Minecraftのゾンビ肉を「ゾンビーフ」と呼ぶ由来

 

f:id:juangotoh:20170603041346p:plain

 Minecraftの敵性MOBであるゾンビを倒したときにドロップする「腐った肉」(Rotten Flesh)。高確率で食中毒を起こすが、空腹ゲージの減りが速くなるというだけで、ライフ回復には使えるので、実は食料供給が難しい砂漠やメサバイオームにおいては意外と有効な食料である。この腐った肉をニコニコ動画のマイクラ実況などでは「ゾンビーフ」と呼ぶことが結構多い。しかし考えてみるとこれはちょっとおかしな話だ。ゾンビを倒して得られる「腐った肉」はどう考えてもゾンビの肉であってビーフ(牛肉)ではない。ゾンビ牛の肉なら「ゾンビーフ」でも良いと思うが、あれは人間のゾンビであり、言ってしまうと「腐った人肉」である。ちなみにMinecraftには牛が存在しており、これを倒して入手できる肉は「生の牛肉」(Raw Beef)である。マイクラには、ゾンビの牛は登場しない。

 

 これについて、

www26.atwiki.jp

Minecraft Japan Wikiでは、「ビーフは牛肉を表すので正確には間違いだが、語呂がいいので使われる」と解説しているが、僕は単に語呂がいいというだけではなく、元ネタがあったと思っている。それは、ニコニコ動画にアップロードされていた「妹が作った痛いRPG」シリーズの「えろえろ監禁病棟」だ。

 この動画では、死体を火葬するのは無駄だとして、ネクロマンサーを使ってゾンビ化し、食肉加工する会社が登場する。この食肉がゾンビーフと呼ばれるのだ。「人間のゾンビを食肉加工し、ゾンビーフと呼称する」定義がここで産まれる。

2010年にアップロードされたこの動画以前に、マイクラのゾンビ肉を「ゾンビーフ」と呼称した例があるのかちょっと確認できていないのだけど、この強引さは、「妹が作った痛いRPG」シリーズならではでないかなあと思う。

 

 「妹が作った痛いRPG」シリーズの作者は「高橋邦子」とクレジットされているが、これが本名かどうかはわからない。というか、どう考えても「妹のせいにしてトンデモないギャグ動画を制作したオタクの作品」だと思われるのだが、非常に面白く、一時期ニコニコでかなりのPVをかせいでいた。マイクラ動画で「ゾンビーフ」の呼称がこの影響で成立したと考えてもおかしくはない。

インスタントラーメンの油

 日テレの「得する人損する人」という番組を見ていたら、インスタントラーメンをいかに美味しく、インスタントじゃないように作るかの勝負をやってて、「そんなに手間や追加食材、調味料増やしたらインスタントラーメン使う意味がねえんじゃねえか?」と思ったのだけど、それはさておき、麺の茹で汁を一旦切れば、麺の油が抜けてヘルシーになるというテクニックを使っていた。確かにカロリーを抑えるという意味ではそうなんだろうけど、ラーメンってもともと油の浮いた食いもんで、油も「ラーメン」の大切な要素じゃねえのかと思ったりした。

 

 インスタントラーメンは麺を油であげるのが基本である。油であげることで、高温で蒸発した水分が麺に微細な穴を開け、これが短時間でお湯が染み込み、3分で茹で上がるという特徴を生み出す。茹でたラーメンに粉末スープを加えればそれだけでいちおう「ラーメン」と呼べるものが出来上がる。つまり麺に染み込んだ揚げ油がスープに戻って「ラーメンの油」の代用をしていたのがインスタントラーメンである。

 さて、1970年代から1980年代にかけて、インスタントラーメンは「ノンフライ」という、揚げない麺を使用するものが流行し、いまも高級品はこの方法の延長で作られている。麺を油で揚げず、熱風などで乾燥させると、微細な穴があかないので茹で時間は長くなる。なのでノンフライ麺は4分とかかかるものも多い。まあこのへんは製造上の工夫で調整も効くようで、ノンフライだからといって必ずしも長くかかるとも限らないが、ノンフライのラーメンの場合、粉末スープに加え、「調味油」という油が付属するものが多い。つまり麺から油が出ないから油を別添しないといけなくなったのだ。油は簡単に粉末にできないので、粉末スープに混ぜて、一つの袋にすることができない。

 

 ノンフライ麺が普及する前に日清の「出前一丁」が「ごまラー油」をつけているが、これは文字通り追加の風味付けで、なくても普通にインスタントラーメンの味にはなる。

 

