵を描けます。縮小しても拡大してもそのまま絵を描いてテキストを打ち込めます。マンガの台詞はほとんど縦書きで、数字や「!!」みたいなのはほとんど縦中横ですので、半角英数記号は問答無用で日本語一文字の幅に圧縮して縦中横表示します。枠線ツールはおろか、直線ツールすらありませんが、ネームならフリーハンドの鉛筆で線引けばいいじゃないですか。

あくまでネームと言う、「下描きの下描き」を作成するツールなので、描画的なクオリティは二の次です。いまどきのお絵かきツールなら普通備えてるようなペンストロークのぶれを自然に補正する機能もありません。ただ、線を引いてあまり違和感を感じないような、紙に鉛筆で描いてるような感触を出すことにはこだわりました。

 

実際のところ、僕は職業プログラマではありませんし、こういうアプリの「あるべきクオリティ」を実現するほどの腕はありません。なのでこれは「こういうアプリが欲しいんだ」という発表であり、プロトタイプであると考えていただけると幸いです。もちろん誰も作ってくれないから僕が自分用に作って使ってるんですけどね。

 

ネーム専用アプリなら、「ネームスケッチ」とすればいいんじゃないかと思ったのですが、そもそも「ネーム」って漫画家以外にはあんまし意味がわかんないんじゃないかと思って「まんがスケッチ」にしました。略して「ネスケ」と「まんスケ」。「ネスケだとかつてのブラウザ超大手企業ネットスケープと混同するという理由もあります。だからしょうがないのです。けっして「まん」が「スケる」っていいよなあとか思ったわけではありません。

4K,8Kテレビの時代が地方テレビ局を終わらせる可能性

現在電気屋にいけば4Kテレビを大々的に展示して売り込みをかけている。しかし4K放送は現在のところCSのスカパーのみ。今年BSでも放送が始まる予定だが、地上波での放送予定はない。地上波はもともと帯域が厳しく、現在のHDTV放送も1080iとはいっても横方向の解像度を1920から1440に落として放送している。4K以降の放送で使用される動画圧縮方式はHEVC、これは現在HDTVで使われるMPEG2に比べると4倍程度圧縮率が高いということなので、無理をすれば地上波でも4Kをちょっと間引いて実質3K程度にして放送することは可能だと思うけど、少なくとも現在のロードマップでは地上波での4K放送の予定は組まれていないのだ。

2020年の東京オリンピックまでに4K放送を普及させるという目標は、まあありだと思うのだけど、いまでもテレビといえばまず地上波であり、衛星やケーブルは「オプション」という意識が強いと思う。その地上波での4K放送が今後も望めないとしたら「オプション」のために高価な4Kテレビを買う人達はアーリーアダプターの範囲に留まるのではないだろうか。かつてNHKがハイビジョンを単独で実用化し、アナログでの衛星ハイビジョン放送も実現したが、あれは最後まで高価なオプションという位置づけだったと思う。結局のところ、地上波のテレビ放送を強制的にデジタル化してはじめて国民の多くがHDTVを手にしたのではないだろうか。

 

ただ、当時に比べるとBS/CSを見る家庭も増えてはいる。もしかすると衛星やケーブル局のみでも4Kテレビが十分に普及する可能性もあるかもしれない。そうするとどうなるか。衛星なら高精細な放送が見られるのに、地上波は画質の劣る放送しか流さないということになる。視聴者がもし衛星放送視聴をメインにし、地上波を「劣ったもの」として切り捨てるようになったとしたら、現在のマスコミの中心を担う地上波テレビの視聴率は今以上に落ち込み、スポンサーを見つけることも困難になり、放送自体が難しくなるかもしれない。AMラジオのCMが宗教団体と法律事務所だらけになって久しいが、テレビの場合放送にかかる経費がラジオよりぐっと多いわけで、大金を払う大手スポンサーを失ってやっていけるものではないだろう。

 

