LEDと液晶とプラズマとFEDとSEDと有機ELと

 新型iPhone有機El採用というニュースが流れてるが、有機EL採用のスマホというならサムスンとかがかなり前から出してるのでさほどニュースバリューはなかったりする。それはさておき、表示装置の歴史も結構いろいろあったなあと思うのだ。

 その昔、デジタル表示の腕時計や電卓が登場した際使用されていたのは7セグメントLEDだった。「日」みたいな形の、縦横の棒を7本並べたものだ。「日」のどの棒を光らせるかで0から9を表現していた。ただ、LEDを光らせるためにはそれなりに電気を食うので、小さなバッテリーしか搭載できない腕時計などでは、リューズのところのボタンを押したときだけLEDが光って時間が表示されるような省エネの工夫がなされていた。もっと電池が長持ちするデバイスを必要とした業界は、液晶に目をつける。これは液体と結晶の中間みたいな物質で、流動体であり、電圧をかけると結晶が並んで光を遮るので不透明になる。これを薄いガラスの間に「日」の棒一本一本の形に整形、流し込んで使用した。液晶は光らない分電気を食わないので、表示しっぱなしでも腕時計が実用的に使えた。ただし、透明が不透明(実際には黒っぽい色に)なるだけなので、夜間はやはり見えなくなってしまう。なので液晶の裏に明かりを入れて、ボタンを押してる間光るようにした。液晶は光らないため暗いところでは見えない。しかし、明るい日中は日光の反射でよく見えた。

 さて、液晶は、そもそも液状な物質中の結晶が動くという仕組みなので、電圧をかけてから表示されるまで、また、電圧を消してから表示が消えるまで微妙な時間がかかった。「カチッカチッ」ではなく「もやっ、もやっ」と表示されていたのだ。1970年代の時計や電卓の表示には使えても、高精細で高速表示を求められるテレビやパソコン用のモニターにはなかなか向かなかった。「日」ではなく、細かいマスを並べたドットマトリクス液晶が登場して、任意の図形を描けるようになっても、動画を表示すると残像だらけでもやーっと動いてしまうため、実用出来ではなかったのだ。

 この問題は、縦横のマトリックスを順番に電圧かけるSTN方式では解決できず、画素ごとにトランジスタを配置して、高速でON/OFFを切り替えるTFT方式が登場することで解決するが、それだと電力を食うし、そもそもバックライトがないとTVやパソコンにはきついので、その分も電気を食う。なので、初期のノートパソコンでは、東芝のようにプラズマディスプレイを使用するものもあった。STN液晶ではテキストのスクロールすら耐え難い残像を引いた表示の遅さがあった。

 高速表示が可能なプラズマディスプレイは、画素単位で、放電を起こし、蛍光体を発光させる方式だ。これはブラウン管よりずっと薄いが、放電部と蛍光塗料を塗った表示部を薄いガラスで挟んで間に希ガスを封入するなどの複雑な構造になっている。1986年に、「ダイナブック」の名を冠して発売されたノートパソコン、J-3100B11/B12は、オレンジ色に発行するプラズマディスプレイを搭載していた。本格的な高解像度ノートPCの元祖的存在で、話題になり、PC-98互換でなくてもこれなら使えると結構売れた。ただし、この商品が売られたのはバブル時代であり、下位機種ですら498000円という値段だった。

 ダイナブックのプラズマは、いわばパソコンマニア向けモノクロ表示装置だが、TVでの薄型ディスプレイとしては、NHKが開発し、やがてパナソニック等が売り出すハイビジョンカラーテレビがあった。これらは、1990年代後半、40インチ以上の大型テレビで、100万円前後で売られ、金持ちが購入して、NHKのついに実験放送で終わったアナログハイビジョン衛星放送を見るためだけに売られていたのだ。なんというか贅沢な時代である。

 この時代、液晶は、TFTでも明るさが足りなくて、コントラストが弱いし、ちょっと視聴角度がずれるとほとんど灰色になるものだった。なので、安いTVは液晶、高いTVはプラズマという住み分けがなされた。液晶は、所詮透明と不透明を切り替えるデバイスで、自己発光するブラウン管より悪い。ブラウン管を超えるのはプラズマと思われていた。ただ、シャープが液晶に本気で頑張っていたので、視野角やコントラストの問題はどんどん解消されていって、「あれ?全部液晶でよくねえ?」となっていった。この時代シャープ、マジでトップランナーで、世界の表示装置の頂点に立ってた。

 1990年代から2000年代にかけて、プラズマの次を狙う表示装置の研究が各社で行われてた。この時代の主流は電界放出ディスプレイ(FED)と、その派生の表面伝導型電子放出素子ディスプレイ(SED)だ。日本のテレビメーカーはこれらにかけた。かけまくった。しかしこれらが研究を続けてもなかなか歩留まりが出ない。殆どのメーカーが撤退してしまった。現在FEDSEDはなかったことになってる。

 FEDSEDと同じ頃、有機ELの研究も行われていた。これは有機分子を励起させて発光させる、LEDとよく似た仕組みの表示装置だ。ただし、有機分子は一般的に寿命が短い。なので昔のTVなら10年も20年も使えたのに数年で色が出なくなるかもしれない。これじゃだめだろうとなる。研究をするも、なかなか歩留まりも改善しない。日本で有機EL研究してた企業は2000年代にほとんど撤退した。

 ソニーは比較的初期から有機ELの研究をし、量産にこぎつけたが、結局撤退し、PS Vitaの有機ELパネルをサムスンから調達したらしい。



 何年も前から、韓国サムスンは自社のアンドロイドスマホ有機ELを使い、日本はigzoに満足してiphoneの液晶受注してたのだよな。



 ここであげた液晶もプラズマも、FEDSEDも、有機ELも、だいたい発明はアメリカで、素材選択と量産工場の構築がアジア企業だった。これが90年代までは日本。2000年代以降は韓国になってる。これに日本企業は危機感持たなきゃいけないんじゃないかな。