 なお、四角いインスタントラーメンと別の文化として、1960年前後という早い時期から九州では棒状ラーメンが各社から発売され、これらは一般にノンフライのようである。東日本からあんまし出たことのない僕はこれらが昔どうだったのかよく知らないのだが、少なくとも初期のデザインを引き継いでいると思われるマルタイ醤油ラーメンは、やはり粉末スープの他に油を別添している。

 

ジョー・ダウンという漫画

 20年位前だろうか、エロ雑誌だか青年雑誌だか忘れたが、たまたま買った雑誌に載ってたマンガが妙に記憶に残っている。タイトルが「ジョー・ダウン」だったような気もするが、これも定かでない。当然作者もわからない。絵柄的には劇画っぽいものだったと思う。

 

 読み切りで、ストーリー自体もほぼ覚えていないのだが、プロット的には一見さえない青年が、実は悪を退治する凄腕の暗殺者だったみたいな、よくあるもので、青年の名前は「上下」「上」が苗字で「下」が名前である。「うえつ・しも」と読む。戦いに臨む際は直衣だか狩衣だか、平安貴族か神職みたいなコスチュームに身を包む。超能力的な特殊能力を持っていたのか、それもと古代から続く武術を使うんだったか、そういうところも覚えていないが、要するに、その名前やコスチューム、出自などを、古代の朝廷を守る一族みたいな、ちょっと珍しい由来に持ってきたのが売りだったのだろう。現代日本のビル街とかに平安時代みたいなコスチュームのキャラを入れる違和感とかも狙ったんだと思う。

 

 ただ、僕がこれを、物語の筋や設定の大半を忘れても妙に記憶しているのは、悪人を成敗した後の一コマ。「僕の名前は上下、友人はジョー(上)、ダウン(下)、冗談って呼びます」というモノローグで終わっていたためだ。「うえつ・しも」という名づけ自体は古代風でちょっといい着眼点だと思う、そして漢字表記で「上下」は見た目間が抜けてるが、なるほどと思わせる。しかし上を漢字の音読みでジョー、下を英語、しかもダウンは微妙に下の英訳として変だ。ジョーダウンがなまって「冗談」というあだ名がつくのはもうなんといっていいか、強引すぎて吹き出す。誰か保存していないだろうか。

AKIRAと戦後とオリンピックと鉄人

f:id:juangotoh:20090907173855j:plain

 少し前に、大友克洋の「AKIRA」が2020年東京オリンピックを予言していたという話題があった。まあ、オリンピックを作中で描けば4年単位の年号に縛られるので、たまたま合致したでいいのだけど、そもそもあの作品は、戦後の総決算だった昭和39年の東京オリンピックをかなりイメージしている。

 

 AKIRAは1982年に連載が開始された。そして、作中では1982年に東京を襲った新型爆弾によって第三次世界大戦が起きた後の世界ということになっている。1970年代~1980年代初期には、東西冷戦の到達点としての核を使った第三次世界大戦は、比較的リアルな設定として、多くの作品に取り入れられていた。かの「北斗の拳」も核戦争後の世界を描いているのだ。あの時代、フィクションにおいて、「今現在」の時代が大戦で崩壊した後、というのは近未来SFの舞台として非常に使い勝手のいいリアルな設定だったのだ。しかし、凡百の作品が未来のみ見つめて来るべき戦後を描いたのに対して、大友克洋は第三次世界大戦後、東京オリンピック前の日本を、第二次大戦後の東京オリンピックと重ね合わせる、奇妙なノスタルジーを重ね合わせる。あの作品は全体にブレードランナーみたいな未来感にあふれてるのに、原作でいうなら、金田がレジスタンスのごついおばさんに保護されて、いかにもな四畳半でサンマ定食をガツガツ食べるシーン。映画でいうなら暴動の中で戦後歌謡の「東京シューシャインボーイ」が流れるシーンで、戦後昭和中期のイメージをこれでもかと打ち出してくる。

www.youtube.com

 

さらに、最近あまり語られなくなったが、AKIRAは、横山光輝の「鉄人28号」の強烈なオマージュであるのは、連載開始当初から語られていた。金田のフルネームは金田正太郎であり、金田の孤児施設時代からの親友である鉄男は鉄人であり、超能力実験を施された子供たちの手のひらには通し番号が刻まれていて、アキラの番号が28号である。そして彼らの運命を動かしたアーミーの大佐の苗字は敷島である。あの時代、鉄人28号は「太陽の使者、鉄人28号」というリメイクアニメがTV放映されたりして見直されていた。

