退化の仕組みをふと考えた。

洞窟に生息する魚とかの目が退化する現象、あれはもともと洞窟に住むようになる前は機能する目があったわけで、洞窟の中で世代を重ねるうちにいつしか目の機能が失われてしまったわけだ。なぜわざわざ目が「退化」するのだろう。

光のある世界では目の機能が生存と繁殖に大きく影響するだろう。レンズの透明度が下がる変異、眼球が小さくなり、光を取り込みにくくなる変異、視神経の情報伝達が乱れる変異、脳が目からの信号を正しく処理できない変異などは生存しにくさにつながり、自然選択によって取り除かれやすくなるだろう。

ある時点で魚が暗黒の洞窟に閉じ込められると、そこで目が見えるか見えないかが有利でも不利でもなくなる。様々な「目を悪くする」変異が中立になっていく。これ以後はレンズが濁る変異も、眼球が小さくなる変異も、視神経が機能しなくなる変異も取り除かれることなく子孫に伝えられ、集団の中に広まりやすくなる。

目のような形質は、多くの遺伝子が関与する複数の形質の協調によって機能するものなので、ランダムな変異は通常機能を損なう方向の方が圧倒的に多くなる。従って、いずれ集団全体が盲目になっていく。

中立進化の考えが提出されるまでのダーウィニズムでは、この種の退化はコスト論で語られることが多かった。無駄な機能にエネルギーを割くことは生存上不利になり、自然選択によって取り除かれるというものだ。そういう効果も寄与するだろうとは思うが、洞窟内の盲目魚みたいな場合、中立進化の考えのほうがより納得できる気がする。ランダムな変異の選択されざる積み重ねは、本来機能をひたすら壊していくのではないか。

洞窟の魚や海老がアルピノ化するのも、色素を作る機能がそもそも光のある世界で磨かれたもので、光がなければやがて「壊れていく」方向の変異が積み重なると考えられるのじゃないだろうか。