中国花火がやってきた頃

 僕が小学生時代、今から約40年ほど前。1970年代のこと、それまで棒花火やねずみ花火、線香花火が中心だった玩具花火の世界に、中国花火が加わった。駄菓子屋などで様々な花火をバラ売りするようになったのだが、製品名にまるっきりかな文字がなく、中国の簡体字で書かれていたりして、申し訳程度にあとから日本語の注意書きが貼り付けられたりしていた。その中でも記憶に残っているものが、いまも検索すると当時のままのデザインで売られていて驚いた。

 

 

大地花開

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70年代に買ったバージョンだと「開」の字が「开」だったような記憶があるが、基本こんなだったと思う。こんな棒だけど、火をつけると色鮮やかな炎を吹き出しながら回転し、蓮の花のような残像を残す。炎の色が三色に変わり、まるでバイクのエンジン音のような音を立てて回る様はすばらしかった。ただし、あっという間に燃え尽きるのでなんか損をした気分になる。現在は一本50円程度で売られているようだが、70年代には20円だったと記憶している。日本にはねずみ花火という回転花火があったが、あちらは軽いため思いがけない走りを見せて追いかけてくることがあり、あげくに「バン!!」と爆発するので子供の頃は怖くて怖くて絶対自分では遊ばなかった。大地花開は爆発しないので安心して何度も買いに行っては遊んでいた。

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 あ、「大地花开」で検索したら出た

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僕が子供の頃買ってたのこのデザインだ。

 

爆竹

これは本来導火線で繋がった一連の花火を一度に爆破してバンバンなるのを楽しむのだが、僕らの子供の頃、一発一発ほぐして、田圃の泥に埋めたりバッタにくくりつけて爆破する遊びが一般的だった。小学校で大流行し、学校のそばの文房具屋で売られていたが、あまりに流行って危険だということで禁止された。僕と友人が禁止後にいままでの感覚で公園で遊んでいたのを一体誰がチクったのか学校に知られ、担任に教室でビンタされた思い出がある。

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この真っ赤なパッケージは当時のままである。ただ、「20連II」という文字はなく、「牡丹紅炮」だけだったと思う。中身はこんな感じ

 

 

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む、こっちの写真は昔のままだな。当時は一箱100円程度で買えたと記憶している。

 

 このような安価な玩具花火が、40年間ほぼデザインも変えず製造され続けているということに驚いたので記事にしてみた。

宮崎、高畑、大塚以前の東映動画天才アニメーター

 東映の大川社長がトチ狂って「東洋のディズニーを目指す」と、戦中戦後のアニメーターをみんな集め、新人育成もしまくって東映動画を作ったのだけど、今現在、この東映動画出身のアニメーターで認知度が高いのは宮﨑駿、高畑勲大塚康生あたりだろう。しかしこの三人以前に、日本アニメの歴史で欠かしてはいけない人間がいる。

 

森康ニ

 日本ではじめてのセルアニメーション「くもとちゅうりっぷ」を制作した、政岡憲三の弟子であり、東映動画設立時から参加していたアニメーター。日本において「アニメーションの神」と称される人物である。

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小田部羊一

 可愛い動物を書かせたら天下一品。のちに「アルプスの少女ハイジ」のキャラデザをやっている。東映動画初期に頭がつぶれた感じのちょろちょろ動き回る小動物描いてるのはだいたいこの人。

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月岡貞夫

 もともとは手塚治虫に師事した人で、手塚が東映最遊記」の監督を引き受けたものの、アニメスタジオに常駐して監督やる暇がなかったので東映に派遣され、そのまま就職してしまった。大概の作画が一発OKで「天才アニメーター」という名をほしいままにする。手塚治虫が作画節約しまくりの「鉄腕アトム」作ったときに、東映では「あんなのアニメじゃねえ」的な意見が多かったが、月岡は「TVアニメやりましょう」と「狼少年ケン」の企画を提出。一人で原画をやろうとするが無理がたたってスタッフから抜ける。どうも月岡貞夫はもともと手塚に師事した作家志望の人だったせいもあってか、作家志向が強く、後にはNHKみんなのうたなどの短編アニメーションで活躍することになる。「ドラキュラのうた」「サラマンドラ」「北風小僧の寒太郎」などを作成している。

