小中学校時代の感想文などで文章を水増しする方法

小中学校時代、作文や感想文が大の苦手だった。作文といえば

動物園に行きました。ぞうはおおきかったです。キリンのくびは長かったです。

というような作文を書いて「もっと長く書きましょう」と赤ペンで書かれるし、感想文の場合も「おもしろかったです」しか書くことが浮かばず、長く書くために冒頭延々あらずじを書いて最期に「おもしろかったです」をつけるものだから「感想文はあらすじではありません」と書かれる。だって他に何を書くことがあるのだ。感想など面白いかつまらないかしかないだろうと、毎回悩んだものである。だいたい夏休みの宿題に読書感想文とか出ると400字詰原稿用紙5枚書けなどと言われる。5枚目の冒頭1行に何とか達して提出すると「せめて五枚目の真ん中すぎるまで書け」と言われる。3800文字ってなげえよ。基本「面白かったです」しか浮かばないのに。四苦八苦した挙句生み出したテクニックはだいたい以下の様なものである。

 

哲学とかの小難しい言葉をカタカナと漢字で入れる。

「それがレゾンデートル(存在意義、存在の前提)となっている」

「つまるところこれはヘーゲルいうところのアウフヘーベン止揚)であって」

「時代が違うのだから現代の読者がそのような前提をアプリオリ(自明的、先見的)に共有するものと期待されても困る」

みたいなやつ。意味なんてちゃんと理解してなくてもOK。これでなんか文章として小難しくなって子供の割には頭がよさそうになり、しかも字数を稼げる。痛々しい限りだが、先生はなんだか生暖かい目で文を読むことになるだろう。本来全く使う必要はないのだけど。

 

作品から連想したことをあまり関係なくても書く。

 そういえばこの「走れメロス」という作品は古代ギリシャが舞台でいいのだろうか、メロス、セリヌンティウスなどの名前、シラクスという地名はいかにも古代ギリシャ風に思えるのだが、特に時代や場所の設定は明示されていない。NHKみんなのうたの「勇気一つを友にして」なら冒頭に「昔ギリシャのイカロスは」と書かれているのでわかりやすいのだが。

 作品を読む上で、サンダルばきの古代ギリシャの風景を思い浮かべるのと、革靴の近世ヨーロッパなどを思い浮かべるのでは受ける印象がまるで違ってしまう。ここではとりあえず古代ギリシャとしてうけとっておくべきか

 まるでどうでもいい話だが、「受ける印象が違う」という読者としてのエクスキューズ(弁解)を入れておくとなんか先生もいちがいに「関係ないよね」と切って捨てられなくなるだろう。

 

上から目線で作者を叩く。

カフカの「変身」は不快極まる作品である。こんなものを読まされる方の身になってほしいものだ。僕が小説を読むのは、作中人物と一緒に作品世界を冒険してワクワクしたいがためである。甚だわがままであるとは思うが、その意味で僕はエンターテイメント至上主義者であり、このような陰鬱な作品を読みたいとは全く思わない。夏休みの課題図書で比較的薄かったのと、「変身」というタイトルでなにかヒーロー物のような爽快なイメージを持ってうっかり選んでしまったものである。なんでも作者がこの作品を書いたのは第一次大戦前、作品にはその時代の暗い雰囲気が反映しているらしいが、そんなことはどうでもいい。読者を楽しませられなかったということはカフカは作家として失敗したということだ

 

なんとバカな文章であろうか(笑)。しかし大概の国語教師は、生意気な子供はわりと嫌いではないものなので、こういうのは案外ウケる。そして悪口というのは次から次へといくらでも書き連ねられるものなので、水増しには最適だ。上で書いた哲学用語などを散りばめることも忘れてはいけない。

 

小学校低学年で「ぞうはおおきかったです」「おもしろかったです」しか書けず、国語の成績3だった僕だが、上のテクニックを身につけた中学時代以降は4~5をキープしていた。なのでこれは実際有効だと思うよ(笑)。