作品当初から出てくる日本の軍事組織は「アーミー」と呼称されている。自衛隊とは一度も語られない。これは日本軍が第二次大戦後解体されて、自衛隊になったのをさらにひっくり返したリアリティである。第三次世界大戦で日本の政体が大きく変わり、陸軍でも自衛隊でもない、英語の「アーミー」が正式名称になったのだ。つまりこれも「戦後」のオマージュなのだ。

 

大友克洋は、いわゆる漫画らしい漫画でなく、60年代劇画でもない、非常に緻密でリアルな作画と人間性をえがく革命的漫画家だった。AKIRAは、80年代にありきたりな近未来世界戦争後を描いたが、その表現が異様にリアルで生々しかったのだ。知らない人はぜひ漫画を読み、アニメを視聴してほしい。あれはすごいのだ。

ギャレス版ゴジラの予告でかかってた曲が2001年宇宙の旅のBGMだったり

2014年のギャレス・エドワーズ監督によるゴジラが公開される前の予告編は、背景になんか不安を掻き立てる「ああああ~」みたいな音響が収録されてた。

www.youtube.com

 

これ、「2001年宇宙の旅」で古代にモノリスが登場するシーンとかでかかってた曲なんだよね。前衛音楽家、リゲティのレクイエム。

www.youtube.com

 

意外とハリウッド映画って使い回しが多くて、ブレードランナーのラストの脱出空撮シーンがシャイニングの素材を再利用してたとか、

www.youtube.com

 

「ウイルヘルムの叫び」と呼ばれる、なんか情けないやられ声が異様に多くの作品に音響素材として使われたりとか、そういうのってなんか興味深い。

www.youtube.com

 

アメリカ映画で、監督が匿名にしたくなるような、なんらかの失敗、駄作化その他の事情などで、監督名を出したくない場合、アラン・スミシーという名前を使う事があった。なんとなく東映八手三郎とかサンライズ矢立肇っぽいけど、アラン・スミシーは基本トラブル絡みでの匿名ネームであり、そういう事情が知れ渡ってしまった結果、アラン・スミシー名を使うことで失敗作とみなされることになり、今では使われなくなったらしい。なんかおもしろいね。

マストドンにおける自由はオタクのワガママで済ませるべきなのか

ここの所急速に普及しつつあるマストドン。これについていわゆるまとめサイトの「オレ的ゲーム速報@JIN」が「【悲報】Pixivが建てたマストドンサーバー『Pawoo』、日本のキモオタの悪行のせいで海外から速攻断絶される! ガチでシャレになってないんだが・・・」というタイトルでまとめている。この場でリンクすることは避けるが、要するにpixivが建てたマストドンインスタンス、Pawooに集まるユーザーが、pixivレベルのエロ、ロリイラストを投稿しまくった結果、海外インスタンスから接続拒否された。これはいかんという主張だ。記事の最後にはおなじみ、やる夫とやらない夫のAAで、

確かにこれはオタの方が悪いわ
「俺らが好き勝手やれる遊び場を海外で見つけたぞ!うーれしー!」
ってお前らだけは楽しくても、間違って踏んだ海外の人が大量に逮捕されたり
管理人が逮捕されたりサービス潰れたら、どう責任取るんだよ・・・
少しは真面目にTPOを考えるなり海外事情に注意しようよ
やる夫 PC 悲しみ 哀




インターネットがアングラだった時代は何十年も前に終わってて
今や全世界の一般人が行き交う日常のいち部分になってるのに
アホなオタクは、未だに「ネット=俺らがやりたい放題できる隠れ場所」と思い込んでるフシがあるからね
「リアルではドン引かれる事でも、ネットなら許されるでしょ」みたいなノリは
国内でも海外でも既に通用しないっすよ・・・
やらない夫 腕組み 汗

とまとめている。しかし、この問題は、ただ単に日本からのロリエロ絵がけしからんから遮断したという話ではない。日本のオタクは自粛しなければいけないという話にはなっていないのだ。マストドンの開発者たちの間での議論は、「我が国でこのコンテンツをキャッシュし、公開していたら違法になるのではないか、どうしたらいいのか、不適切タグの付いた画像をキャッシュせず元サイトへのリンクにすればいいのでは」「LGBTの内容にロシアから苦情が来たらどうする、ロリ絵だけの問題じゃない」と、表現の自由をどうバランスすべきかという議論に発展しているのだ。

 

さらに、マストドンの元になったGNU socialを運営している一部のインスタンスからは、マストドンのいくつかのインスタンスが日本のロリ絵を遮断した事自体を非難する声明を出すところまで現れた。

https://gs.smuglo.li/doc-src/axisjp.pdf

 