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開局当時のTOKYO MXは先進的だった

 現在は多くのアニメを放送するとともに、ちょっとキー局では古くなったタレントが多数登場するバラエティなども特徴になってるTOKYO MX。このテレビ局が放送開始したのは1995年のことである。東京にはローカルTV局がないという理由で当時の鈴木都知事なんかが頑張った結果できたものだけど、あれ?東京12チャンネル(現テレビ東京)って東京ローカル局じゃなかったの?というのが当時のみんなの思い。だってテレ東ネットする地方局あんましなかったしw。でもテレ東はもともと東京ローカルなテレビ局というわけではなく、教育放送を目的として設立されたものだったのだ。というか、日本科学技術振興財団が、授業放送を行うチャンネルとしてはじまったもので、今で言う放送大学に近かったらしい。まあすぐに普通のTV局になっちゃったんだけどね。

 

 で、TOKYO MX東京メトロポリタンテレビジョンである。ここが開局した1995年当時は、NHKがBSでアナログハイビジョンの実験放送をやっており、地上波では基本昔からのNTSCフォーマットでの放送が行われていたが、電機メーカーがワイドテレビを競って販売していた時期だ。放送フォーマットが4:3ばかりなのに、16:9のワイド画面のテレビが売られ、それで普通の番組を見るとどんなスリムなタレントもみんなデブになるという、ただ横に広げるだけのおかしな流行だった。いや、放送側でもワイドビジョン、ワイドクリアビジョンといった、ワイド放送は実験的に行われており、その番組を見ると正しく横長だけど縦横比崩れない画面で見られたのだけど、基本的に一部映画の放送などで限定的に使用されていただけだった。そこで、新規開局のMXは、他社からの購入番組や、古い番組の再放送以外のオリジナル番組を極力ワイドクリアビジョンで放送するという方針を打ち出す。しかし新規開局のテレビ局がそれほど多様な独自番組をつくれるわけではない。

 結果初期のMXは、まるでニュース専門チャンネルみたいに、ニュースを流していた。放送時間の半分くらいはニュースだったんじゃないかな。これも取材班にハイビジョンカメラをもたせ、ハイビジョン素材をワイドクリアビジョンに変換し、スタジオはワイドクリアビジョンで、素材もワイドという体制を作り上げた。当初バラエティは皆無だった。ちなみに僕は当時ワイドテレビなんか持ってなかったので、ニュースの時間になると、上下に黒帯がつくという見え方になってしまっていたのだけどね。

 

 さすがにニュースだけでは一日潰せないので、海外の番組を吹き替えて放送したりしてたのだけど、開局当時に「おおお?!」と思ったのが「新・世界の料理ショー」。かつて1970年代に一世を風靡したグラハム・カーの「世界の料理ショー」のリメイクである。子供の頃に、薄切りじゃない巨大ブロック肉を大きなオーブンでこんがり焼いたり、バターや油たっぷりのクリーミーな料理をすげえうまそうに作って頬張ってたあの番組の後継。これがまあ、90年代になるともう、「いかに油を減らしたヘルシーな料理をつくるか」って番組になっちゃってて。番組の最後に「旧来の調理法と比べてどれだけ脂肪やカロリーを減らせたか」の比較が出るという、なんというか、20年ほどの間の文化の変遷を目の当たりにさせられる代物でありました。なんでもグラハム・カーの奥さんが脳梗塞心筋梗塞で倒れたことで、健康料理に切り替えたらしいですよ。

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暴れん坊天皇ってどうだろう

 以前Twitterでもつぶやいたことがあるんだけど、暴れん坊将軍のフォーマットで天皇を主役にしたら面白いんじゃないかなあと思ってるのだ。まあこれをやるとしたら明治天皇だろうと思うのだけど、さすがにドラマにするのは無理だろうかなあ。

