佐村八郎「渡韓のすすめ」(1909)

明治42年発行の「渡韓のすすめ」

国立国会図書館近代デジタルライブラリーが公開された時に発見し、途中までテキスト起こししてみた本なのだが、非常に興味深い。近デジ版だとスキャンが汚くてところどころ文字が読み取れなかったのだが、Googleがスキャンしたものが比較的読みやすい形で公開されている。

渡韓のすすめ - 佐村八郎 - Google ブックス

この本は、日清戦争後、大韓帝国として独立した朝鮮が、日本に併合される前。第二次日韓協約で日本の保護国となった時代に書かれたものである。著者の佐村八郎は、初代韓国統監伊藤博文と面会し、当時の韓国を詳細に調査し、日本人の韓国移住を薦めている。文章は明治の出版物にしては平易で、活字も鮮明。そのままでも現代人が読んでさほど苦労することはない。

 

そもそもなぜ移住をすすめるのかという点だが、当時の日本が経済的になにかと困窮していた事実がある。

青年発展の余地は?

 

特に有為勤勉な青年者の為めにと思ったことがある。近来東京の生活も中々に世知辛くなって来た。相当に教育経歴のある青年で、会社などへ出て居るものを見ると、大抵十時間の勤務。それで五十銭か六十銭の日給。独身者の下宿生活にも十分ではないが、妻子のあるものと来ては不十分というよりも、寧ろ惨状ともいうべき有様。さればと云って、外によい口があるでもなければ、矢張実直に勤勉するの外はない。余は是等の人に対して同情に堪えない。同じこれほどに稼ぐのなら、韓国へでも行って、何か適当な事業はあるまいか、日給は同じ五十銭六十銭でも、生活なりと安くあがれば、つきには五円なり三円なりの貯蓄も出来よう。五円宛の貯蓄が出来れば、十年には六百円、東京で不平を云い愚痴をこぼして居る間にも、十年はついに経って仕舞う。願くは此の十年を有益に過ごさせたい。何でも一つ韓国で見つけたい。単に人に聞くと、「韓国には人は余って居る。徒食の青年三千人とさえ歌っている、どうして口なんか見つかろうぞという。併しそれはよく無責任な人の言うこと、必ずしも信を置くべきではない。兎も角、往って見よう。内外公私の人々にも遭って、表面も叩き裏面も探り、大に発展の余地を見つけて、将来続々渡韓させたいものだと思った。これも動機のひとつである。

 要するにいい学校出てもさっぱり稼げないから新天地で事業を起こしたらどうだという話である。日本はこのころはじめて新天地たる海外植民地を得たわけで、ある意味アメリカ大陸を見つけたヨーロッパみたいなことになってたわけだ。まあ、おそらく後の満州建国の方がアメリカっぽいとは思うけど。

もちろん国防的見地も忘れていない。当時は中国とロシアが脅威であり、韓国に日本人が多数移住することで楔にするという考えもあったようだ

 

一国用心の為めにも

 

近き未来とはいえないが、支那に大覚醒の時代ありとせんか、其の時の韓国はまだ問題たらずとも限られない。露西亜だって同じ事。百千年、何等の野心無しとは極められまい。取越苦労のようではあるが、これを思うても、今の中に移住がさせたい。韓国に余地ある限りは、一人も多く入り込ませて、実力の上に根柢を固め、如何なる問題野心も、之を挟む余地のないようにして置きたい。同胞の移住は台湾樺太北海道にも必要であるが、それは皆日本の領地。同じ国内を甲から乙へ転住すると同じこと。必しも今日にどんどん往かなくてもよい。一朝事有るの日となっても、自国の土地だもの、同胞は血を涸らしても、寸地外人に犯される気遣いはない。韓国はこれと事情を異にする。利害の影響は、台湾樺太にも勝るほどなるが、土台の国が人の物、此方の都合によっては、毎時も毎時も血を涸し身を捨ててまで争われるかどうかだが。それで同胞の多くが、今より続々入り込んで、事実の上に根柢が固めたい。其の根柢が堅くさえなって居れば、其の同胞が第二の本国だもの、其の同胞の為めばかりにでも、極力相争うは当然である。即ち、日本固有の土地を保護する決心で韓国の保全を保護するのである。そこで今から一人も余計移住したらばと思うのである。果してどれだけ入り込まれるかその経済事情も調べてみたい。即ち一人の需要ばかりに就いてではない、家族の生活や子弟の教育や、彼の進歩の程度、将来発展の傾向などを一々調べて来たいのである。

