美味しんぼ問題と表現の自由

このツイートを書いた理由は、美味しんぼの鼻血表現が問題になっていたこと、また、TLに流れてきたツイートに「普段表現の自由を言ってる漫画家とかはどう反応するのか」みたいな意見があったために僕自身の考えを表明しておくべきと思ったということなのだけど、実際僕にとってこれはとても難しい問題なのだ。

 

僕は差別や非科学的な言論は嫌いである。それらは罪のない誰かを傷つけ、場合によっては命を奪う危険性すらあるのだから。この気持と表現の自由を両立させるならば、「批判されるべき言論は正しく批判され、社会の多くがそういう言論に惑わされなければいい」となる。表現は自由だが、批判もまた自由であるので、言論には対抗言論で戦えばいいわけだ。だけどそれは実際難しいのだ。差別やニセ科学は多くの支持者を獲得しているし、正論で対抗しようとしてもそうそう勝てる見込みはない。勢い「あいつら法律で規制しちゃえ」みたいな気持ちになるだろう。しかしそれはまずいと思う。

 

「多数派」が公的な規制を導入すれば少数派が弾圧を受けることになる。「良識派」と言い換えても、結局多数の信じる「良識」によってなんらかの表現が押さえ込まれることになる。

 

 

このような意見も寄せられたが、まさにその問題が僕の作品にはかかっているのだ。児童ポルノは製作時に児童を虐待し、その記録が延々残ることから批判され、現在ほとんどの国で違法になっている、さらに「児童を性的な視点で見る」こと自体が多くの国で悪とみなされ、実写作品のみならず、日本から持ち込んだエロ漫画によって逮捕されたりする事例が多く存在する。要するにロリやショタのエロ漫画は世界的にも麻薬や銃器のような犯罪物資とされているのだ。日本でも児童ポルノ法に漫画やアニメを入れるかどうか毎回問題になる状況で、いつ僕の作品が犯罪になるかわからないのである。単純所持規制と漫画への児童ポルノ認定が導入されたら、僕の漫画は読者の皆さんが自分で焚書しなければいけなくなるのだ。

 

そのような状況に日々さらされている漫画家の一人として、いかに有害と思う作品でも、規制すべきとはとても言えないのである。

 

では有害と思う作品を放置すべきなのか、それについては前半で効果が無いといったけど、対抗言論による批判を根気よく続けるべきだと思う。本当に茨の道だけど、公的な規制を訴えるという、ある意味「簡単な」方法に出れば、それはいずれあらゆる言論への強烈な毒になるのではないかと思うのだ。