 

 暴れん坊将軍における「爺」、つまり御側御用取次役にあたるキャストが必要だろう。皇居の中で明治天皇に苦言を呈したりする役割だ。これは西園寺公望三条実美あたりだろうか。年齢差を大きくしたいので三条実美かなあ。明治帝に対する呼びかけを「陛下」にするか、「お上」にするか悩ましい。「お上」の方が親しげで「爺」って感じがするけどどうだろうか。

 

 暴れん坊将軍では、徳川吉宗は「貧乏旗本の三男坊、徳田新之助」を名乗っている。「徳田」というところに「徳川」を匂わせるのがポイントだ。さてこれはどうしよう。天皇には苗字がない。御称号の祐宮(さちのみや)から「祐」の文字を使うことも考えられるが、これは現代人にあまり知られていないので使ってもピンとこないだろう。謂の「睦仁」の方はそれなりに知られているので、「貧乏男爵の三男坊、祐木睦五郎(ゆうきむつごろう)」とでも名乗ればそれっぽいか。

 

 さて、暴れん坊将軍で吉宗が活動拠点とする町火消め組の代わりをどうしようか。明治時代であんな雰囲気を演出するとしたら、勝海舟の家に居候でもさせるのがいいかもしれない。勝さんドラマなんかでは江戸弁バリバリのおっさんだし、江戸時代の町火消に近いイメージでやれそう。いやあの人伯爵になってるけど、あんましその地位を誇らなそうじゃん。近所の魚屋とかが「勝先生!てえへんだ」とか駆け込んできそう。そこに居候を装った書生風の明治天皇が奥からひょいと顔を出して事件にからむとか。「ああ、俺は貧乏男爵の三男坊で、祐木睦五郎という。よければ事情を聞かせてもらえないか」とかいうわけ。

 

 御庭番の代わりはどうしよう。近衛歩兵連隊から選抜された兵士?それだと女御庭番役が出せないよなあ。これはちょっとむずかしい。ひとまず保留かなあ。

 

 暴れん坊将軍の悪役はだいたい幕閣とか大名、それに結びついた商人とかなので、最後の断罪シーンで「余の顔を見忘れたか」って決め台詞が出るのだけど、明治天皇に拝謁してる人で悪役にできるとなると数が少ないよなあ。こればっかりは日本中の大名としょっちゅう顔合わせてる将軍だからこそ悪役をいっぱい出しても矛盾がでないわけで、天皇にしちゃうと厳しいかも。でも「朕の顔を見忘れたか」ってセリフは言わせたいよなあ。あと、吉宗は柳生新陰流で戦える設定が、そりゃ将軍だからあるんだけど、天皇が自ら戦うとなるとどうなんだろうってのはあるよね。明治時代となるともう剣より銃の時代だし。いっそ二丁拳銃の名手とかにしちゃったほうがそれっぽい?

 

 OPではやはり白馬に乗った大元帥装束で「パカラッパカラッ」と走ってきて、「暴れん坊天皇」のロゴとタイトルコール。むう、違和感がない。やはり見てみたいなw。

blogとはWeblogの略である。そして日本の日記サイトが駆逐された。

 そろそろ忘れ去られているが、blogはもともとWeblogと呼ばれていた。logとは日誌、記録という意味であり、コンピューターが民間に普及する以前から、業務日誌などの呼称に用いられていた言葉だ。僕に関係する話で言えば、アマチュア無線家の交信日誌もlogと呼ばれていた。WebのlogだからWeblogなのだ。

 

 Weblogの初期の普及は、BloggerMovable Typeであろう。Bloggerは、パイララボが運営していたレンタルブログサービス。のちにGoogleに買収された。Movable Typeは、シックス・アパートが開発したブログソフトウェア。Perlで書かれていた。

 

