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西崎義展という人

宇宙戦艦ヤマト」は松本零士監督作品であり、ヤマト以降流行した一連の「松本アニメ」のはしりと思われているきらいがあるが、キャプテンハーロック銀河鉄道999といった「松本零士作品」とはやはり趣が異なる。それは結局のところ稀代の山師、西崎義展プロデューサーの個性なのだろう。

 

西崎義展氏の伝説は数多い。ガイナックスにヤマトのリメイクを作らせようとして札束の入ったトランクケースを持ってきて「すきなだけ持っていきなさい」と言ったとか(あとで秘書が回収)いう話は岡田斗司夫氏の話だが、それ以前に大塚康生氏の話として、東京ムービーにすげえリムジンで乗り付け、同じく稀代の山師だった東京ムービー藤岡豊氏(「リトルニモの監督にスター・ウォーズ帝国の逆襲のゲイリー・カーツを引っ張ってきて何十億円もドブに捨てた人)と会談。その際大塚氏に「お手を拝借」と手を出させ、その手の中で指を一本二本立てて、「これでどうです?」とヤマトへの参加をもちかけたとか。指一本が一億だとか、そういうとんでもない人なのである。リムジン、手の中ですげえ金額の交渉。トランクいっぱいの札束。こういいう「漫画みてえな金持ちぶり」を実際にやってた人が実在したってだけですげえよなあ。

 

そもそも手塚治虫虫プロで働いてて、いつのまにか「海のトリトン」の権利を自分のものにしてたり、「宇宙戦艦ヤマト」を虫プロで作る予定が、虫プロ潰れたので自分の「オフィスアカデミー」で作ったりしてるのだけど、すげえトラブルマンだったのだ。当然手塚治虫からはすげえ嫌われたらしいよ。

 

ヤマトに関しては、第一作の放送は「アルプスの少女ハイジ」と「猿の軍団」に視聴率取られて撃沈。ぼくらみたいな一部熱心なファンを生んで終了するはずだったのが、再編集映画が大ヒット。続編の「さらば宇宙戦艦ヤマト」で完全に1980年代アニメブームの牽引者になった。さらばのTV版「ヤマト2」から、「TVスペシャル、宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」「ヤマトよ永遠に」までは本当にアニメ業界のトップにヤマトありで人気を誇っていた。「ヤマトIII」が初代と同様視聴率不振に陥って2クールで終了してしまったのだけどその後の「宇宙戦艦ヤマト完結編」は、こと作画と言う点では最高峰だった。それ以外はほんとうにグダグダだったのだけど…

 

ヤマト完結編発表時、沖田艦長の復活がうたわれ、西崎氏は「ファンが納得する方法を考えた。がっかりさせない」みたいなことを雑誌で言っていたのだが、その内容は「佐渡先生の誤診で実は脳死に至ってなかった」、佐渡先生が客席を向いて「全国の皆さんに坊主になって詫びにゃならん」とお詫びするという前代未聞の「納得する方法」だった。

ちなみに、ヤマト完結編直後から復活編の構想は語られていて、ヤマト復活三カ年計画というものがぶちあげられていた。その第一弾が「オーディーン 光子帆船スターライト」である。あれは一応ヤマトと同じ世界の過去の話だったのだ。その後、若き日のデスラーの戦いを描く「デスラーズウォー」があって、「ヤマト誕生編」とかなんかいろいろ構想はあったっぽいが、結局オーディーンが赤字になったので、手っ取り早く完結編のあとの「復活編」を劇場向けにプレゼンしながらOVAシリーズのYAMATO2520を作っていたらウエストケープコーポレーションが倒産しちゃって未完に終わる。そう、ヤマト復活編はずい分昔に予告されていたのだ。だけど会社の倒産。西崎氏の逮捕などが重なって長くお蔵入りになってしまう。西崎氏、最初は覚醒剤所持で、後に銃刀法違反で何度か捕まってるのだ。なんかメディアの業界人として麻薬や覚醒剤ってのはわりかし違和感ないのだけど、銃刀法違反が謎すぎる。クルーザーに擲弾筒付きの自動小銃と実弾、擲弾を大量に所持していたのだ。海賊対策とか、尖閣諸島に上陸した石原慎太郎の護衛用とか言ってたらしいけど、異様だろう。

 

西崎氏が刑務所行きになっていた時期。獄中からの手記を公開するWebサイトがあった。腰痛がひどいのに手当してもらえない、もう獄中で死んじゃうかもみたいな話とか、初期のヤマトの企画書や、お蔵入りしかけていた復活編のプロットなんかを公開してたので、実は非常に貴重な資料だったりする。Webアーカイブに残っているのでリンクしておく。

西崎義展の手記(Web Archive)