そうなったときに、東京大阪のキー局はまだ衛星でのノウハウもあり、スポンサーをつかむことも可能かもしれないが、地方局はどうなるだろうか。

地上波のテレビ電波はそもそも遠くまで届かないので、地域ごとの放送局が成立したのだが、衛星放送では基本的に全国一律に同じ電波を掴んで視聴することになる。プログラムの大半がキー局からの配信で、夕方のローカル情報番組と折々のローカルニュースくらいしか独自コンテンツを作ってこなかった地方局は独自の衛星チャンネルを持つことも出来ないだろうし、出来たとしても番組を調達するのは難しいだろう。

 

つまり、もし衛星のみの4K,8Kが十分普及し、それがテレビだということになったとき、地方テレビ局は絶滅するのではないかと思うのだ。岩手放送とテレビ岩手とめんこいテレビと岩手朝日テレビ、今後のこと考えてる??

パソコンがプログラミングなしでは何も出来なかった時代

MZ-80やPC-8001が登場してマイコンブームが巻き起こった1980年頃、市販の実用ソフトは皆無だった。当時パソコンに触れた少年たちは、そのほとんどがマイコン雑誌に掲載されたゲームなどのプログラムリストを打ち込み、実行して楽しんだ。

そして、なにしろプログラムのソースコードが雑誌に掲載されているのだから、それを改造して楽しんだりも当然できた。ソフトが売ってないんだから、自分でプログラム作るか、他人のプログラムを打ち込むしかなかったのだ。そういう意味で、あの時代のマイコンユーザーは、そのすべてがプログラマかその予備軍だったといえる。まあ、雑誌掲載プログラムをその雑誌がカセットテープに録音して通販してたりもしたので、当時でもソフトを買うという行動はあったのだけど、お金のない少年たちは、打ち込めばタダなソフトに金を払う習慣を形成するのに時間がかかったと思う。通販って当時的にはわりと敷居高かったし。

 

まあそういったわけで、パソコンというものはその出始めの時期には「プログラミングを楽しむ」機械だったわけだ。そもそも起動とともにプログラミング環境であるBASICが動いていたのだから、電源入れるたびに「さあ、今日はどんなプログラムを作りますか?」と言われているようなものである。

 

CP/MみたいなOSが一般にはあまり普及せず、BASICが基本ソフトとして受け入れられていたので、パソコンを使うこと=BASICを覚えることとされていたきらいもある。サラリーマンが電車の中でBASICの入門書を読んでたりしたわけだ。

 

そんなパソコン環境の中でBASICでゲームを作り、高速化を狙ってコンパイラアセンブラに手を出しという感じで、初期のパソコンプログラマは育ってった。

 

パソコンが、自分でプログラムを組むのではなく、遊びや仕事に必要なソフトを買ってきて動かすランチャーになったのはいつからだろう。ゲームのクリアに本気になれるRPGが出た時か、ビジカルクみたいなほんとに業務に使えるソフトが一般化した時か、それとも実質プログラム作成が不可能と言ってもいいほど切り詰めたMac128kが出た時か。それはそれで正しい進化である。パソコンが「なんだかすごいなんでもできる夢のマシン」という曖昧さを捨てて、「実用的な道具」になったわけだから。ただ、BASICの点滅するプロンプトにわくわくしながら AUTOと打ち込んでアイデアを実現しようとしてた何十年前の少年たちは、あの感動をいまの子どもたち、自分の息子や娘に味わってほしいと思い、ときにあまりにも時代遅れなプロダクトを生み出すのである。IchigoJamとか…

ichigojam.net

 

 

 

MSXが終わらないIF物小説を誰か書かないか

1990年に発表されたMSXturboRはひどく挑戦的で、しかしダメなマシンだった。CPUが衝撃的にすごくなったのに、VDPがMSX2+のまま。おかげで高速CPUにもウェイトが入りまくる有様。というかすでに90年という時期にはIBMPC互換機を除く独自アーキテクチャのパソコンは死滅に向かいつつあった。Macintoshでさえ、衰退しつつあり、21世紀を迎えて生き残れたのはスティーブ・ジョブズの復帰という奇跡がなければありえなかったかもしれない。

なので現実的問題としては、あの時点でなにをどうしようと時代遅れの8ビット規格を継承したMSXが生き残るすべはなかったろう。

 