 Blogが普及するのは1990年代末からで、この時代、日本では日記サイトがすでに普及しており、blog台頭期には、「えー?なにそれ意味わかんない、日記でしょ?」とみなされていた。日本ではtDiaryのような日記システムが普及し、独自の日記サイト文化が花開いていたのだ。当時日本の日記サイトにないblogの特徴は「トラックバック」という言及システムだった。これはblogがWeb上の情報を引用して制作されるという特徴を備えていたことから、blogの必須機能とされていた。要するに、あるblogの記事に対してトラックバックメッセージを送り、自分の記事を作成すると、元のblog記事に、「この記事に言及してるサイトが有るよ」とリンクが貼られる仕組みである。これは日本の日記システムでは全く産まれなかった。ある意味blogの最大の特徴と言えるシステムである。

 しかし最近だとあんましトラックバックは有効利用されなくなっている。これはある時期から、SPAMサイトがむやみにトラックバックを飛ばして自分のサイトに誘導する事例が増えてしまい、トラックバックSPAMみたいな雰囲気ができてしまったことによる。

 

 Bloggerは一つのレンタルブログサービスで、スクリプトの公開もなかったので、相当流行ったにも関わらず、blogの発展からは取り残された雰囲気がある。Movable Typeは、blog普及期にすごーく流行ったのだけど、確かバージョン3になるときだったか、商用に使うなら高額なライセンス料払う仕組みを入れてきて、一気にシェアを落とした。僕もMovable typeでサイト作ってたけど、この有料化のときに、貧乏なエロ漫画家のサイトが「漫画家の公式サイト」という商用サイトにあたるかもしれないということで、MTの使用をやめなければならないとなくなく使用を諦めた覚えがある。プロ漫画家といってもそうそう会社が払うような金額を払えないのよ。

 

 Movable Typeが使えなくなった時期、無料で使えるブログソフトを調べたけど、当時のWordpressは見た目も使い勝手も悪かったので、一旦Drupalを使うことにした。ただこれも使いにくくてさあ。その後結局Wordpressのデフォルトテーマが綺麗になって、固定ページなどのCMS要素も使えるようになったから、Wordpressに再度かえたんだよね。

 

 

さくらのVPSのKUSANAGIでPHP7にimagickをインストール

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 というわけで、KUSANAGI使ってみたのだけど、HHVMが意外ともっさりなので、PHP7で使うことにした。ひょっとするとJITが馴染むまで遅いとかそういう話かな?それともメモリの関係?

 PHP7なのだけど、PHPエクステンションのimagickが入ってない。Wordpressはimagickがあれば画像の縮小とかにgdの代わりにImageMagick使用してくれるので使いたい。

 

 で、いろいろ調べてみたのだけど、KUSANAGIってPHP5.6とPHP7とHHVMをインストールしてあって、コマンド一発で切り替えて使えるようになってるわけです。まあなんというか便利。でもそのおかげで、

$pecl install imagick

とかやってもphp5.6の方にしかインストールされなかったりする。

 PHP7用のpeclコマンドは、/usr/local/php7/bin/ に入ってるので、ここに移動して

$./pecl install imagick

とかやるといいみたい。もちろん事前にImageMagickAPI関連はインストールしておく必要があります。

Build process completed successfully
Installing '/usr/local/php7/lib/php/extensions/no-debug-non-zts-20151012/imagick.so'
Installing '/usr/local/php7/include/php/ext/imagick/php_imagick_shared.h'
install ok: channel://pecl.php.net/imagick-3.4.3RC1
configuration option "php_ini" is not set to php.ini location
You should add "extension=imagick.so" to php.ini

てな感じでちゃんとインストールされたら、 /etc/php7.d/extensions/ の下にimagick.iniというファイルを作成して、中に extension=imagick.soって記述してphp-fpmを再起動。

