収入と肉と野菜とトンデモ

 昭和時代のマンガで貧乏を描くと、まあおかずがメザシとかそういう描写だったわけだが、まあさすがにメザシ一本しか食えない家庭はそんなに多くなかったと思う。ただ、当時は肉は結構高いもので、魚と肉で言ったら日常は魚、肉が食える機会は少なかった。貿易がどんどん自由化され、円高になり、輸送技術も上がって来た昨今ではおかずに魚買うよりも輸入の鶏肉か豚肉買ったほうが安上がりで量もたくさん食べられる場合が多い。ブラジル産鶏もも肉とか、アメリカ産豚肉とか。そんな感じで店頭で一番安い食材を探すクラスの家庭では、野菜を買う際にも通常無農薬野菜とか選ばない。そんな家庭にとって心強いのは、「いまどき慣行農法で農薬や化学肥料使っても害があるわけはない」という常識なわけだ。

 農薬を使わない農業では、通常より病虫害が起きやすくなるため、農家はその対策に追われることになる。いくら無農薬だからといって、虫食い穴だらけの野菜を喜んで買う人は少ないからね。より手間暇をかけて農作物を作る人は、おいしくなるための工夫も頑張っているかもしれない。そういう点で無農薬野菜の方が美味しいということはありうる。それも正直どうかなあと思うのだけど…

 で、あえて無農薬野菜を買う人というのは、少なくとも大量生産の野菜より高価なそれを買えるくらいには裕福な人が中心となるわけだ。つまり、お金に余裕のある人たちが、「よりおいしい」「より安全」と「思われる」というブランドを購入する形になる。

 

 思うのだけど、富裕層が、お金を使うにあたって食い物以外でも大量生産品ではなくブランド品を買う行為と、食品の安全、味を求めて無農薬ブランドを買う行為はあまり違わないのではないかと思うのだ。実質変わりないのかもしれなくても、「より確実に安全だろう」という安心感にお金を払う。店頭に並ぶ段階で全く残留しない、全くでなくとも健康に影響あるほど残留しないとされる農薬でも、ひょっとしたら農家がかけすぎてるかもしれない、出荷直前にかけちゃって残留してるかもしれない。それよりは最初から使わないのがわかってるならそっちに金を払う。

 

 富裕層は、貧困層が使えない部分にお金を使える。そこには自由が増えており、増えた自由が富裕層のエリート性を高めることになる。無農薬を求めることで、富裕層貧困層に対し優位に立つ。つまり慣行農法作物を買う選択しかしない貧困層は「より正しいかもしれない選択ができない」層になり、無農薬野菜が買える富裕層は「貧困層より正しい選択が可能」ということになるわけだ。それが本当に正しいかはさておいて、選択肢を持てるということだ。

 まあ、慣行農法か無農薬かという程度の話ならこんなのはどーでもいいのかもしれない。ただ、こうして自由な選択にお金を使う層が、貧困層≒大衆との差別化情報をそれと意図せず集めはじめ、陰謀論やトンデモにハマってしまうのではないかと、ちょっと思った。なんでかっていうと、参議院選挙に出た三宅洋平がまるでトンデモのデパートみたいなことをつぶやいていたから。

 リベラル系というと、日本だとぼんやりと左派ってイメージ、多分ゴリゴリ社会主義とかじゃない、反戦平和主義で自由主義的、ヒトとの付き合いがライトでそれほど思想を突き詰めないみたいな感じだと思うんだよね。そんなリベラルな富裕層、しかも音楽家っていう才能ジャンルの人。このへんだと「大衆が認識してない真実」的な情報あつめて自分を高めようとしてしまうのではないだろうか。そんでおかしなことにとりつかれたときに、知人友人関係から忠告されない。なぜなら友人関係が自由主義で暑苦しくくっつかないから。SNSにおけるふわっとした繋がりで、「そうなんだー」で納得して伝搬していく。対等な相互承認だけのネットワークだから、「あなたそれは変だよ」と反論して空気を悪くすることがない。結果トンデモを修正できず、どんどん強化されて、それが正しい情報になってしまう。たちが悪いのは、「空気が悪くなるから反論しない」が「深く考えない」「あの人が言うんだから正しいんだろう」「トンデモとか言ってる人も外にはいるけど、わかってないんだな」と強化されて行くであろうこと。

 

 いや貧乏な家庭が代替医療とかにハマって借金で破滅するってのもあると思うけど、そういうところは潰れてしまうから、結局ミームを拡散するのは富裕層だと思うんだよね。