そもそも、マストドンGNU socialは、Twitterのような一企業によって検閲されない自由なマイクロブログネットワークを目指して作られている。なのでこういう表現に関わる問題は、今の世間の当たり前となっている基準、「これやったらちょっとまずいかも」という忖度レベルよりも高い自由度を最初から目指しているのだ。

 

つまり、マストドンの欧米インスタンスがPawooを遮断したのは、日本のオタクけしからんではなく、ロリエロ絵の自由は尊重するが、実際逮捕される危険を避けるにはという、理念よりも現実を意識した措置で、その回避策が検討されている。また、その現実的な対処ですら言論の自由の侵害として非難する勢力も存在するということだ。@JINがまとめたように、日本のオタクが自重しなければならないという、自己検閲的な問題ではないのである。

映画のフォーマットは行きつ戻りつ流れる川のように

 映画フィルムは、ジョージ・イーストマンが作り、エジソンが採用した35mm縦送りフォーマットが基本だ。縦横比3:4というスタンダード画面がここから始まってる。なお、ライカがこのフィルムを写真用に横送りで使用し、縦横比2:3が写真の基本になった。横長画面を作る場合、縦に送るフィルムを横に使えばより広く使えるということを覚えておいてほしい。

 

 テレビというものができたとき、映画の縦横比は3:4だったので、テレビもこのフォーマットを採用した。ところが、1950年代にパラマウントビスタビジョンというフォーマットを作る。これは35mmフィルムを横送りして、幅を広くとる方法だ。この縦横比が3:5、劇場でどーんとワイドに表示される映画はいままでと迫力が違ったろう。ただ、この方式ではフィルムの消費量が増えるうえに横送りの特殊カメラが必要なので、従来の縦送りのまま上下にマスクを作って横長画面を実現する「なんちゃってビスタ」が普及することになる。なんか本末転倒である。

 

 20世紀フォックスが、シネマスコープという、よりワイドな方式を発明する。これはアナモルフィックレンズという、横方向を圧縮するレンズをつけたカメラで撮影し、上映時に元に戻して、1:2.35、横が縦の二倍以上という超ワイド画面を実現するものだ。これも、この縦横比だけが定着して、35mmスタンダードサイズに2コマ入れたりとか、画質的に残念な方向にもいったりしてる。大作のスペクタクル映画などで、35mmの倍の幅の70mmフィルムが使われたりするが、まあ縦横比はこのへんで固定するといっていい。現代のハリウッド映画などもおおむねシネマスコープの縦横比に準じている。

 

 とはいえ、さらなる長大な幅の規格もあった。シネラマである。これは35㎜フィルムをほぼ正方形で使用したうえ、三台のカメラで同時撮影し、ほとんど半円に近い湾曲したスクリーンに三台の映写機で投影するという、頭がおかしいとしか言いようのないシステムだ。タイトーのモニター三台つなげたゲーム、ダライアスみたいなものだ。これになると縦横比は1:3にせまる。ただ、これも三台同期撮影、三台同期上映の技術的困難さと、三台の画像の境目が見えてしまうという問題から、70㎜フィルムの圧縮撮影、伸長上映という、シネマスコープの亜種的な方式に変化していき、やがて消滅する。

www.youtube.com

 

 この手の映画フォーマット競争は1960年代にほぼ終わっていたのだけど、1980年代に、「2001年宇宙の旅」の特撮監督をやってたダグラス・トランブルが、ショウスキャンというフォーマットを発明する。1980年代ともなると、フィルムの改良が進んで、35mmフィルムでかつての70mmと変わらない解像度の画面が作れるようになっていたのだが、この時代に70mmフィルムを採用して、さらに秒間コマ数を従来の24コマから60コマにあげたのだ。画質と動きの飛躍的な向上で、映画界に革命をもたらすかとおもわれたのだが、結局コストがかさみすぎて一部特殊なパビリオン的施設で採用されただけに終わる。

 

 現在比較的プレミアな上映施設としてIMAXシアターがあるが、これはもともと70mmフィルムを横送り(またか)して高画質化を図り、さらにコマ数を24コマから48コマにあげたIMAX HDなど、ショウスキャンの失敗した特徴をも取り入れたものだ。しかしやはり高コストでどうなるかあやしかったのだけど、デジタル上映時代になってでかいフィルムリールを扱う必要がなくなったこともあり、シネコンの中のプレミア上映スクリーンとして残ったようだ。

 

 これまであげた映画フォーマットで、なにが印象に残るかと言えばやはりシネラマではないだろうか。湾曲スクリーンにむりやり3台で上映とか、行き過ぎ感がすごいのだ。