サタンは神の法廷の検事。アスタロトはアフロディーテ

 サタンというと、キリスト教における悪魔のトップで、およそ最悪の存在という印象がある。かつて高位の天使であったが、人もしくはイエスが神に愛されたことに嫉妬し、神に反逆して堕天した存在とされている。旧約聖書創世記で、エデンの園でイブを誘惑し、神が食べるなと命じた知恵の実を食べさせた蛇が、後にサタンと同一視された。蛇は神の創造物の中でも知恵のあるものだったのだが、これが人を惑わせて神に背かせたことで、地を這い塵を食らう屈辱を押し付けられ、人の女に恐れられ、男にかかとで踏まれる卑しい存在に落とされた。これがのちに「天使が堕ちた物語」と重ねられ、さらに「蛇の強いやつ」的にドラゴンという空想的動物に投映され、西洋における「ドラゴン=悪」の図式につながる。現代人の視点で創世記を読むと、あれはどう見ても人間が蛇を忌避してきた歴史を説明する普通の起源説話で、あの蛇は別にサタンなんかじゃないと思うのだけど。

 

 創世記の蛇は忘れて、サタンに戻ろう。サタンはもともと「告発者」「反対者」というような意味合いのヘブライ語の単語だ。こういう一般名詞的な「サタン」の用例として、旧約聖書の「ヨブ記」がある。ここでは神が天使たちを前に地上を眺め、この世はすばらしい。人は神に対する信仰をもち栄えてるみたいなことを言う。ここで天使たちの中にサタンがいて、神に「いや人はあなたに媚びへつらってるだけで、不幸や利益があれば信仰なんて続かないっすよ」みたいなことを言い出す。そこで神はサタンと賭けをすることになる。この話結構長いのだけど、サタンと神は人の中でも信仰に篤いヨブを選び、この人にどんどん不幸を課していく。そりゃあもう、財産を失う。全身かさぶたまみれになって凄まじい苦痛をもたらす皮膚病になる。突然の災害で親族が死ぬ。妻は神が悪いと言うし、友人はお前が悪いんじゃないか?白状しろと揺さぶる。実際神のせいなんだけどね。この不幸の波状攻撃にもヨブは神への信仰を捨てなかったんだけど、最後の最後に弱音を吐いてしまう。そりゃあひどいよ。神の許可のもとでサタンが、ヨブの命さえ奪わなければ何してもいいという条件で不幸を重ねまくるんだから。

 ヨブが、自分はこんなに神を信仰してるのに、なんで神はこんな不幸をくれるのかと弱音を吐くと、神はもう異様にブチ切れるのだ。「お前俺が世界作ったときにその様子見てたの?見てないでしょ。お前のようなちっぽけなものが神のなにをわかるの?馬鹿なの?死ぬの?」と口を極めて罵るのだ。最後にヨブは信仰を取り戻し、失った財産以上の報いを得てめでたしめでたしになるんだけどね。死んだ親族とかは生き返らないのよ。神ひでえwww。

 

 それはさておいて、この話が、後にサタンを頂点とする地獄の悪魔軍団のイメージができる以前の「サタン」が描かれているという点で面白い。ここに登場するサタンは天使たちに混じって神の前におり、神の作りし人間にひどい不幸をもたらしているけど、それは神が許可しており、別に罰せられてもいない。つまり、ヨブ記が書かれた当時「サタン」は神の法廷において人を告発する検事のような立場であって、神に反逆した悪魔ではなく、神の世界運営の中で通常の役割を与えられた天使の一人だったということだ。ただ、人を神に背かせるために活動するという点で、後世のキリスト教的悪魔の原型ではある。

 

 一般的に、世界のほとんどで、神話は多神教である。世界の様々なものを司る神が想像されてきた。カナンの古代神話では最高神はイルもしくはエルとされ、これは「神」という一般名詞でもあった。旧約聖書で神を表す名詞の一つ、「エロヒム」は「エル」の複数形である。ミカエルとかガブリエルとかいう天使の名前の末尾の「エル」もこういう神格を表すものだろう。最高神「エル」は、それが神一般をも表す言葉だったためにエロヒムとしてユダヤ教にも取り入れられ、アラビアではアッラーフとなった。

 ところが、エル以外の、固有名詞を持つ神々は、ユダヤ教キリスト教の歴史の中で、貶められ、悪魔の名前に変化していく。エルの息子とされるバアルは、バアル・ゼブル(偉大なるバアル)と尊称されていたが、ユダヤ人からバアル・ゼブブ(蝿のバアル)と呼ばれ、ついには蝿の姿をした悪魔ベルゼブブとなった。

 美と豊穣の女神アスタルト。バアルの陪神ともされるが、これはヘブライ語では本来アシュテレトと発音されるのだが、「恥」を表すボシェトの母音を組み込んで「アシュトレト」と蔑称されたらしい。これが中世キリスト教の悪魔学で悪魔アスタロトになってしまう。ちなみに、アスタルトは各地で信仰、集合され、ギリシャの美の女神アフロディーテや、メソポタミアの女神イシュタルとも起源を同じくするらしい。

 

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「地獄の辞典」に描かれたアスタロト。これがアフロディーテと同じものとは…

 

 多神教においては、他地域の神も神として受け入れられるパターンが多かったが、ユダヤ教がヤハウエ以外を神と認めなかったことから、それらは悪魔にされてしまったわけだ。かわいそうな話である。