とはいえ、MSXが好きだった人間としては、「あのときああだったら、こうだったら」という想像はついついしてしまうものである。せめて誰かフィクションでいいからMSX大勝利のお話を作ってくれないか。バブル時代を代表するホイチョイプロダクションがバブルへGO!!なんて映画でバブル崩壊を防ぐ歴史改変に挑むことが許される時代なのだから、MSXを復活させるストーリーだってありだろう。

 

たとえばそうだなあ。少年時代MSXに惚れ込んでプログラム書いたりハードウエアいじったりしてたエンジニアが、ある日突然タイムスリップして1988年、MSX2+発表のあたりに転移する。MSX2の頃はまだ夢があったが、マイナーチェンジっぽい2+はそろそろ暗雲が見えてきている。実際この規格の参加メーカーは三洋、松下、ソニーだけだった。かつて国内外の主要家電メーカー、三番手以下のコンピューターメーカーがこぞって採用したMSXがたったの三社からしか出ないというのは、恐れおののくべき非常事態である。でも当時のユーザーは「おお、スムーズな横スクロールできるようになったんだ」「自然画モードすげー、19000色って最強じゃん」と思って全然危機感を抱いていなかった。主人公はまずこの危機感をアスキー西和彦に訴えるわけだ。

 

西和彦も黙ってはいない、MSX2+は、型番からもわかるようにMSX2のマイナーバージョンアップだ。本命はMSX3。互換性を保ったまま16ビット化を果たし、グラフィックも大幅強化される予定である。しかし主人公は実際の歴史を知っているのでそれを否定する。

「1990年にあなたはMSX3でなくMSXturboRを発表する。ヤマハの新VDPの開発が間に合わないのだ。結果的に採用するのは松下一社だけ。結果すみやかにMSX規格は終演を迎える。西さん、あなたはアスキーを首になり、2ちゃんねるで叩かれて1ch.tvを立ち上げるがトラブル続きで表舞台から姿を消す事になる」

「なんだねその2ちゃんねるというのは」

「ああ~まだないかー。てかインターネットも普及してないし、…あのですね、21世紀にはアスキー大変ですよ。雑誌は次々潰れて最終的に角川書店に買収されます」

「なんと!いやそうか、うちが先鞭切って進めてきたデジタル化の波か。第三の波ってやつだな、アルビン・トフラーの、知ってる?」

「ああ、はい、そういうやつです。てかアルビン・トフラーとか古いっすよ」

「えええ???。ま、まあいい。ならば半導体事業に手を出したの正解だったな」

「あ、アスキー半導体事業MSXturboRのCPU作った後あっさり潰れます」

「なんだってーーーー?!」

 

やばい。MSX復活プロットにつながらない…

 

日立のZ80互換強化CPU、HD64180がザイログに採用されてZ180になったりとかいう事実もあるわけで、そういう感じでR800が継続されてゆくゆくは32ビット、64ビット化を果たすとか、1990年にturboRを発表するの待って、1,2年後にヤマハのV9990を採用、互換モード用に東芝MSX Engine3というZ80と周辺チップ+V9958を統合したチップを作ってもらって、X68000に匹敵するMSX3を規格化してもらう。あと当時のマルチメディアに特化した将来構想を持ってた西和彦氏に、「ゲーム作るためにすげえスプライト機能必須ですよ、このままだとMSXを支えてるコナミも見放しますよ」と説得してVDPの進化をうながす。

 

こんな話を小説化とかしてくれたら、わりと僕とかすげえ読みたいんだけどみんなはどうかなあ。

「小説家になろう」で見かける転移物と転生物

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「小説家になろう」投稿作品で人気のジャンルがファンタジー世界への異世界転移、転生物だ。まあこういうジャンルの物語というのは昔から存在していて、人気もあるので特に不思議ではないのだけど、読者がすぐに作者になれるWeb小説サイトの特性なのだろうか、設定の共有具合がすごいなあと思うのだ。

 

転生物と転移物

ファンタジー世界での活躍自体はあまり違わないのだが「転移」と「転生」という異世界への行き方の違いがある。「転移」は主人公が勇者召喚などの魔法、または偶然開いた次元の裂け目への転落などの方法で肉体を保ったまま転移するものだ。突然異世界に召喚されるため、元の世界では行方不明となる。

