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パソコンがプログラミングなしでは何も出来なかった時代

MZ-80やPC-8001が登場してマイコンブームが巻き起こった1980年頃、市販の実用ソフトは皆無だった。当時パソコンに触れた少年たちは、そのほとんどがマイコン雑誌に掲載されたゲームなどのプログラムリストを打ち込み、実行して楽しんだ。

そして、なにしろプログラムのソースコードが雑誌に掲載されているのだから、それを改造して楽しんだりも当然できた。ソフトが売ってないんだから、自分でプログラム作るか、他人のプログラムを打ち込むしかなかったのだ。そういう意味で、あの時代のマイコンユーザーは、そのすべてがプログラマかその予備軍だったといえる。まあ、雑誌掲載プログラムをその雑誌がカセットテープに録音して通販してたりもしたので、当時でもソフトを買うという行動はあったのだけど、お金のない少年たちは、打ち込めばタダなソフトに金を払う習慣を形成するのに時間がかかったと思う。通販って当時的にはわりと敷居高かったし。

 

まあそういったわけで、パソコンというものはその出始めの時期には「プログラミングを楽しむ」機械だったわけだ。そもそも起動とともにプログラミング環境であるBASICが動いていたのだから、電源入れるたびに「さあ、今日はどんなプログラムを作りますか?」と言われているようなものである。

 

CP/MみたいなOSが一般にはあまり普及せず、BASICが基本ソフトとして受け入れられていたので、パソコンを使うこと=BASICを覚えることとされていたきらいもある。サラリーマンが電車の中でBASICの入門書を読んでたりしたわけだ。

 

そんなパソコン環境の中でBASICでゲームを作り、高速化を狙ってコンパイラアセンブラに手を出しという感じで、初期のパソコンプログラマは育ってった。

 

パソコンが、自分でプログラムを組むのではなく、遊びや仕事に必要なソフトを買ってきて動かすランチャーになったのはいつからだろう。ゲームのクリアに本気になれるRPGが出た時か、ビジカルクみたいなほんとに業務に使えるソフトが一般化した時か、それとも実質プログラム作成が不可能と言ってもいいほど切り詰めたMac128kが出た時か。それはそれで正しい進化である。パソコンが「なんだかすごいなんでもできる夢のマシン」という曖昧さを捨てて、「実用的な道具」になったわけだから。ただ、BASICの点滅するプロンプトにわくわくしながら AUTOと打ち込んでアイデアを実現しようとしてた何十年前の少年たちは、あの感動をいまの子どもたち、自分の息子や娘に味わってほしいと思い、ときにあまりにも時代遅れなプロダクトを生み出すのである。IchigoJamとか…

ichigojam.net