KUSANAGIの場合、kusanagiコマンドで

$kusanagi php7

とやればphp7のphp-fpmが、

$kusanagi php-fpm

とやればphp5.6のphp-fpmが起動(すでに起動している場合は再起動)するので、間違わないように。

爵位はややこしい

 爵位って、なんというか、王様の下に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵っていう等級が最初から決まってたような気がするけど、ながーい歴史で出来上がってきたもので、それぞれの由来も色々バラバラだったりする。なお、日本の明治時代に華族制度が作られたときは、ほぼ一気に公侯伯子男の爵位が制定された。これは古代中国の制度を模し、かつ西洋の爵位にできるだけ1:1対応させるのに都合が良かったのだけど、実は完全には対応していない。日本語で「公爵」とされる階級はPrinceとDukeという2つの階級をまとめてしまっている。よくラノベファンタジー作品などで公爵は王位を継がない王族が就く爵位とされるけど、これはPrince。Dukeの方は王族以外の貴族の最上位みたいな感じだろうか。まあ、PrinceやDukeが君主の国もあって、こういうのは公国と表記されるんだけど。ほらもうややこしい。

 日本の「公爵」は五摂家とか徳川宗家とか、あと明治維新の勲功著しいとされた家がもらったので、皇族とは必ずしも関係ないのだけど、英語表記をPrinceとしたため、別に皇族でもないのに海外報道で皇族と誤解されたりなんてこともあったらしい。

 

 そもそもの由来をたどると、日本語で「公爵」とされる爵位の一つ、Princeは古代ローマプリンケプス。指導者もしくは第一人者を表す言葉だ。共和政ローマの時代にこの役職はすでにあり、元老院で最初に発言できる、権威ある役職だった。初代ローマ皇帝アウグストゥスは、以前のカエサルが、終身独裁官の地位にあって、「王ではない」事を強調しても暗殺されたことを記憶していたので、より穏健な「第一人者」の地位を自分のものにした。で、結果的に第一人者たるプリンケプスが、元首、君主の称号になっていく。ちなみにラテン語で「王」はRexである。ティラノサウルスレックスのレックスである。

 「公爵」のもう一つのDukeは、ラテン語のDuxからきている。これはローマの軍団指揮官を指した言葉で、やがて属州の最高権威をさすようになる。

 

 侯爵に対応するMarquessは、フランク王国で辺境を守る武将の役職だった。主に東ローマ帝国との国境に配置されていた。ファンタジー小説で国境を守るために大きな軍事力を持ってる「辺境伯」が出てくることがよくあるけど、これが元。ドイツ語でGrafが伯爵で、Markが軍管区とか辺境。Markgrafが辺境伯となるわけ。これが時代が下ると、公と伯の間の爵位となっていく。

 

 伯爵を表すCountは、ラテン語のComesが元。Duxが部下として指名した廷臣の階級である。もとは個人を指名する形だったのが、強い自治権を持ってたことから、世襲化されていった。

 

 子爵を表すViscountは、「副伯」、つまり伯爵の下という意味合いで作られた爵位

 

 男爵を表すBaronは、古フランク語で「自由民」を意味してたのだが、封建領主全般を表す名詞として使われ、やがて貴族階級が明確になってくると、爵位最下級に収まる。

 

 ちなみに、英国においてはもともとデーン人が使っていたEorlという爵位があり、イングランドが統一される過程で、アングロサクソン7王国あった地域を治める豪族に爵位を与えた。これがEarlで、ロンドン郊外の有名なテニス場が有る「アールズコート」の「アール」である。後にノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服して現在のイギリスの基礎を作った時、ヨーロッパの爵位制度を取り入れたが、イングランドに定着していたEarlを「伯爵」に当てはめ、その上に侯爵や公爵を、下に子爵や男爵を置いた。なので、イギリスの伯爵はCountではなくEarlなのだ。なお、イギリス人が大陸の伯爵を呼称するときはCountを使用する。なので英語で伯爵はEarlとCountの2つに別れる。平野耕太のマンガ「HELLSING」で、英国の伯爵たるインテグラヘルシング卿とヨーロッパの伯爵たるアーカードが、「おかえり、伯爵」「ただいま、伯爵」と挨拶する名シーンがあるが、あの場面、英語ならEarlとCountを使い分けるべきかと思うが、実際の英語版でどうなってるのか知らない。