田舎者が東京の大学を受験したときの思い出

昔話になるのだが、僕は岩手県水沢市(現奥州市)出身で、高校二年の修学旅行の時はまだ東北新幹線が開通していなかった。早朝に水沢駅で特急に乗り、東京で新幹線に乗り換え、奈良の宿に日が暮れてから到着するという、まるで海外旅行でもするような長旅だった。まあ、受験の時期にはなんとか新幹線が開通したので、東京に出るのはかなり速くなって助かったのだが、それでも当時東北新幹線は、東京どころか上野にも届いておらず、大宮からは京浜東北線に乗り換える必要があった、なお、埼京線もまだなかったので、新宿方面に行く場合赤羽で赤羽線に乗り換えて、池袋で山手線に乗り換えるというめんどくささだった。

 

そんな時代、岩手から東京に受験にいくとなると、まず朝に始まる試験に間に合わない。なので前日か前々日に東京に出て、ホテルに泊まったわけだ。いまでもあるんじゃないかと思うけど、受験生用の宿泊パックがあり、大学受験シーズンには高校生が多数シティホテルやビジネスホテルといった、比較的安価だけど「都会的な」ホテルに宿泊していたわけだ。

当時の大学入試というのは、国公立の場合はいまのセンター試験みたいな共通一次試験を受け、その上で各大学の2次試験を受けるのだが、私立大は共通一次試験を採用していなかったので、大学ごとに一回勝負、3科目くらいの試験を受ける仕組みだった。僕は東京の国立理系大学の中で当時最も偏差値が低かった東京農工大を狙っていた。第二志望は私立の東京電機大(神保町と秋葉原が近い)。以下工学院大学(新宿高層ビル街にある)、さらに最後の滑り止めで国士舘大学(特に特徴はないがスポーツで有名だったので田舎ではわりと肩身の狭い思いをしないで住む)を申し込んだ。自分の入れそうなランクの中でも、興味がある場所の大学を選んでしまうのが田舎者らしいところである。

 

それらの大学の受験日はそれぞれ違ったので、ひとつ受ける度に東京旅行、ホテルに宿泊なわけである。ちなみに試験の順番は国士舘、工学院、電機大、農工大と、偏差値低い方から並んでたので、なんかいい感じだった。

で、なにしろ一人で上京という、はじめての経験である。もう東京というものが憧れの大都会なわけで、僕は初日から秋葉原に繰り出して、ジャンク屋めぐりをしたり(当時の秋葉原はパソコンブームの初期で、アニメやエロゲなんて影も形もなかった。というか「オタク」という言葉ができる前だし)、ホテルの設備を遊び倒し、フロントで買った新聞とかをベッドに散らかしっぱなしにして出かけても綺麗に掃除してくれるシステムに感動して「ホテルに住みてえ」とかほざいたりしてたわけだ。

 

一番早い時期の、国士舘受験の時など、まだホテル側も受検生受け入れ体制になっていなかったので、有料チャンネルでエマニエル夫人とか流してたのである。お金を入れないとちゃんとは視聴できず、画面が乱れて何が何だかわからないのだが、全面肌色で、喘ぎ声とか聞こえるのだ。親もいない密室で、エロビデオを見られる機会なんてそれまでなかったので、それだけで大興奮である。受験に来て何やってんだ俺(笑)。

 

工学院大学受験で再度同じホテルに泊まった時は、完全にホテルが受検生受け入れ体制に移行し、以前有料アダルトだったチャンネルが無料になって、銀河鉄道999とか流してたのである。それはそれで面白かったのだけど、たいそうがっかりしたのもまた確かだ。そしてこの時期にたまたま出張で西新宿のビジネスホテルに泊まったサラリーマンは、きっと「よーし、エロビデオ見るぞー」と思ってたらアニメやってるので僕らよりがっかりしたのではないかと思う。

 

ところでこの頃僕は、受験のストレスからか、胃炎が悪化し、ひどく体調を崩していた。なので三回目の上京は父親がついてきて、ホテルも新宿のおしゃれなビジネスホテルではなく、上野の不忍池のほとりにあった法華ホテルというなんか不思議な所になった。

ホテルってほら、部屋の引き出しに聖書入ってたりするじゃんギデオン教会の。あれが法華ホテルだと「仏陀の言葉」って本が入ってるのよ。あれはびっくりしたな。

 

あと当時東京に出てなにがよかったかといえば、TVのチャンネルが多いことだった。今でこそ岩手県もテレ東以外の在京キー局全部に対応したチャンネルがあるけど、当時はNHK以外は民放二局。TBS系と日テレ系しかなかったのである。なので東京に出てはじめてミンキーモモやらJ9やら見たし、CMもしゃれてるし、東京のテレビ最高!ってもんですよ。

 

受検生なにやってんだ…

 

まあ、受けた大学はみんな合格したんだけど、国立大の2次試験の前に胃潰瘍で吐血して緊急入院、東京農工大2次試験は受けられず、高校の卒業式にも出られなかったということで、最終的に東京電機大に入ったんですけどね。もちろん在学中は神保町と秋葉原に入り浸ってましたよ。

 

あれは、田舎育ちゆえの幸せな記憶だなあ。