 

異世界に勇者として召喚される作品というのは昔からあるのだが、「なろう」で特徴的と言っていいパターンが勇者召喚を異世界からの誘拐とみなす視点だ。まあ実際なんの同意もなく日本の日常から魔物が跋扈する世界に召喚されるのは勘弁してもらいたいわけで、それを行うものに悪意があるにしろ無いにしろ非難されるべき行為という考え方はあるだろう。この視点が強い場合、だいたい召喚魔法を使用した国家は戦争のためなどの理由で「勇者」を召喚し、問答無用で洗脳したり隷属の首輪をはめようとしてきたりする。主人公は当然その場で逃げ出し、街に潜伏したり他国に脱出したりする。

 

召喚された勇者がなぜ強いのかという理由は召喚魔法そのものが転移してくるごく普通の日本人になんらかの能力を付与する、神が召喚に関与するパターンでは神が祝福として能力を与えるなどがあるが、「勇者」召喚なので自動的に「勇者能力」がつくものらしい。

 

異世界転生物の場合は、「転生」なので主人公が死ぬことが前提になる。暴漢に刺された、病気で死んだなどのパターンもあるが、びっくりするほど多いのが「トラックにはねられた」パターンである。おまえらミンキーモモか。

死んだ主人公が白い世界で「神」とか「世界の管理者」を名乗る存在に会い、異世界への転生を打診される。その理由は子供を助けて死んだからとか、神の予定外の死だったから、そのままの世界で復活させることが出来ないけど異世界でもう一回生きさせてやるとか、単なる神の遊びとか、世界の崩壊を止めるためとか、あまり一定したものではない。この場合、この白い世界の中で神の好意や、神と主人公の交渉などにより、チートスキルを得るパターンが多い。しかるのちに異世界に記憶を保ったまま赤ん坊として誕生する。

ほとんどの作品で、ゼロ歳児の段階で生前の意識をもってるので、「妙に泣かない子だった」などと言われることになる。また、2歳位から魔法書を独自に読んで練習しだしたりしてすごい魔法の力を身につけるパターンも多い。

 

乙女ゲーム転生物

ところで、異世界転生物の一種で「乙女ゲーム転生物」がある。女性主人公が学園などで逆ハーレム作るアドベンチャーゲームそっくりの世界に転生していまうというもので、十中八九ヒロインではなくライバルの悪役令嬢に転生。その多くはファンタジーの王政国家が舞台で、王子とかの婚約者であるが、王子がゲームで心を移すヒロインを主人公がいじめて、最終的に断罪され、婚約破棄、爵位没収、没落、ひどい場合は処刑される運命が決まっている。そこでなんとかゲームの流れから外れようとするというパターンになる。

興味深いのが、乙女ゲーム転生物の場合、現代日本での死→異世界での誕生という流れではなく、異世界が最初から舞台になっていて、ある日日本で乙女ゲームをやっていた記憶を取り戻すというパターンが多いことだ。死因もはっきりせず、乙女ゲームにはまってたOLだったというあいまいな記憶だったりするパターンが多い。

7歳とか、10歳とか、それなりに分別がつく年令になって、重病で生死の境をさまよったり、怪我をしたりしたのをきっかけに突然前世の記憶が蘇り、「私あのゲームの悪役令嬢じゃん!」みたいなハメになる。ひどい場合散々ヒロインをいじめて断罪イベントが起きるまさにその時に記憶を取り戻したりする。こうなると悪役になるのを回避という手段がないので難易度が上がるわけだ。

なお、早めに記憶を取り戻して、この先の運命を知り、わがままお嬢様になる事自体を完璧に防いだ場合、ヒロインが完全に道化になることが多い。多くの作品でヒロインも転生者で、まさにゲームのヒロインに転生したのでいい気になって逆ハールートを選択し、美形5人侍らせた挙句悪役令嬢がいい人になってるのに気づかず、自作自演の「悪役令嬢のいじめ」を捏造してもうまくいかず、「なんでフラグたたないのよ」みたいなことを叫んで精神異常者扱いされて破滅するみたいなことになる。

