ゲーセン黄金時代を築いたテーブル筐体

ビデオゲームが出現する前、「エレメカ」と呼ばれる機械式遊具を置いていたのは主にデパートの屋上遊園地や観光地のホテルのような場所だった。PONGとかブロック崩しといったゲームもそういう場所に置かれることになる。僕の記憶では、1970年代初期に、観光地のホテル売店コーナーの隅にPONGが置かれていて、すごい未来ガジェットだと感激し、親に100円ねだっていた覚えがある。ちなみに初期のビデオゲームはアップライト筐体のみだった。これは当時のエレメカ等と同等の「立って機械に向かう」体験であるのだが、タイトースペースインベーダー開発前後に、テーブル筐体というものを発明する。ガラス天板のテーブル内にゲーム基板とブラウン管を収め、座って上から覗き込むプレイスタイルを実現したものだ。どうしてこんなものを作ろうと思ったのかよくわからないのだが、これが大ヒットの一因であったと思う。

 

アップライト筐体は、基本的に壁際に置くものだ。筐体の裏側は電源ケーブルしかなく、見た目も悪い。客の前に見せるものではない。しかしテーブル筐体は「裏側」がなく、手前と奥で交互に遊べる仕組みだった。フロア内にゲーム機を敷き詰めることが可能になった。昔からあるデパートの遊技場は、壁際にエレメカを並べ、中央には騎乗型の遊具を置いたりしていたのだが、テーブル筐体のインベーダーゲームを敷き詰めた「インベーダーハウス」という業態が出現する。これが「ゲームセンター」の元祖となる。

 

さらに、テーブル筐体は「テーブル」であるため、レストランや喫茶店などに置けるようになる。料理を食べるテーブルでゲームもできるのだ。

 

スペースインベーダーの登場は1978年。おそらく1980年代前半になると、「喫茶店」にはテーブル筐体が置かれるのがあたり前になっていたと思う。普通の木製テーブルと、テーブル筐体が混在している店舗が多かったように思う。逆にすべてのテーブルがテーブル筐体ゲームという店は、たとえコーヒーを出すとしても「コーヒーが飲めるゲーセン」という扱いだったのではなかったかな?

 

1980年代半ばから1990年代初期にかけて、たとえば東京23区の殆どの駅周辺には多分平均4箇所以上のゲーセンが密集してたはず。それらの店舗は概ね小さくて、平屋だったり雑居ビルの地階や2階だったりと、大資本のそれではなかった。もちろんタイトーセガナムコといったメーカー直営の大型店舗もあったけど、個人経営の小規模ゲーセンがわらわら生まれていた時代があった。狭く薄暗い店舗にテーブル筐体がぎっしり並んでいて、毎月新作ゲームが投入される。そんな感じ。あの時代、ゲーセンのバイトは人気職業だったし、もうかっていたんだろうな。

 

1990年代、スト2によって対戦格闘ブームが起こる。これはテーブル筐体の終焉を意味していた。2つの筐体で対戦する都合上、テーブル筐体ではなく、アップライトでなければいけなかったのだ。ただし、「座ってプレイする」テーブル筐体の流儀が定着していたので、昔の「立って遊ぶ」アップライト筐体とは違い、座ったままモニターを起こすスタイルになっていた。テーブル筐体は2人で交互に遊ぶのに最適化したシステムであり、同時に遊ぶ形態には適していなかった。

 

1990年代後半までは、まだ喫茶店にテーブル筐体が残っていたが、テトリスや麻雀が中心で、新しいテーブル向けゲームはあまり出てこなかった。発展をなくした喫茶店ゲーム機はすみやかに消滅。現在では、テーブル筐体のゲーム機を残す喫茶店というと、もはやレトロを売りにした店舗くらいしかないだろう。

 

なお、1980年代後半、バブル景気の時代、搭乗型の大型筐体ブームが起こっているが、大型筐体はフロアの外周に置かれ、中央にはテーブル筐体の列があるという形態は保たれていたと思う。