19世紀物理学のエーテルとは

 19世紀、ニュートン力学が物体の運動を過不足なく記述し、電磁気学マクスウェル方程式が過不足なく記述していた。物理学は「もうすぐ完成する学問」と思われていたのだ。この時代、光が波動であるというのは常識で、波動であるなら波を伝える媒質が存在するはずであると思われていた。水面に石を落とせば円形に波が広がるし、音は空気中を伝わる波動である。光もそれを伝える物質があるだろうと、当然思われ、それはエーテルと呼ばれていた。

 

 一般的に、波動を伝える媒質の性質は、波の周波数や伝搬速度が大きいなら、高密度で固体に近い性質を持たなければいけない。当時すでに光の速度の検証は行われており、秒速30万kmという、すごい速さで空間を伝わることがあきらかだった。そうすると、光を伝えるエーテルは鋼鉄より硬い物質でなければいけなかった。また、光が宇宙、空気中、水中、ガラスも関係なく伝わることから、あらゆる物質の中に「染み込む」非常に細かくどこにでもある物質でなければいけなかった。考えてほしい。宇宙のどこにも染み込んで存在し、鉄より硬い物質である。そんなものがあったら、惑星の公転運動もなにんもかも阻害されて停止してしまうだろう。なので、エーテルは光速に近い速度でだけ非常に硬くなるが、ゆっくり動く物質にとっては真空と同じくらい抵抗がないと定義される。かなり無理のある設定である。だが、当時は当然それが存在すると思われていたのだ。

 

 エーテルは宇宙に静止状態で存在し、その中を恒星や惑星が移動すると考えられた。したがって、エーテルに向かっていくときと、エーテルから遠ざかるときで、光の速度が変わるはずと思われた、地球が公転していることは知られていたので、その進む方向と、それと90度ずれた方向で光の速度を測れば、エーテルに対する地球の速度が測定できる。これをやったのがマイケルソンとモーリーで、結果はどの方向にも光速度は一定だった。方向にかかわらず光速度が一定というのは、異様な話である。新幹線が時速300kmで走ってるとき、駅で立ってる人が測っても、線路に並走してスポーツカーで時速200kmで走ってる人が測ってもどっちも時速300kmだというようなものだ。これをなんとかしようと頑張ったのがローレンツで、彼は高速移動すると距離が縮むとしたのだが、最終的にはアインシュタインが「いや、時間が縮むんだよ」と反則技を繰り出した。光の波を伝える媒質は、エーテルではなく「電磁場」という新しい概念になり、光を伝搬する媒質で、鋼鉄より硬いエーテルというものが不要になったのだ。  

 

 アインシュタイン特殊相対性理論によって、エーテルは追放されたのだが、20世紀初頭のSFではまだ生きていた。あらゆる物質に染み込んで光を伝えるエーテル。ならば、エーテルに染み込むさらに細かく高硬度の物質があればどうなるか。超光速の情報や超光速移動をつかさどる「サブエーテル」である。物理学会で「サブエーテル」という概念が話題に上ったことはないと思う。これはSFがSFならではのセンスオブワンダーを生み出した運動であった。サブエーテルを含めたエーテル宇宙論は、レンズマンなど、20世紀前半のSFで使われ、スペースオペラの衰退とともに忘れられていったが、1980年代末、スタジオガイナックスの「トップをねらえ」で復権する。あれはエーテル風に宇宙船が流される様を描いた超エーテル宇宙論の世界である。