 

異世界転移物と異世界転生物は、一つの作品の中で両立する場合もある。主人公は事故で死んで赤ん坊として生まれたのだが、その世界で勇者召喚で呼び寄せられた「勇者」が存在するパターンだ。こういう場合、勇者の方は国家に取り込まれた悪役であるというパターンも有る。主人公が転生者の場合、転移者の方はまあ、年齢の差だけ経験が浅いわけだし、精神的に未熟だったりするんだよね。

 

知識チート

多くの作品がヨーロッパ中世風世界を舞台にしているため、現代日本人である主人公は数百年進んだ知識を持っている。そこで知識を活かして農業を改良する。新しい料理を普及させる。機械を作るなどして賞賛を浴びたりお金を儲けたりするパターンは多い。料理に関しては、かなりの作品で味噌醤油、米、カレーといったものを主人公は探し求めたり開発したりする。麦や豆を発酵させる味噌醤油、香辛料をブレンドするカレーはさておき、米に関しては舞台が中世ヨーロッパ風なのもあって、「たまたま野生種を発見する」「はるか異国の商人から入手」など苦労することが多いようだw。なお、「過去の転移者が普及させた」という形ですでに容易に入手可能というパターンも有る。

 

日本人しか出てこねえ

なぜか異世界に勇者として召喚されたり、転生したりするのは日本人ばかりであるパターンが多い。それについて作中人物も特に違和感を持ってはいないようだ。そして特に転移ものの場合は黒髪、黒目であることがなにかしら特殊な立場を表すことが多い。現実の中世ヨーロッパだったら黒髪も黒目も存在しただろうけど、この手の作品の中世ヨーロッパ風ファンタジー世界には、転移者以外黒髪黒目はいなかったりする。そして上でも書いたように主人公は米や味噌醤油にすさまじい執着を示す。食事時にはかならず「いただきます」と手を合わせ、食べ終わったら「ごちそうさま」と言う。主人公と親しく付き合うことになる現地の仲間たちはその動作を奇異に思ったりするが、慣れて自分たちも行うようになる。

 

奴隷

ほとんどの場合、奴隷制度が存在し、街中に奴隷商店がある。主人公は現代日本人のメンタルを持っているため、奴隷制にはいい感情をもっていないが、それが当たり前の世界で、奴隷がいなくなると経済が回らなくなることがわかっているので、あえて奴隷廃止を訴えかけたりはしない。奴隷は借金を返せなくてそのかたとして奴隷落ち、犯罪の罰として奴隷落ち、戦争捕虜で奴隷落ち、盗賊などにさらわれて奴隷に売られるなどが典型的で、最後のはファンタジー世界でも犯罪であるが、売られてしまったものは奴隷として流通し、救済されることがない場合が多い。奴隷は体に魔法で刻まれる奴隷紋や、隷属の首輪によって主人に逆らえない、逆らうと魔法で苦痛が発生し、最悪死に至る事になっている。

主人公は転生者や転移者の特殊能力を秘匿するために、裏切らない仲間が必要になって奴隷を購入する場合が多い。ファンタジー世界では奴隷は主人と一緒に食事をしないというのがだいたい常識で、迷宮探索時に囮にされたり使い潰されるような道具扱いされていて、その中で一緒に同じ食事をとらせたり、宿屋の部屋をとってベッドに寝かせたり、冒険で得た収入を山分けしたりと、普通の仲間として奴隷を扱う主人公は、奴隷にとんでもなく慕われ、奴隷から解放しようと言い出すと「私が不要になったのですか?」と泣かれるありさまである。こんな風にやたら慕われちゃうので、当然奴隷はハーレム要員として欠かせない。

 

こういう似たような設定が繰り返されることで、読者は詳細な説明がなくても「そういうものだ」と受け入れやすくなるのだが、「なろう」に慣れていないで数本作品を読むと「なんでこんな同じ設定使いまわされてるんだ??」と不思議な気分になる。シェアワールドでもないし、二次創作とも言い切れない、ちょっと不思議な感覚である。