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極私的東北史

さて、我が故郷岩手県奥州市。江戸時代は仙台藩の一部。このあたりはかつて蝦夷の土地であり、大和朝廷の支配地の外だった。いわば日本ではなかった。徐々に侵略を進めてくる朝廷軍に対して、阿弖流為を指導者として東北人はゲリラ戦を挑み、何度か撃退するもやがて征夷大将軍坂上田村麻呂に降伏する。田村麻呂は降伏した阿弖流為の助命を約束したのだが、都の貴族たちによって阿弖流為は処刑されてしまう。

かくして東北地方はヤマトの侵略に屈し、住民は俘囚となった。だがそれでも東北地方はやがて俘囚の長であった豪族安倍氏の半独立王国になり、朝廷の影響力は低下した。そこで朝廷は源頼義を派遣、前九年の役が始まり、再び東北が戦場になる。一進一退の戦いが続き、源頼義は、出羽の俘囚長、清原氏の参戦を要請する。最終的に安倍氏は滅亡し、清原氏が東北の覇権を握ることになる。

その後清原氏の内部分裂に源義家が介入し、後三年の役になるのだが、朝廷はこれを義家の私戦とみなし、知らんぷりをした。後三年の役の結果、清原氏は滅び、東北の覇権は安倍氏の血を引き、清原氏に養子入りした藤原清衡のものになる。

後三年の役私戦とみなした朝廷は東北経営から事実上身を引いており奥州藤原氏は平泉に京都に次ぐ壮大な都を築き、栄華を極めた。

そう考えると、ここまで東北は蝦夷の国であり続けたことになる。ついでに関東あたりより都会だった。

奥州藤原氏は朝廷に金や馬その他奥州の特産物を惜しげなく送り、東北の半独立状態を維持していたが、空気読まない関東の源頼朝が「義経よこさなきゃ滅ぼす」といって軍勢送ってきたので、しょうがなく源義経の首を切って送ったのだが、頼朝は約束破って藤原氏を滅ぼし、平泉を火の海にし、関東の御家人に東北地方を分割して与えてしまった(また約束やぶられた)。ここに完全に東北蝦夷、俘囚の国は消滅するのである。

時代は下って明治維新戊辰戦争で東北の多くの藩が奥羽越列藩同盟を作り朝廷に対抗する。このときうちの先祖、後藤善之丞は官軍の夜襲を受けて戦死。我が家を含む仙台藩の多くの武士は士族身分を許されず帰農することになる(また朝廷にやられた)。

維新後も東北は発展に取り残され、やがて戦後高度経済成長が始まると「金の卵」などと持ち上げられ、集団就職列車に家畜のようにつめ込まれて首都圏の工場で働かされることになる。あたかも発展途上国の安い労働力を輸入して、低賃金で働かせるような、国内植民地のごときありさまである(この時代を描いた傑作が「三丁目の夕日」である)。父は若いころ、農閑期の出稼ぎで東京のノート工場で働いていたが、裁断機で指を失った先輩が何人もいるような過酷な職場だったという。

 

このように、東北中心視点で歴史を眺めると、常に東北は日本という国から敵視され、搾取されてきたということになるのだが、まあ、だからといって「皇室許すまじ!」「東北人よ立ち上がって政府を打倒せよ!」「東北よ日本から独立せよ!」みたいな意識は全然ないのであった。所詮生まれる前の話だしねえ。