パソコンにおける80系 VS 68系の時代

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 1974年に、Intelの8080とモトローラの6800という8ビットCPUが登場した。8080が、電卓用4ビットCPU 、4004から8008を経て進化したのに対し、6800はミニコンアーキテクチャ(DEC PDP-11をモデルにしたといわれている)を縮小して設計されたらしい。つまり8080は電卓が進化したCPU。6800はミニコンが退化したCPUといえる。Intel 8080とその後継アーキテクチャを80系、モトローラ6800とその後継アーキテクチャを68系と呼び、これらが戦いを繰り広げた時代があった。

 特徴として、8080はレジスタが多めで、数値をいくつも代入してちゃっちゃと計算するのに向いていた。それに対し6800は直行性の高い命令で、一貫性の高いプログラムを作成するのに向いていた。誤解を恐れずいうなら、8080はとにかく実用性重視。6800は理念重視といえるのではないだろうか。高度な電卓VS簡易化されたコンピューターだったのだ。この場合、すでにミニコンや大型コンピューターを使っていた技術者からは、よく似たアーキテクチャの6800は評判が高かったはずだが、インテルはいちはやく評価ボードやCPUを安価に配布し、初期の段階でわりとシェアを取ってしまう。マイコンの歴史に残るAltair8800など、当時インテルが市販していたCPU単体の価格と変わらない値段で筐体とマザーボード込みのコンピューターセットを販売できた。これはIntelがこういう企業に対し、極めて格安でCPUを卸していたからに他ならない。

 ここで、80 VS 68の第一ラウンドは80の勝利に終わるのだが、ここで成功したのはIntelではなかった。IntelからスピンアウトしたZilogが、Z80という、8080互換で、さらに便利な命令や裏レジスタを完備たCPUを発売。横から商売をかっさらっていく。
 日本では、日立Basic Masterが6800を採用。シャープ MZ-80と、NEC PC-8001Z80を採用していた。その後、モトローラは6800を大幅に改良した6809を発売する。6809は究極の8ビットCPUと呼ばれ、日立のほか、富士通が採用して一定の支持を得る。しかしこれは6800との互換性がなかったし、登場時期も遅すぎた。「究極の8ビット」というのは、要するに「8ビット時代の最後を飾る」という意味になってしまう。

 なお、日本でパソコンへの採用例はほぼないのだが、米国では6502がかなりのシェアを得た。これはモトローラからスピンアウトしたモステクノロジーが開発したCPUで、6800をさらに簡易化したような製品だ。プログラムカウンタ以外のレジスタがすべて8ビットであり、命令数も少ないが、その分高速で動作した。つまりプログラムはより複雑になる。のちのRISCにちょっと似ている。モステクノロジーはこのCPUをすげえ安く市販した。8080が3万円位した時代に2000円位で売り出したらしい。これに注目したのがスティーブ・ウォズニアックで、彼が作ったのがApple I。後継のApple IIも6502を使っていたので、アメリカを席巻したパソコンが6502を採用したということになる。コモドール社もPET-2001でこの6502を採用し、のちのコモドール64でも使われた。英国でもエイコーン社がBBC Microに6502を採用。世界的に安価なパソコンは6502という流れがあった。なぜか日本ではパソコンにおける採用例がない。これは日本で初期にパソコンを製造したのが半導体メーカーばかりで、これらがモトローラインテルザイログと提携して自社で互換チップを製造していたこともあるのだろう。初期の日本のパソコンは基本自社製のCPUを搭載していたはず。製造ライセンスを買った後の製造原価で考えるならどれも大差なく、ならば高機能なZ80や6809となったのではないか。
 それに対して米国などでパソコン市場を立ち上げたのは、自社に半導体工場なんか持たない新興企業だった。大量に外部から購入する部品として、安価な6502は魅力的だったと思われる。
 6502を68系に含めるのなら、案外日本以外ではいい勝負をしていたかもしれない。日本においては、ファミコンが6502に機能を追加したカスタムCPUを採用し、その後PCエンジンスーパーファミコン(16ビット化された65816のカスタム)などに採用された。セガのSC-1000などがZ80を採用していたのに勝ったので、ゲーム機市場では80系の負けといえたかも。


 16ビットでは、Intelが8086、モトローラが68000を出した。8086はこれまた8080を大きく拡張したアーキテクチャで、機械語に互換性はなかったものの、再アセンブルすれば今までのプログラムがそのまま動くようにできていた。そういう設計のため、16ビットCPUとしてはメモリが64kB単位で区切られたり、非常にせせこましくなっていた。それに対して68000は、リニアな16MBメモリマップを実現し、たくさん装備された汎用レジスタは32ビットで自由自在に使えるなど、どう考えても68000の勝ちだろってな仕上がりだった。しかし、6800や6809との互換性とかは特に考えられていなかった。この時代、IBM-PCが8086の8ビットバス版の8088を採用し、AppleのLisa、Macintosh。アタリのST。コモドールのAmigaが68000を採用した。後者はどれもビットマップディスプレイを効率的に扱う必要上、68000の方が率直にOSやアプリケーションを書くことができる利点があった。しかし、IBM-PCやその互換機が主流となり、ここでも68系は敗退する。
なお、8ビットパソコン市場でIntelのパイを奪ったザイログは、16ビットのZ8000が思ったより速くならず、エラーも出たりして16ビットパソコン市場ではさっぱり採用例がなかった。アーケードゲームとかでいくつか採用されたようだけど。

アタリやコモドールがドロップアウトして、唯一の68系陣営となったアップルは、IBMPowerPCを採用し、これにモトローラを巻き込む。PowerPCの時代を68系と言っていいのかどうか、全然アーキテクチャ違うし難しいところだけど、最終的にモトローラのCPU採用をやめたIntel Mac登場の2006年を持って、1974年から続いたパソコン市場の80系 VS 68系の戦いは幕を閉じたと考えていいのだろう。