余が渡韓の動機はたいていこんなことであった。なお一口に言って見ると、韓国百年の後を杞憂してのこと、我が青年の目下の発展を謀ってのことである。

 

支那大覚醒には100年くらいかかったのだが…

 

なお、この著者は韓国人を見下すことを厳に戒めている。

不心得者の移住者

 

草創の際陥り安い通弊ではあるが、需要は急に増加して来た、供給は中中急な間には合いかねる、つい有合わせで間に合わせるとなる。又一方には、此機乗ずべしとして濫りに入り込んで来るという有様。其の徒の残物でもあろうか、是れまでの移住者には、随分如何しいものが多い。一般韓国人を目して、或は比律賓土人のように、或は台湾生蛮のように、或は北海道アイヌのように思ったり、或はまた戦敗国民のように思ったりして動もすると、彼の良民を威圧して、自ら暴利を占有せんとするもの、彼の驕慢無体、徒に侮辱を加えて得々たるものに至っては、方にこれ吾が聖天子の逆臣、吾人の断じて歯すべきものでない。

余が目撃したことにも、韓人車夫が客を得て、将に乗せんとしている処へ、急に横合から日本人車夫が出て来て、彼れを押し除け、有無を言わせず其の客を奪ったのがあった。

又汽車の中で先に入って席に安坐している韓人の処へ、後から入って来た日本の丁稚体の男が、叱咤して其の席を去らせ自ら知らぬ顔で坐ったのもあった。

その外市中疾走の日本車夫が、意気揚々途上の韓人を怒号して、常に自ら其の中央を走る様ったら、丸で話にならない。晏子の御者も裸足で駆けるほどである。不心得の甚だしいものといわなければならない。官民の心ある人々は、此の徒の一大横暴を悪んで、彼の醜業婦の跋扈と共に憤慨して止まないのである。

一つ新現象として余が見たのは、余が京城大和町三丁目を通る時、日本人同士の喧嘩を見た。喧嘩ではない、一人の仕事師らしい男が、頻りに車夫体の男を擲りつけて居るのである。「いくらヨボが買ってるんだって、只で食うなんて太い奴だ、貴様のような奴は擲り殺してもよい」って擲って居る。其の中に仲裁するものもあって、擲るのは止めたが、能く聞いてみると、其の処で韓人が買ってる菓子を、其の処に居た車夫が買って食べた。食べるのは食べたが、銭がないので、払わないで逃げようとした。それを一人の男が憤慨して懲しめたのである。擲ると云うことは勿論よいことではないが、其の男の侠気は愛すべしと思うた。

 韓国人をフィリピンの土人や台湾の生蕃、アイヌみたいに見下すなと怒りプンプンである。フィリピン人や台湾人やアイヌの人にとってはとんだとばっちりであるが。

ともあれ、この人は韓国人に対する差別に怒っており、韓国人は日本人と同じ良民であるとみなしている。でもまあ、微妙に見下してる(本人は気づいていない)部分はいろいろちらちら見え隠れするんだけどね。

これ以上は冗長になるので、ぜひこの本を自分で読んでみてほしい。戦前の朝鮮に対する扱いに関して、右派にも左派にも自分たちの主張に合うように抽出できる本で、自称左派の自分としてはどうなんだろうと思うのだけど、これ、多分当時の日本人の「公平でカッコイイ」描写だと思うんだよね。